人混みの中、大きくそびえ立つ鳥居の前まで息を切らしながら辿り着いた。左腕に付けた時計を確認すると、自分が少し待ち合わせの時間に遅刻したことを物語っていて、焦り辺りを見回す。神殿へと続く順路の妨げになっていはいけないと、人気のない端へ寄ろうとして、人々の視線が一点に集中していることに私は気がついた。
皆の視線の先には鳥居へと寄り掛かるモデル顔負けの男性がいる。絶え間なく掛けられる女性からの声を無視して、スマホを耳に当てていた。すると、自分の巾着の中からスマホの振動が伝ってくる。人の流れを無視して鳥居の端まで横断すると、私の姿に男性が気付いたようだった。
「山田ゴメン!」
「人が居すぎて合流できないかと思いました」
私が声を掛けると山田に群がっていた女性陣はあからさまに不満そうな顔を残して離れて行った。山田はオーバーサイズの白いシャツに黒いパンツを穿いただけのラフなファッションだったが、スラッとした身長と、女よりも美しい顔立ちにより存在感を発していた。当の本人は全くの無自覚気ではあるが。
「今日、浴衣なんですね」
「そうなの! 桃ちゃんに着付けとかやってもらったんだ。最初は自分でやってみようかと思ったんだけど帯の締め方とか以外に難しくてさ。動画では簡単って言うけど、私でもわかるくらいに解説してくれないとダメだよね」
「一瞬誰だかわかりませんでした」
「フフッ、綺麗すぎて?」
ただでさえすぐナンパされるイケメンな彼氏の横に立つのだからと、親友の桃ちゃんには浴衣を買いに行くことから付き合わせてしまった。私は無難に落ち着いたデザインの柄にしようと思っていたが、センスのある桃ちゃんが「茜の魅力を引き立てるなら赤でしょ」と言い張り、くすみがかった赤の生地に白と黄の大柄な花をあしらえた浴衣に決めた。ちなみに、帯は白だ。ロングの髪は一つにまとめて簪一本できつく留めてくれた。こうしてデザイナー桃様渾身の作品が出来上がったのである。
そんな私を山田はじっと見つめた。何と答えが帰ってくるのか楽しみに待っていると、山田の手が私の顔へと伸びてくる。そして、こめかみから流した毛が汗で顎に付いているのを、山田のひとさし指が間に割って入り、髪を整えた。
顔の触れられた箇所が熱い。突然の行動に口を開けたままの私に、先程の質問の回答もおざなりのまま「行きましょうか」とだけ発する。山田は口元に笑みを浮かべて、私の手を握った。手を引かれるまま、隣から見上げた提灯に照らされる山田の顔がいつも以上に魅力的に見えた気がした。
10年以上お祭りには行っていないと言う山田に、最新の屋台では何が取り扱われているかを説明しながら、屋台の並ぶ境内を歩いていく。結局は、山田が食にあまり関心が無いというので、私の食べたい物をという話になってしまった。
お互い繋がれていない側の手で食べ物を手にし、時に交換をしたりして、それを食べ終わると再び次の列へと並んだ。そろそろ定番メニューを食べ尽くしお腹も膨れてきた頃だった。
「はい、ざんねーん」
残念という言葉とは裏腹に、嬉しそうに叫ぶしゃがれた声が耳に入り、思わず声の方へと視線を向けた。そこには景品に向かって銃を構える子供の姿があった。
「射的かぁ……」
3段に区切られた板の上にはお菓子からぬいぐるみ、100円で販売しているようなおもちゃなどのありふれた景品だけではなく、最新のゲーム機やソフトといった高価な商品まで揃えられている。私は高価な景品を確認してすぐに山田を見た。シューティングゲームのプロである山田であればどんなものでも落とせるのではないかと。
「山田! やろう!」
「えー」
あまり気乗りしなそうな山田の腕を両腕で抱えて無理やり引きずり、射的屋の前まで辿り着く。
「おじさん、一回ね!」
「あいよ!」
財布から500円玉を取り出して渡すと、銃と5つのコルクが手渡された。おじさんから貰った射的セットを嫌そうな顔をする山田へそのまま横流しする。初めは面倒くさそうにしていた山田だったが、諦めたように銃の仕様を念入りに確認した後、レバーを引き、銃の先にコルクを詰めた。
「何が欲しいんですか?」
「あれ、あのゲーム機狙っちゃおう」
私のおねだりに無謀だと思ったのかおじさんが鼻で笑ってきたが、逆に鼻で笑い返す。
「(そんな余裕そうな顔をしていられるのも今だけよ。うちの山田を笑ったこと、後悔するがいいわ!)」
