中学生シリーズ

茜さんと、文化祭

 

「山田くん、これからよろしくね!」

ホームルームが終了して、早く家に帰ろうと席を立つと、一人の女が目の前に立ち塞がっている。

またか、そう思った。最近よく知らない女から話しかけられることが増えた。面識の無い人間から話しかけられても、話題は何も無いので返答に悩んでいると、大体相手の方から去っていく。その際に何故か恨めしそうな視線を投げられることは、迷惑以外の何物でもなかった。

俺の何かに不満があるのなら、はっきりと口に出して伝えてほしい。近所に住む年上の幼馴染からは、「もっと人の感情を察することがお前には必要だな」なんて言われるが、表情や言動から人の感情なんてどうやって読み取ることができるのだろうか。参考書ですべて解説してくれたらいいのに。

そんなことを頭の中でボヤッと考えていると、女から話しかけられてしばらく時間が経っているはずなのに、女は不満げな顔を見せることもなくニコニコとしたまま同じ場所に立っていた。

ーーーこの人の、名前は何だっけ。

「茜!また明日!」

「明日ね~!」

そこまで大きな声を出さなくても良いだろうという音量で別れの言葉を交わす女たち。そこで初めて、目の前の人間が「茜」という名前であることを把握する。どうせ把握したところで、数分後には忘れてしまっているだろうけど。

「いつまでそこにいるの?」

それはこちらの台詞だった。この女はいつまで俺の帰り道を塞ぐつもりだろう。ゲーマー仲間が待っているというのに。

「いや、早く帰りたいんですけど何か用ですか?」

自分から初めて発した言葉は、少し苛立ちを含んだような声になってしまった。それでも女はきょとんと目を丸くして、首をかしげている。まるで俺の言葉が理解できていないかのように。

「聞いてなかったの?これから委員会だよ!」

女から言われて、はじめて今朝理不尽に決められた係のことを思い出した。担任の思いつきで決められた3か月後の文化祭の実行委員。嫌だと口にするも、担任にその声は届かず、文化祭実行委員の欄に記された「山田秋斗」という名。

「遅れちゃうから、早く行こう」

腕を無理やり引かれて教室の外へと出される。見た目以上に力の強いこの女が、もう一人の文化祭実行委員か。

面倒くさいな、ただその言葉に尽きる。どんな仕事をするかは知らないが、人の前に立って、人をまとめて、人と積極的に関わる仕事であるに違いなかった。大きなため息が自然と口から零れていった。

「ねぇ、山田くんって私の名前知ってる?」

「……茜、さん」

喋っていないと落ち着かないのか、俺の腕を掴んだままの女は一人でずっと何かを話している。質問をされたので、先ほど聞いた名前を口にすると、何がそんなに嬉しいのか笑顔を見せてきた。

「絶対私のこと知らないと思ってたのに」

「名前しか知らないです」

「だよね~」

余計なことを言うんじゃなかったとすぐに後悔した。そこから面白くもない自己紹介が始まってしまったからだ。適当な相槌を打ちながら歩く委員会の会場までの道のりは、とても長く感じた。

実行委員長の説明を聞いていると、文化祭実行委員というのは案の定面倒くさい役回りだった。企画書提出、予算管理、スケジュール管理……。

「ミスターコン、誰が出るか決めないとね」

隣に座る茜さんは、何が楽しいのか、実行委員長の話を終始笑顔で聞いていた。学校行事全般を全力で楽しむタイプなんだろう。そんな相手とこれから3ヶ月間も一緒に活動することは憂鬱でしょうがなかった。

