浸食されはじめた日常

駅から徒歩十分程度歩いた通りにあるカフェで、レンは珈琲を啜っていた。この場所へ訪れるのは本日で五回目になる。店内の賑やかさが一人で過ごすには心地の良いBGMで、珈琲の味が舌によく馴染んだ。

先日、いけ好かない男から手渡されたこのカフェのクーポンは、本当にただの気まぐれに存在を思い出し、暇つぶしで立ち寄ったに過ぎない。「女が好みそうなスフレパンケーキだな」と初回訪れたときに感想を抱いたにも関わらず、日ごろ連絡を取っている女達をこの店に連れて行こうとは何故か一度も思わなかった。

「あの……おひとりですか?」
「?」

自分に向けて発せられた声にレンは視線を上げると、二人組の女がテーブルの隣に立っていた。二人とも冬だというのに露出の多い格好をしており、この落ち着いた雰囲気のカフェには少々場違いのような気がする。そして見た目に反さず、誘うような視線にレンが気付かないわけがない。

「んー、待ち合わせなんだけど」
「でもさっきからずっと一人で珈琲飲んでるから。良かったら私たちと一緒にお喋りしませんか?」

いつもであれば待ち合わせまでの時間であっても女達の誘いに乗るレンだったが、先日の元カノとのいざこざで気分は滅入っていた。一人でゆっくりしたくてこのカフェに来ているのに、と女達の引かない態度を不快にすら思う。

「悪いけど、そういうのいいから」
「なんでー? 楽しいよ絶対」

女の一人に腕を掴まれて、退屈な言葉を並べ立てられる。そのしつこさにレンは苛立ちを抑えきれず、手を振り払おうとした。

「すみません、他のお客様のご迷惑になりますので」

困り果てたレンを救うように天から囁かれた声に、抱えていた苛立ちはスッと消えた。反対に、レンは聞いたことのある声に拒否反応が現れたのか、沸々と鳥肌が立つ。嫌な予感が当たらなければいいとレンは恐る恐る店員の顔を確認した。

「どうもお客様♡」

手をヒラヒラと振り、爽やかな笑顔を浮かべたのは、レンが叶うことならもう会いたくない男、瑛太だった。

「あっ、じゃあここの席座らせてもらうので」
「相席はお客様も合意の上でしょうか?」
……いや、俺一人でいたいんだけど」
「だそうです、お客様?」

「オススメのスイーツ紹介しますよ」と瑛太が女達を遠く離れた入り口付近の席へと連れて行くのを横目に、レンはため息を吐いた。

先日瑛太から手渡されたクーポン券を持ちこのカフェへ訪れる際、瑛太に会う可能性があることを、レンは承知の上で足を踏み入れた。しかし、まさかタイミングよく来訪が重なることもないだろうと高を括っていたのも確かだ。一度訪れてみてこのカフェを気に入り、それ以降も瑛太に会わないことに安堵した。

この店の店員だと知っていれば、一度も来ることもなかったのに。久しぶりに見つけたお気に入りの店だっただけに、レンは少し落ち込んだ。

「会えて嬉しいよレン君♡」
……俺は嬉しくねぇよ」
「同僚からレン君らしき人が来てるっていう話は聞いてたから、いつシフト被るかな~って楽しみにしてたんだけど♡」
……俺、一人でいたいって言わなかったか」
「俺は別、でしょ?♡」
……

疲れる、とレンは思う。このカフェを手放すのは惜しいが、それよりもレンはこの男に関わりたくないという気持ちが勝った。

「帰る」
「えー、俺もうすぐ上がりだから待っててよ♡」
「何で、お前待たないといけねぇんだよ。そんな仲良くねぇだろ」
「クレープ一緒に食べたじゃん。レン君のケチー」

席を立ち上がると、咄嗟に腕を掴まれた。その手は、先程の女とは違い力強い。どこにそんな力を秘めているんだと睨みつけると、ニカッと笑った瑛太からまた一枚の紙が差し出された。

「はい」
「なにこれ」
「糖分足りてないんじゃない?」
「うるせぇな」

余計な一言に苛立ちながら手渡された紙を見ると、そこには色鮮やかなデザインの施されたクーポン券があった。

「自家製プリン……
「来週からのメニューだから絶対食べに来て!」
……
「レン君、プリン好きだったでしょ?」

なぜそんな話を覚えているのか、とレンは頭を抱えた。一日限定数量の文字に、何時頃店にいれば食べれるのだろうと考え始めたことに気付き、レンは頭を横に振る。

「俺のシフトの日に来てくれたら取り置きしてあげる♡」

悪魔の囁きが、頭から離れなかった。

***

「うま」
「でっしょ~♡俺監修♡」
……
「ねえ、今日は待っててくれる?」
「待たねぇ。コレ食べたら出る」
「あっ、田中さーん。この10番卓のお会計しないで!」
「了解です」
「は? 勝手に決めんな」
「着替えてくるね♡」

嵐のように去っていく瑛太の姿に、レンは大きなため息を吐いた。結局、瑛太の思う通りに自分が行動している気がして不快だった。

軌道修正するために「伝票ください」と先ほどの店員へ声を掛けると、先輩である瑛太の指示と客であるレンの要望のどちらに従ったらいいかわからずオロオロする姿を見て、なぜかレンは罪悪感が少し芽生え、その言葉を取り消してしまった。