口元が緩むのを止めることはできず、射的屋のおじさんに不審者を見るような目で見られたが気にしない。
山田が脇を締めて銃を構え、ゲーム機一点に狙いを定めた。引き金を引くまでの間、境内は騒がしいはずなのに、この空間だけは妙な緊張感に包まれているような錯覚に陥る。真剣な顔をした山田に見惚れていると、引き金が引かれた。箱にパンッと当たったような音に、山田から視線を外しゲーム機の箱を確認する。しかし―――。
「はいざーんねーん!」
山田の舌打ちと共に、おじさんの嬉しそうな声が一帯に響き渡った。おじさんは喜びからか手に持った鐘まで鳴らし始めたため、当たりが出たのかとギャラリーが寄ってくる。
「嘘!!!」
正直、山田の顔に集中していたせいで、玉が箱に当たったのかは確認できていなかった。しかし、プロゲーマーの山田に撃てない物があるとは信じ難い。私の声などお構いなしに、山田は次のコルクを銃へセットし始めている。最初に嫌がっていたのが嘘のように、再び狙いを一点に集中させて―――。
「はいざーーーんねーーーーん!」
またもや倒れないゲーム機の箱。今度は私もしっかり確認した。箱に当たっている。しかも箱のど真ん中に正確に。しかし、箱はピクリともしなかった。
「……は???」
山田は呆然とした顔で一文字だけ言葉を発して再び次のコルクをセットした。しかし当てる場所を角にしてコントロールするなどしても、結果は同じであった。
コルクが最後の一つになり、眉間に皺を寄せるという珍しく山田が苛立つ様子が露わになる。
「山田、最後は私がやろうかな」
これはもうインチキ屋に違いないので、真剣にやる必要はないなという気持ちと、これで私が万が一にも倒してしまったら山田のプライドが傷つくだろうな、という楽しみな気持ちとで選手交代を山田に告げる。後者が勝り、緩む口元を抑えきれないまま、見様見真似でコルクをセットした。
しかし、的が遠すぎてどこを狙えば当たるのか、全く分からなかった。銃口を対象物に合わせて引き金を引くだけでいいのだろうか。
「ねえ、どうやって狙うの?」
隣に立つ山田に疑問を投げかけると、険しい顔をしていた山田はやっと笑って、背後に立ち私の腕を動かしながら構えを作っていく。
「よし、これで引き金引いて良い?」
「ん-よく見えないけど」
山田が背後から私と同じ目線に合わせるように、顔を寄せて私の手を調整した。そして照準が合ったとき。
「ココ」
耳に山田の吐息が掛かったことに驚いて、せっかくの構えがズレた状態で引き金を引いてしまう。
「な、なんていう声を……」
わざとではないかと疑うほど、いつもより低めの声で囁かれて、赤くなっているであろう耳を抑えたまま立ち尽くす私に、今日一番の叫び声と鐘の音が響き渡る。
「あたーーーりーーー!」
「……え?」
「お嬢ちゃん、お見事だったね」
手渡されたのはコンビニでよく販売されているお菓子だった。照準がズレたお陰で、軽い箱の景品が当たったようだった。きっと、高価な景品はズルが施されているに違いないが、当てられても痛くないお菓子などは倒しやすい工夫が施されていたんだろう。
「いやおかしいでしょ」
「見たか私の腕前を!!」
納得のいかない山田が少しの沈黙の後にハハッと笑ったので、私も何だかおかしくなって笑いが止まらなくなってしまった。お菓子を当てた私は、ギャラリーから拍手で祝福された。
***
屋台を一通り楽しんだ後、花火が上がるまでまだ時間があるからと屋台の並ぶ通りの先に本殿へと続く階段を見つけて、休憩場所にしようとする。本殿は100段近くある階段を登った先にあるからという理由からか、灯りが全く無いからか、不思議なことに人気は全く無かった。
「あ、浴衣汚れちゃいますよね」
「それくらい大丈夫だよ」
山田は数段登って座り込んだ後、自分の太ももをパンパンと叩くと、私の手を引いた。いくら人気が無いとは言え、少し先に見える屋台には人が溢れているような状況下で、膝の上に乗ってもいいのだろうかと躊躇いが生じる。
しかし、先ほど射的で見た山田の真剣な顔に未だ胸の高鳴りが抑えきれていなかった。あれからもずっと手は繋がれていたが、手では物足りなくなっている。この広い背中に抱き着きたいし、薄い唇にキスしたい。