「山田くん、イケメンだから出たらいいんじゃないかな?」

最悪だ、そう思った。ただでさえ、実行委員になることで自由時間が削られるというのに、これ以上余計なストレスは増やされたくない。

ましてや、俺みたいな人間をミスターコンに出すなんて、本当に理解不能な思考をしていると思ってしまう。

「絶対嫌です」

「えー勿体ない。せっかくイケメンなのに。きっと楽しいよ!」

「そういうの興味ないんで」

人の気も知らないで、勝手に価値観を押し付ける人間は苦手だった。目も合わせずに答えると、そっかぁと少し残念そうに茜さんは言った。

表情は見ていないのに、その悲しそうに呟いた声が、なぜかしばらくの間、頭から離れなかった。

翌日、昨日の実行員会の話をクラス全体へと展開する時間が担任により設けられ、茜さんと共に黒板の前へと立つよう命じられた。渋々教卓の方へと足を向ける。

「じゃあ出し物はお化け屋敷に決まりだね!」

騒々しいクラスの中で、茜さんはクラスメイトたちの様々な意見をまとめていった。俺はというと、茜さんからチョークを渡されて板書係。

「次!ミスコンとミスターコンに出る人決めるよ!」

立候補とか推薦ある人?と茜さんが尋ねる。女たちはなぜか自分以外の人間の容姿の褒め合いを始める。時計をチラッと見て、下校までの時間があまり残されていないことを確認する。今日こそは早く家に帰りたかった。

「ミスターコンは山田だろ~」

悪ノリの好きなクラスメイトが俺の名前を叫んだが、俺は聞こえないフリを決め込んだ。しかし、最悪なことに悪い流れを断ち切ることはできなかった。

「山田くんに出て欲しい!」

「山田くんが出るならミスコンやってもいいかも……」

「えーっ!私も!」

なぜ、と開いた口が塞がらない。クラスメイトたちに自分がどう見えているかは知らないが、このままではミスターコンにまで参加する羽目になってしまう。ただでさえ文化祭に費やされてしまう時間を、これ以上増やしたくないというのに。

絶対に自分の名前を黒板へ書かない俺と、しつこく名前を出してくるクラスメイトたち。下校時間になった時計を見て遂に屈しそうになった時、静観していた茜さんが口を開いた。

「山田くんはこう見えてあがり症だからだめだよ~!他に目立ちたい人いない?桃ちゃんがイケメンにしてくれるってー!」

ニコニコと笑いながらクラスメイトたちへ提案する茜さんのお陰で、別の出場者が決定し、時間ちょうどに終了した。

「茜さん」

「なーに?」

教室を出る前に、まだ席に座ったままの茜さんに声を掛ける。俺は茜さんによって窮地を救われたことを心から感謝していた。

「…ありがとうございます」

なにが?と目を丸くする茜さんは、昨日の態度もありばつの悪い俺の心情を察したのか、すぐに微笑んできた。

「山田くんみたいに嫌なことは嫌ってはっきり主張できるの、すごいと思う」

『山田くんって冷たい』『もう少し空気読めよ』

相手をもう少し思いやった物言いをしたほうがいいと注意を受けることは少なくなかった。そんな自分の態度を肯定されたのは、自分の記憶がある中で初めてのことだった。

茜さんはありのままの自分を受け入れてくれるのか、そう思うと不思議と茜さんという人間について興味が湧いた。なぜ、自分の性格を肯定してくれるんだろう、なぜ、俺の考えていることが瞬時にわかるんだろう。茜さんが自分の中で気兼ねなく話せる数少ない人間の一人になっていくのに、そう時間はかからなかった。

それから文化祭実行委員として、一緒に過ごす時間は増えていった。表立った仕事は茜さんが率先してこなし、俺はそのサポートに徹することで大きなトラブルが起きることもなく、進捗も悪くなかった。

時には放課後残って作業を行うこともあったが、思ったより苦痛ではなかったことに自分自身も驚いた。

茜さんと一緒に行動するようになってから、気付いたことがある。

「木之下!買い出しをお願いしてもいいか?」

「はーい!」

茜さんは何でも仕事を引き受ける。それは実行委員の仕事じゃないだろう、という仕事でさえも引き受けるのだ。担任も担任で、頼みやすい茜さんに何でも仕事を押し付けがちであった。

