「俺、もう帰るわ。茜さん、たこ焼きごちそうさまでした」
「こちらこそ、受験生の邪魔しちゃったよね」
「いえいえ、楽しかったっす」
バイト帰りに山田の家にお邪魔すると、山田の友達だという岡本くんがいた。彼は私に気を利かせて帰ろうとしてくれたが、たこ焼きも二人で食べるには多すぎる量を買ってきてしまったこともあり、彼を一緒に夕食へ誘うことにした。
無口な山田とは対象的に、岡本くんはよく喋る気さくな男の子だった。初対面とは思えないほど話も弾み、山田を差し置いて色々話してしまった気がする。山田の友達をするには、彼のように一人でペラペラ話すくらいがちょうどバランスが良いんだろうなと考えて、また一つ知らない山田を知れたことに口元が緩む。そんな崩れた顔をしていたであろう中、岡本くんと目が合ってしまい少し気まずくなる。
「茜さん、茜さん」
帰る支度を整えて私の方へと寄ってきた岡本くんは、嬉しそうな、からかっているような顔をして、山田には聞こえないように声量を調節して話しかけてきた。
「山田、たぶん、いや絶対茜さんのことすげぇ好きっすよ」
「え?私が居ないときに山田なんか言ってた?」
「いえ、色々聞こうとしたら茜さん来ちゃって」
「なーんだ。岡本くんの想像か」
岡本くんの言葉はお世辞にも聞こえるが、それでも嬉しいような、恥ずかしいような、フワフワとした気持ちになってしまう。
「いやいや、直接聞いてなくても、アイツの態度見てればわかりますって」
私にはほんのり伝わってくる、気を抜いたら絶対に分からない山田の好意。岡本くんは山田の考えてることがわかるなんて、それだけ深く長い付き合いなんだろうなと思った。そんな山田の友人から、自分が彼女でも大丈夫と言ってもらえてる気がして嬉しくなった。
「あ、私もそろそろ帰ろうかな」
23時の針が目に入り、楽しくて長居しすぎてしまったことを反省して立ち上がろうとした。すると一人分距離の空いた場所へ座っていた山田に腕を引かれて、まだその場へ留まるよう言われる。
「茜さんは、ちょっとここで待ってて」
私を置いて山田は立ち上がり、岡本くんを連れて玄関の方へと向かってしまった。岡本くんに手を振ると、彼は何か言いたげな顔をして手を振り返してきた。
もしかして山田は私を家まで送るために、先に岡本くんを帰そうとしているのでは、そう考えて自然と目尻が下がる。岡本くんがあんなことを言うから、ついつい調子に乗った思考をしてしまう。
間を置かずに戻ってきた山田が私の方へやってきて、今度は距離を空けずに横へと座った。先ほどよりも近い距離にドキドキと胸の高鳴りが体中に響いて収まらない。
『絶対茜さんのことすげぇ好きっすよ』
岡本くんの言葉が頭の中で何度も繰り返される。ボーッとしていたからか、透き通った目で山田から見つめられる。自分の顔が山田の瞳に映るくらい、お互い見つめ合っていた。恥ずかしいけど、ここは目を逸してはいけない気がして、山田の整った顔を見つめ続ける。一体、目の前にいる彼は今何を考えているんだろう。どれだけ見ても、私には岡本くんのように山田の考えを汲み取ることはできなかった。
すると、顎に手をかけられて親指で唇に何度も触れられる。さらに山田の顔が近づいている気がして、火照った自分の姿を山田の瞳に映されたくなくて、ギュッと目を閉じる。これはもしかするとーーー
「茜さん、青のり取れない」
「なっ!えっ?青のり!?」
先ほど以上に顔が火照る。キス、されるかと思っただなんて、恥ずかしすぎる。もう山田の顔を直視なんてできなくて、鏡を見てくると言って、山田から離れることにした。
鏡の前に映った自分の唇の青のりを恨めしく思う。冷静になってみれば、山田に手を繋ぐ、ハグする以上のことを期待しても、彼からアクションはあるのだろうか。山田から手を握られたことですら驚いたのだ。ここから先へ進むのは険しい道のりなのかもしれない。
「だから勘違いするな茜」
幸せボケした目の前の顔に喝を入れて山田の元へと戻った。うつろな目をした山田は頬づえをついて私のことを見ていた。もう少し一緒にいたいが、これ以上は山田に無理をさせてしまうかもしれない。
「山田、ごめんね眠いよね。遅くなっちゃったしそろそろ」
「茜さん、明日のバイト何時からですか?」
「えーと明日は夜からだけど」
「このまま泊まっていきますか?」
ーーーだから、勘違いするなってば。
* * *
どうせ何もあるわけ無いから、と山田からの提案を承諾した。お風呂を借りて、山田の大きめなスウェットを身に纏い、先ほどと同じ位置に正座をして待機した。
一人暮らしの高校生が洗濯物に気を遣っているとは思えないのに、服からは山田の良い匂いがして、抱きしめられている錯覚に陥り一人悶絶する。
「じゃ、寝ましょうか」
「あ、ハイ」
ベッドへと案内されて中へ入り込むと、山田はどこからか持ってきた布団を掛けて床に寝転んだ。
で、ですよねーーー!