人目よりももっと密着したいという欲望が勝り、大人しく山田に手を引かれるがまま身を委ねる。膝の上で横抱きにされて、灯りが無い暗闇の中で山田の顔を見つめると、射的屋で獲物に照準を合わせていた時と同じーーー今にも食べられてしまいそうなあの眼で私を見つめ返してきた。
どちらからとも無く唇が一瞬触れた、その時。
「ねえ、ちょっ、だめだってば」
「誰もいねーよ、ほら声我慢して」
「あんっ」
「「…………」」
階段横の薄暗い木々の中から聞こえてくる怪しげな声に、私達は固まった。耳を澄ませば澄ますほど良く聞こえてくる卑猥な声に、私はどうしたらいいか分からなかった。山田は大きなため息を吐くと、私に膝の上から離れるよう優しく腰を叩いた。
「場所変えましょうか」
「う、うんそうだね」
しかし、勢いよく立ち上がろうとした私は、足に力が入らずバランスを崩してしまったところを背後から山田に受け止められる。
「ごめん、山田」
「……」
よろけた私を支えてくれた山田から自立しようと一歩前へと出るも、山田は私の身体を解放してはくれなかった。むしろ腕が肩と腰に回されて力強く抱き締められてしまう。
「山田……?」
「今日の茜さん、別人みたいで落ち着かないっす」
「急にどうしたの」
「急じゃないです、今日会った時からずっと……」
髪をまとめて首裏全体が無防備になっているのを良いことに、山田は私の耳の裏に鼻を擦りつけて息を吸った。
「まって、今日すごい汗かいてるから匂い嗅がないで」
私の言葉を無視した山田は汗で微かに濡れた首筋に舌を這わせる。生温かい舌の感触に、祭り中ずっと焦らされた身体が疼き、ここが野外であることも忘れて快楽へ引きずり込まれそうになる。そのまま唇を伝い、無防備になった項に歯を立てられた後、力強く吸い付かれた。何度も、何度も同じ箇所を吸われて、快楽から逃れようと腕を伸ばすも、背後から力強く抱き締められては身動きが取れない。
「はぁ……あ、痕付いちゃうよ」
震わせながら出した声に山田は唇を離し、吸っていた箇所を指でなぞる。その指はそろそろとネックレスを通り過ぎ、背中の始まりに少し触れた。
「痕付いちゃいました」
「……ばか」
勢いよく振り返り山田を睨むと、再び何度も重ねるようにキスされた。舌が口内へ侵入するのを許すと、何度も絡め取られては唾液を送り込まれる。すると、急に頭の重みが解放されたような気がした。再び後頭部を強く抑え込まれて極限まで深くつながるようにキスをされる。息継ぎもままならないキスの最中、山田の指が私の髪を梳かしているような気がした。
「これで隠れますよね」
気が付けば、山田の手には私の頭にセットしてもらったはずの簪があった。どうやらキスの最中に取られたようだ。
「せっかく桃ちゃんにセットしてもらったのに」
「綺麗でしたけど、こっちのほうが落ち着きます」
そう言って、山田は再び私を引き寄せて、今度は髪に顔を埋めた。
「恥ずかしくないのかね、あんな誰が見てるともわからない場所で……」
「ありゃもうダメだ。自分たちの世界に入っちゃってる。俺らは家に帰ってしよーぜ!」
「「…………」」
静寂の中、木々の影から存在を忘れかけていた男女の声が聞こえてきて、顔に血が集まる。急いで山田から離れると、山田も罰が悪そうに片手で髪を搔きむしり、私に背を向けた。それでも熱が離れていったことへの名残惜しさからか、山田に向かって手を伸ばそうとした時、大きな光と音が神社一帯に広がった。
もっと良く見える場所へ移動しようと、山田の手を引く。山田との色事に夢中で花火大会の時間になっていることすら気が付かなかった。
髪の裏に隠れた項がまだ熱を持っている気がする。火照った顔を見られないように、私は山田の一歩先を歩いた。
***
「それじゃあ茜さん、俺はこれで」
「……」
花火大会が終わり、山田は私を部屋の前まで送り届けると、別れを告げた。しかし、繋がれた手を離そうとせず、今夜ずっと熱を持ったように見える視線が逸らされることはない。
山田が私を求めているのか、私が山田を求めているのか。なぜ今日はこんなにも相手を求めて止まないのか。
「ねえ、山田」
「はい?」
「続き、しない?」
身体が熱いのは、夏のせいだよね
頷く山田を私は部屋の中に引き入れた。
おわり
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