それは茜さんの人柄の良さが起因ではあるものの、今茜さんに体調でも崩されたら、クラス全体が困ってしまう。極力、負担は軽くしてあげたかった。

「茜さん、俺も行きます」

「えー?山田、塾とか忙しいって言ってたからいいよ!私ちょうど部活休み期間だし!」

「いや一人で荷物とか持てないでしょ」

「私けっこう力持ちなの知らなかったー?」

そして、なかなか頑固だ。

「結局持てなくて荷物落としちゃったりしてもしらないですよ」

「う……ありがとう」

初めから素直に頼ってくれればいいものを。申し訳なさそうにお礼を言う茜さんに、そこまで周囲に気を遣う必要がどこにあるんだ、と思った。

「アイス買っちゃおう」

学校の近くにあるホームセンターで買い出しが一通り終わり、荷物をベンチの上に置いた。傍にある自動販売機で、自分の財布からお金を取り出してアイスを選ぶ茜さん。俺は茜さんが握りしめたお金と財布を取り上げて、再びお金を財布の中へとしまう。

そして茜さんの制服のポケットに手を入れると、中に入っていた買い出し用のお釣りを取り出す。

「こっち使ってもいいんじゃないすか」

「えっ?だめでしょ!?」

オロオロする茜さんを無視して、自動販売機にお金を入れて自分の食べたいアイスを選択する。もう2枚硬貨を入れて、茜さんの手を掴み無理やりボタンに近づけた。

「どれにしますか?」

「え、えぇ……」

「コレ?」

「じゃ、じゃあ、クッキー&クリーム……」

茜さんの手をクッキー&クリームのほうへ運ぶと、ためらいがちに指でボタンを押した。

「あーあ。押しちゃいましたね」

「はぁ!?山田が押させたんじゃん!」

罪悪感に押しつぶされそうな顔をした茜さんの顔が少し面白かった。

「みんなには内緒だね」

先ほどまでの罪悪感が嘘のように、ニコニコとアイスを頬張る茜さんに、フッと笑ってしまって俯く。なぜか自分の緩んだ口元を茜さんに見せるのは躊躇われた。

初めて食べるグレープ味のアイスは何だか思っていたよりも甘酸っぱかった。また食べようね、と言った茜さんの言葉には素直に頷いた。

学校へと戻り、レシートと残金を担任により照合させられた俺たちは、人の金を勝手に使うなと叱られた。怒られて涙目になった茜さんを見ていたら、いつの間にか説教は終わっていて、「いつもしっかり働いてくれているから、今日だけ特別に見逃してやる」と担任が茜さんの頭を撫でた。

「アイス美味しかったですね」

職員室を出て、茜さんに声を掛けると、「バカ」と赤くなった目をしたまま笑っていた。

気が付けば視界に入ってくる、人より少し明るい髪色と眩しいくらいの笑顔。そして耳に通る楽し気な声。全員同じに見えたはずの女なのに、唯一認識できる女。

そしてついに、一緒に過ごす文化祭の日々も、当日である今日で最後となった。

大盛況なお化け屋敷の受付を担当していた茜さんは忙しなく動いているせいで汗を流していた。俺たちは教室の中で客を驚かすだけだったので、クーラーもついていて、汗とは無縁の快適な環境下にいた。

「茜さん」

別のクラスで販売されていた棒アイスが目に入ったので、吸い寄せられるように一本購入した。

「えっ、くれるの?」

アイスを差し出すと、とても嬉しそうに顔を綻ばせる。暑かったから嬉しい、と早速袋からアイスを取り出して口に含んでいた。さっきまで涼しい場所にいて、アイスを食べたいという気持ちは微塵もなかったというのに。茜さんの口に含んでいるアイスがとても美味しそうに見えてきた。

「山田も食べる?」

「あ、はい」

茜さんの口に含まれていたアイスが自分の口の前に差し出されたので、迷わず口の中に含んで一口分かじりついた。

「なぁ…今の見たか…」

「まじかよ」

「あいつら付き合ってんの?」

格段に騒がしくなった周囲に少し疑問を持ちながらも、再びアイスを美味しそうに食べる茜さんから目が離せなかった。

なんで、こんなに自分の心臓の音が聞こえるんだろう。

些細な気持ちの変化に戸惑う、中学一年目の秋。茜さんと、文化祭の思い出。

 

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