予想通りの展開に少し涙目になる。好き合ってる男女がお泊りするのだから、もっと寝る前のスキンシップくらいあったっていいではないか。
「山田、床で寝させるのは申し訳なさすぎるよ」
「いやでも一緒に寝るわけにはいかないですよね」
「い、いっしょにねてもいいんだよ!だってわたしたちコイビトなんだから!」
これで断られたら青のり以上の恥ずかしさだなと言葉が片言になってしまう。自分にしては大胆な発言に、山田のいる方を背にして返事を待った。しばらくすると、ギシッとベッドの軋む音が聞こえてきて、嬉しさ少々とうるさすぎる心臓の音が気になるのとで頭が混乱してしまう。鎮まれと両手を胸の前で握りしめて目を瞑った。
「そういうもんなんすか?まあ、茜さんがいいなら失礼します」
布団を捲られて冷気が少し入ってきたが、すぐ背後に温もりを感じる。シーツ伝いに感じる熱に恥ずかしさで泣きたくなった。
「ふ、ふたりでねてもぜんぜんせまくないね」
「そうっすね」
「おおきさはなにになるの?せ、セミダブル?」
「えー……」
緊張を紛らわすためにした問いだったが、返ってきたのは規則正しい寝息だった。
「や、やっぱりもうー!」
向きを変えて山田を確認すると、綺麗な寝顔を見せてきて憎たらしい。いつも私一人で振り回されてしまう。私の山田に対する好意と、山田の私に対する好意は大きさが異なるのかもしれない。それはそうだ、今まで恋愛に興味なんてなかったと公言していたのだから。
私のことを好きだと言ってくれただけでも幸せではないか。そう結論付けて、このまま起きててもしょうがないと目を閉じた。
ピルルルルル
どれくらい時間が経ったのかは定かではないが、自分のではない着信音で目が覚めた。部屋の外から日は差し込んでいなかったので、あれからそこまで時間は経っていないだろう。
ピルルルルル
鳴り止まない着信音の根源は、山田の頭の横に置かれたスマホからだった。このままではせっかく眠っている山田を起こしかねないと思い、スマホに手を伸ばすために上半身を起こした。山田にぶつからないように上半身だけ山田へ覆い被さる形になり、山田のスマホを手に取ると、画面に映し出された着信相手にドキリとする。
“佐々木瑛太”
そういえば瑠璃姫こと瑛太くんに報告をしていなかったことを思い出して、急に罪悪感が芽生える。せっかく私の恋を応援してくれていたのに。
ピルルルルル
それにしても、何度も何度も切れては鳴る。そんなに急用なのだろうか。気になって画面の時間を確認すると、1:35の表示があった。こんな時間に何度も掛けてくるなんて、もしかしたら瑠奈ちゃんや家族に何かあったのかもしれない。
着信の止まないスマホを眺めながらどうするかを悩んでいると、急に強い力で腰を引っ張られた。上半身は山田の下を跨ったままだったので、下にいた山田へと体重をかけてしまう。
「ぎゃっ!!!」
山田の顔に胸を押し付ける形になってしまい悲鳴を上げたが、山田は起きる気配もなく、背中はしっかりと掴まれたままだった。顔をこすりつけられる度に恥ずかしさで消えたくなる。山田は寒がりなのだろうか。なるべく体重をかけないように腕と腹筋とを駆使して身体が解放されるのを待っていた。
ピルルルルル
いつの間にか手放していたスマホが再び鳴り、瑛太くんに何かあったのかもしれなかったことを思い出した。起こすかどうか、自分の胸に顔を埋めている山田を見て考える。この状態で起こすのも、どんな顔をして話せばいいのか、途方に暮れていた。
「……なんすか」
突然下から聞こえてきた掠れた低い声に驚きを隠せなかった。身体が反応して山田から離れようとするも、腰は片腕にしっかりと固定されたまま、動くことはできなかった。
『もうー!何回鳴らしたと思ってるんだよー!』
そして何故か繋がった通話に驚く声を必死に押し殺す。
「何時だと思ってるんですか」
『暇なのー』
「俺は暇じゃないです、寝てます」
暇なだけであんなに電話を鳴らすのかと、瑛太くんの行動を疑いながらも、寝起きで不機嫌そうな山田がスピーカーに切り替えて話を続ける。
『もう起きたでしょ?』
「だから寝てるんだってば……」
ーーー山田は私がいることを忘れていないか?
