「茜、今日のメシ何?」
「暑いからくっつかないで」
「茜はつれないなぁ」
キッチンに立つ茜さんの姿は見慣れたものなのに、その場に相応しくない男が馴れ馴れしく肩を組み話しかけている。暑いから、とか包丁を持ってるから、とか茜さんは注意するが、問題はそこではないだろとズレた対応に少し腹立たしい気持ちが生まれる。
しかし、茜さんと喧嘩をして彼女の実家まで押しかけたという肩身の狭い立場の自分には、彼女の家族に言われるがままテーブルの前へと座る他に選択肢は無い。彼女の母親の話に耳を傾けながら、久しぶりに会う彼女のことを遠くから眺めることしかできなかった。
「茜からイケメンの彼氏ができたって聞いてはいたけどねぇ」
「はぁ……」
「こんなイケメンだったなんて、ドキドキしちゃう。よく茜、毎日顔を拝めるわね」
「……」
「茜ったら照れちゃって。それにしても東京からわざわざ遠くまで、疲れたでしょう」
「いえ、そんな遠く感じなかったです」
疲れはした。茜さんと喧嘩をして、連絡が取れなくなって、居ても立っても居られなくなり以前教えられていた実家の住所まで押しかけて。
母親から引きずられて家から出てきた茜さんはバツが悪い顔をしていた。俺が自分に否がある部分を謝罪すると、茜さんはまた傷ついた顔をして、「謝らせてごめん」と俯きながら答えると、困ったように笑った。また自分を責めているのかもしれないと思い、これ以上その顔を見ていられなくて茜さんに手を伸ばした。すると、娘の様子が気になっていただろう茜さんの母親が再び顔を出し、俺にも家の中へ入るよう促したことによって、今気まずい実家訪問という状況が繰り広げられている。
彼女の姉の彼氏だという男は馴れ馴れしく茜さんに絡む。呼び方、距離の近さからも茜さんとの親しい関係性が見えてくる。兄弟の恋人という存在がいないため、通常の距離感というものがイマイチわからなかったが、先ほど自分が許されなかった距離を許されている男に、不快感を感じないわけがなかった。
「前まで大地くん、大地くんって俺に懐いてたのに」
「……」
「写真……はスマホには入ってねーな。秋斗くんにも見せたいなぁ。茜の制服姿!」
「勝手に見せないで!」
「楓も茜も可愛かったな……」
「はぁ……」
彼女の制服姿は少し、いやかなり気になる。出会った頃は既に大学生だったし、彼女の部屋で昔の写真を見る機会はこれまでなかった。
今より少し幼い彼女の制服姿に想像を膨らませてから、その姿を知っている男がいることにまた少し腹立たしく思う。もう少し早く出会えていたら?俺が同じ街に生まれていたら?せめて昔の写真を見たいと伝えていたら?こんな些細なことを気にすることもなかったのかもしれない。
「なーなー」
「今度は何」
「俺が楓のこと好きって聞いてちょっとショックだったろ?」
「え、何言ってるの!」
二人の会話がしっかりと聞き取れて、思わず動揺する。茜さんの母親が何か用事を思い出したように部屋を出たことで、耳を澄ませていた二人の会話が、急にクリアに聞こえてきたのだろう。
「あのときから茜と距離ができて俺寂しかったんだぞ」
「勘違い止めてよ……」
「ケケケ」
初めて味わう胸が燃えるような感情がピークへと達したとき、茜さんと話しながら愉快に笑う男と、静かに視線が交わった。
***
「好きだったんですか?」
「何の話?」
突然、東京から押しかけてきた山田を実家へ泊めることになり、母親に言われるがまま部屋に布団を用意していると、背後から主語の不明な問いかけをされる。主語を問うと、彼は少し考える素振りを見せてから、思い出したように口を開く。
「大地さんのこと好きだったって本当?」
「そんなの大地くんの冗談だよ」
少し目が泳いでしまった気がする。やましいことなど何もないのに、最近の気まずくなる原因が山田の交友関係に不信感を抱いてしまったことだったため、先ほどの大地くんの距離感の近さは少し後ろめたい。
