「雨に全身濡れたから」と茜さんにシャワーを浴びるよう促され、茜さんの家の浴室へと通される。濡れた上着を手渡すと、「服は洗濯機の中に入れてね」と言われて代わりにパジャマを渡された。泊まってもいい、ということなんだろうか。
FOSで知り合った友人の彼氏とバイト先の男がいると聞いて様子を見に行くと、茜さんは男に腕を掴まれていた。珍しく頭に血が上った俺を瑛太さんは静止してその場を収めると、瑛太さんの計らいで俺たちは先に店を出ることになった。
茜さんはあの友人と揉めたんだろう。他人に興味が無くても、あまり茜さんと仲良くなってほしくないと思う人間だった。それでもあれだけ落ち込むほど、茜さんにとっては思い入れのある人物だったということだろう。
既に風呂から上がり、茜さんが部屋に戻るのを待っていた。しかし、なかなか出てこない。既に一時間は経っていた。帰り道の俯いた顔を思い出す。あの友人のことで頭がいっぱいのようだった。
「茜さん」
ノックをしても反応がない。友人のことを考えすぎてのぼせたことにも気が付いていないか、雨に濡れて身体を冷やして倒れてしまったか。嫌な予感がして浴室へ繋がるドア開けると、甘い香りが鼻を擽る。
目に入ったのは床へと座り込んだ人間の、キャミソール姿に、太ももまで捲くりあげられたルームウェアパンツ。顔はマスクシートで覆われていて、一瞬茜さんだという認識が揺らぐ。雰囲気からして茜さんでしかないのだが。
「茜さん?」
様子を伺いながら尋ねると、マスク越しに目が合った。
「うわあああ!なに!」
「え、ノックしたんすけど」
「ボーッとしてて聞こえなかった!」
倒れているのではと心配した自分が馬鹿らしく思えるくらいに、茜さんは傍に置いてあったルームウェアの上を慌ただしく羽織った。急いだためかボタンがズレて止められているが、茜さんはそれに気付かない。
マスクを外して顔をペチペチと叩くと、いつもの茜さんの顔が現れた。ズレたボタンによりはだける胸元、捲くったままで露わになった太ももに自然と目がいってしまう。
そういえば少し前にもこんなことがあったなと思い出す。上気した頬、はだけた胸元。茜さんに長年の心の呪縛を解かれて、彼女に対する気持ちが大きくなり始めていた頃、彼女の部屋で夜中二人きりで過ごす機会があった。もちろん、病人相手に何をするわけでもないが、安心しきった顔に少し憎らしさを覚えたのも事実だった。
だから、空気が変わったあの瞬間。茜さんが俺を異性と認識した瞬間、思わず口角が上がった。それから終始顔を赤らめた茜さんに満足して、再び意識を手放した彼女がしっかりと眠ったのかを柔らかな頬に指を刺して確認した。
あちこち触れたい衝動を堪えて、親指を微かに茜さんの唇へと沿わせた。それだけでどうしようもなく心臓の音が強く鳴り響いて、目が冴えてしまい、あまりよく眠れなかったっけ。
でも、今は。
捲られたままのふくらはぎにクリームが付いていることに気が付き、むき出しの足を両手で固定する。
「な!なに!」
「クリームが伸びてないっすよ」
「ちょっ」
柔らかい足に手を滑らせる。足の先から、太ももの許される範囲まで。果たして茜さんは恋人にどこまで触れることを許してくれるんだろう。
「ひゃぁ!まってってば!」
「……」
「やまだっ」
茜さんは俺の手から逃れようと後ろに下がろうとしたが、足はしっかりと固定していたので茜さんは体制を崩して後ろに倒れてしまう。
「うわっ」
頭をぶつけたのは可哀想だと思ったが、今は茜さんの恋人になったわけだし、と自身の行動とこれから取ろうとする行動を肯定した。
足は掴んだまま、崩れた茜さんに覆いかぶさると、あの時と同じく戸惑った表情で下から俺を見上げてくることに優越感を覚える。
その顔に堪えきれなくなり噛み付くように唇を重ねる。その間も茜さんがどんな顔をしているのか、見逃したくなくてジッと見つめ続けた。
「んんっ」
くぐもった声と熱い吐息を唇に感じて下半身が疼く。塞いでいた口を解放すると、ボタンを掛け違えた場所から見える無防備な胸元に興奮して、無意識に手を伸ばしていた。
「だめっ…」
手で制止されるも力が全く入っていないので、手を顔の横へと移動させる。阻む手が無くなりボタンを外していくと、キャミソールでは覆い隠せない白く柔らかそうな肌が視界を占領する。触りたい、触りたい、触りたい。
「あ…」
「……」
偶然を装って柔らかな肌に少し指先を掠めただけで、その感触で頭が支配される。このまま甘い誘惑に溺れようとしたが、寸前のところでブレーキがかかる。
雨が降る傘の中で、隠れるように涙を何度も流す数時間前の茜さんの姿が脳裏を過った。自分だけが必死に今茜さんを求める滑稽さに熱が冷めていく。
それより何よりここは床だし、頭ぶつけて痛そうだったし、と他にも今ではない理由を考えていけば少しずつ冷静さを取り戻していった。
何事もなかったように開けたボタンを再び締めていくと、茜さんは何が起こっているのか分からず困惑しているようだった。
「ボタン掛け違えてますよ」
「……」
あくまで表情を動かさずにその場から立ち上がる。恨めしそうな目で睨みつけてくる茜さんは、急いで太ももを隠して肌の一切見えないルームウェアへと身を包んでしまう。鉄壁のガードを少し残念に思いながらも、また変な気持ちが湧いてこない内にその場から去ることにした。
パジャマに身を包んだ自分は、この後もこの部屋で過ごすことを家主から認められていた。これから過ごす二人きりの時間の中で、茜さんの固いガードが緩まることに僅かな期待を捨てきれない。
茜さんが俺のことで頭がいっぱいになり、もっと戸惑う顔を自分にだけ見せてほしい。他の人のことなんて、考える暇もないくらいに夢中になってくれればいいのに。
甘い香りが鼻を掠める。さて、これから自分を待つのは快楽か忍耐か。
おわり
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