「おまたせ♡」
「はぁ……

笑顔の瑛太に舌打ちするも、当人は全く気にする素振りも見せずにレンの向かいの席へと腰掛け、店員にオーダーを投げた。

「レン君、昨日のアレ見た?」
「あぁ、主人公のキャスティングが意外とハマってたよな」
「そうそう。絶対レン君見てると思った」
「実写化は反対だったんだけどな」

振られた話に思いついたまま返答して、レンはハッと我に返った。何を普通にこの男と会話をしているのかと。

「俺もー。でも見てみたら結構原作に忠実だったからさ、ちょっと楽しんで見れたわ」
「だよな」

しかし、話が合う。この前、クレープを食べに連れ回された時も、嫌々ながらも会話自体に退屈さは感じなかった。そしてその事実は驚くべきことでも何でもなく、レン自身、元から知っていたことでもある。

『瑠璃もその作品すき♡』

急に過去の失態が蘇ったレンは、向かいに座る瑛太が憎らしくなる。睨みつけても飄々とした顔でパンケーキを頬張っていた。

この男との出会いは、二年ほど前へと遡る。よく友人には、男のことを「あるギルマスのネカマが俺のギルドの女の子に手を出そうとしたから対面した」と話していたが、実際には違った。

このネカマに会いたくて、彼女のギルドの人間にコンタクトを取ったら、牽制されたのだ。趣味が合い、相談にも乗ってくれた『瑠璃姫』という存在に、レンは興味を抱いていた。

好みだったらそのまま口説いてみようか、なんて考えていたら実際に現れたのはオタクの青年だし、距離感はおかしいし、語尾にはハートマークが見えるし、腹黒いしで、レンは自分自身の行動をすぐに後悔したのだが。

だから、レンは瑛太と話が合うことは知っていた。

「あ、レンくん同じ原作者の●●は読んだ?」
「読んでない。巻数多いし」
「じゃあ今度俺んちおいでよ、タダで読めるよ」

正直、なぜこの男が自分に構おうとするのか、レンには理解できなかった。腹黒い男のことだから、何か罠に嵌めようとしているのではないかと勘ぐってしまう。恨みを買うことの多いレンにとって、それは正常な思考だったのかもしれない。

しかし、瑛太を疑っていたはずなのに、あれよこれよと言う間に瑛太からチャットの個人情報を盗まれて、レンは望まない連絡先の交換をしてしまった。

帰宅後マンションの一室で、レンはチャットの連絡先一覧にあるトークを不思議に思いながら眺めていた。

『レン君、最近付き合い悪い』
『レン君あそぼうよ〜』
『レン君いまどこ?』
『新作スイーツ、食べに来て♡』

ハートマークなんて気持ち悪いなと思いながら、レンの右手は動く。

『甘くないやつ?』

送信ボタンを押してから、今日連絡先を交換してから一方的に受信されていくメッセージを確認した。

「佐々木って言うのか」

一度返信をしたからか、またしつこいくらいにメッセージを受信して、レンは瑛太からのメッセージ通知をミュート設定にした。このままでは睡眠時間を妨げられそうな予感がしたからだ。

***

「佐々木くん、最近真っ直ぐ帰らないのね」
「妹が反抗期で」
「お前妹いんの?」
「あ、うん」
「佐々木くんの妹、美少女よね」
「へえ」

またもやバイト後に瑛太から拘束されていたレンは、瑛太が同僚の店員に話しかけられているのを見ていた。コイツ兄なのか、と興味を抱いたレンに、瑛太は珍しく歯切れの悪い返事する。

「喧嘩でもしてんのか?」
「レン君には紹介しないから!」
「はぁ? 誰も紹介しろなんて言ってねぇだろ。困ってねぇよ。何歳だよ」
「15」
「そんな年下対象外に決まってんだろ」

「そんな節操なしじゃねぇ」とレンは向かいの席へ座る瑛太を睨むが、瑛太は嫌そうな顔を隠そうとはしなかった。しかし、いつも飄々とした瑛太がここまで守ろうとする大事なな妹が、レンは逆に気になってしまう。

「まぁ、ちょっと顔見せろ」
「えっなんで? なんでレン君に見せないといけないの?」
「お前に似てるか気になったんだよ」
「えぇ……まぁ瑠奈は俺にそっくりだけど……

嫌そうな顔を崩さずにスマホを操作する瑛太は、「これがベストショットかな」とブツブツ呟いている。

「はい」

瑛太から見せられた写真にレンは目を見開いた。

「可愛いでしょ?」
……うっ、わ。お前、アバターそっくりじゃねぇか。引くわ」
「瑠奈は最強だから」
「あっそ」

気付けば今日もレンは瑛太のいるカフェへ足を運んでいた。それは珈琲の味と、店の雰囲気とがどこか自分と馴染んだからだとレンは思っている。

「後輩も呼んでいい?」
……いやそれなら帰るわ」
「あっごめんやっぱなし」
「いや俺はお前の暇つぶしに付き合わされてんだから、後輩早く呼んで俺を帰らせろ」
「レン君が独占欲強いの忘れてた……♡」
「おい瑛太、ふざけんなよ」
「レン君こわーい」
「ほんとお前……
「あ、彼女とご飯だって。残念、初彼女で浮かれてるんだよねコイツ」
「そんな話、興味ねぇよ」

レンの新たな日常はゆっくりと、確実に始まろうとしていた。

 

続きたい

 

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