「……茜さん、俺に嘘ついてるでしょ」
「え」
同じ香りを身に纏った山田からいつの間にか距離を詰められて、視線を逸らすことなど許さないと言うような黒い瞳に吸い込まれそうになり、思わず呼吸を止めた。
「顔見れば、茜さんの嘘くらい見抜けるようになりました」
「そんな察し良くないでしょ山田は」
「茜さんのことならわかる気がします、多分。いや久しぶりに顔見るから自信はないけど」
「……」
「で?」
二人だけの優しい声だけど、目が笑っていないのがわかる。逃れるように後ずさると、肩を押される形で敷いていた布団に背中がつく。山田は私に覆い被さるようにして見下ろしてきた。私は逃げ場を失い、何かを答えないと噛み付かれそうな勢いに圧倒され、口を滑らせてしまう。
「……昔ちょっといいなと思ったことがあったくらいだよ、一瞬だけ」
力強い視線から逃れたくて、これ以上頭の中を覗かれないように手で顔を覆う。
「なんで嘘ついたんですか」
「好きではないから嘘じゃない!」
「いいなと思ったって今自分で言ったばっかりじゃないすか」
「いいなと好きは違うの!」
「いいなと好きの違いって何すか」
「……なんでわかってくれないの」
説明の仕方が難しい。大地に昔から感じる好意と山田へ向ける好意は明らかに別物だ。大人に対する憧れとか、姉を大切にする性格とか。それを今の山田へ何と説明すれば理解してくれるのか、追い詰められた状態で考えても答えは出なかった。
「俺は茜さんのことしか好きになったことないから」
「……え?」
「茜さんのこといい人だなと思ったし、好きなになったし。いいと好きは同じでしょ?」
見下されているのに、少し傷ついたような顔に今までの覇気は失われた。そして、きっと無自覚であろうが山田から突然向けられた好意に、山田が大学生になってから不安だらけだった気持ちが一気に晴れて、純粋に愛おしいという気持ちだけに支配される。
「えぇぇ。違うんだけど……でももう一緒でいいよ……」
「大地さんのこと好きだったってことじゃん。今度からもうちょっと距離感考えてくださいね」
「だから違うってば!山田しつこい」
「茜さん、警戒心薄いから……」
「そんなことないって!」
「俺のこと大嫌いって言ったのに、もう触らせてるし」
そう言って今まで動きのなかった山田の顔が落ちてきて、唇が触れた。反射的に目を閉じると、布団の上で両手を絡まされ、何度も唇を重ねる度に、全体へと行き渡る熱に身体が溶けてしまいそうだった。数回触れる程度に伺う動きをしていた舌先が、タイミングを見計らうように口内へと侵入し、すぐに捕えられる。
身体を弄られながら、離されることのない唇に息が吸えず助けを求めるよう薄っすらと目を開けると、私のことを捉えて離さない瞳があった。
「(ああ、私のことを求めるこの視線が好き……)」
このまま山田の熱に溺れてしまいたいと、山田の首に腕を回すと、別の部屋からドッと家族や大地くんの大きな笑い声が聞こえてきて、心臓が止まりそうなくらい驚いた。
私はここが両親たちのいる実家であることを思い出し、山田を急いで引き剥がして起き上がると、山田はムッとして私に対抗するように再び顔を近付け迫ってくる。
「まって!」
「なんで?」
「ダメでしょ!」
「まだ俺のこと嫌い?」
「そうじゃなくて!家族がいるから!」
「……………………はぁ」
***
おまけ
大:「今頃茜たち、仲良くやってるよ」
楓:「大地はもう……茜の彼氏煽らないでよ!」
大:「あれくらいしないと二人共素直になれないと思って!」
母:「大地ナイスよ!」
光:「そろそろゲームしてくれるかな?」
大:「あっおい、まだ開けるなよ!明日にしよう、な?」
光:「なんで?」
大:「大人には色々あるんだよケケケ」
光:「……?」
おわる
コメントを残す