恨めしくなって下にいる山田を強く睨むと、やっと目が合った。でも目が合ったからといって腰が解放されるわけではなく、私の腕と腹筋は限界に近かった。山田はスマホから離したもう片方の手を腰に沿えてきた。ひんやりとした感触が横腹を直になぞったことに耐えられず、バランスを崩して山田の上へ覆いかぶさってしまう。
「っ………!」
『それで瑠奈がさー』
まだ瑛太くんと電話は繋がっている。声なんて一言でも発したら怪しまれてしまう。
そんな私の葛藤はお構いなしに、山田から後頭部に手を沿えられて、気付いたらキスされていた。
『ドーナツくらいであそこまで言われるとさー』
瑛太くんの声を聞きながら、私は一言も声を発しないように小心の注意を払いつつ、山田にされるがままキスを受けている。するとぐるりと視界が反転して、山田から覆い被さられる。暗闇の中なのに、目が離せない。吸い寄せられるように、山田の首に手を回して、再び口付ける。
『もう!あっくん聞いてる?』
「……聞いてますよ」
「……っ」
唇が触れたままの状態で、瑛太くんへ相槌を打つ山田。
ーーー私は一体何をしているんだろう。
『そう?ならいいんだけど』
話を続ける瑛太くんに適当に相槌を打ちながら、山田はキスを続けてくる。溢れる吐息と、時々音になってしまう唇が吸われる音に全意識が集中する。もう瑛太くんの声なんて全く頭に入ってこなかった。
『もういいよー!つれないんだからっ!』
その台詞を最後に瑛太くんの声は聞こえなくなった。いつまでそうしていただろうか。暗闇に視界が慣れてきた頃、身体を起こした山田の唇が、どちらの唾液か分からないほど濡れているのが艶かしくて、声にならない声が出そうになって口を手で覆った。
「どうしたんですか?」
そんな私を不審に思った山田からやっと言葉を投げかけられる。
「山田、こんなキスとかしないかと思ってたから……」
ずっと我慢をしていて絞り出した声は掠れていた。山田はどこか呆れたような顔をして私のほうを見ている。
「……俺のことなんだと思ってます?布団の中に一緒に入ることの意味くらい知ってますけど」
「へ『きゃあああああ!あっくんのエッチ♡』
「!?!?!?」
「……は?」
再び聞こえてきた騒がしい声に心臓が止まるかと思った。もしかして、もしかしなくても今の会話を聞かれてしまった。瑛太くんは会話を止めただけで、電話は切れていなかったのだ。
珍しく目を見開いた山田は俊敏な動きでスマホの通話画面をオフにした。こんなに焦った山田を見たのは初めてだった。
「な、なんで通話中のままなの……!」
「普段自分から切っちゃいけないから切るの忘れてた……」
「もう!今度からチューするなら切ってからにしてよね!!!」
青のりよりも、何よりも今日一番恥ずかしくて、消えたくなった。そこからお互い少し気まずくて、背を向けて目を瞑ったが睡魔は襲ってこなかった。
翌日、私はFOSにログインをする勇気は無かったが、瑛太くん直々にお誘いの連絡が来てしまい逃げられず。質問攻めに遭い、二晩連続眠れぬ夜を過ごす羽目になってしまったのだった。
おわり
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