彼氏ができたら、こういうのって無しっすか?

 

いつからだろう、こんなに頭から離れなくなったのは。気が付けば、あの向日葵のような笑顔に脳裏を埋め尽くされている。

―――やまだーっ!!

彼女から呼ばれる名前が心地よくて、声をかけずに彼女の視界に入ろうとしたこともある。そんな行動を取る自分は初めてで、未だに戸惑い続けている。

出逢った時は面倒くさい女だとしか思わなかったのに。自分の中にズカズカと入り込んできて、喜怒哀楽が激してくて、それでいて少し心が弱くなる一面もあって、年上なのに目が離せない。彼女は出会ってたったの数ヶ月で、人の心に疎い自分とも正面から向き合ってくれる数少ない知人の一人になった。

 

彼氏ができたら、こういうのって無しっすか?

 

「おーい!おーいってば!」

「……」

頬をペチッと叩かれて、また茜さんのことを考えていたことに気付き、自分に呆れる。そんな俺の目の前には険しい顔をした瑛太さんがいた。

「秋斗、お前最近ボーッとしすぎ。何かあった?」

「別に何も……」

茜さんのことを考えてたなんてこの人に話したら、何と言ってからかわれるか分からない。何度名前を呼びかけられていたかは定かではないが、しらを切ることにした。

今日も瑠奈さんの家庭教師を終えて、いつも通り暇つぶし要員として瑛太さんの部屋に呼ばれていた。瑛太さんの部屋では漫画を読んだり、ゲームをしたりして、彼の一方的な話を聞き流すのが幼い頃からの過ごし方だった。

「だからさ、この前あかねっちがさー」

“茜”という三文字に少し反応した気がして、しまったと思った時は既に遅く。ニヤニヤと目と口を歪ませる瑛太さんが視界に入り、ため息をつく。

「んー?秋斗くーん?あ・か・ねっちがこの前俺のバイト先に来たんだよー♡」

わざと名前を強調した言い方をしてくる瑛太さんをひと睨みするが、もちろん効果は全くもって無い。これ以上、面倒くさい絡み方をされる前に立ち去ろうと鞄を手に持つと、肩を強引に組まれてその場に留まらされる。

「なあ、そろそろ認めたらどうだ?お前好きなんだろ?あかねっちのこと♡」

「恋愛とかよくわかんねーって言ってるじゃないすか」

「いやいや、俺の目は誤魔化されないぞ!恋するのは初めてだろうし、お兄さんがアドバイスをくれてやろう」

「……」

彼女を好いてはいる。女は苦手と幼少期から距離を置いていたのに、彼女のおかげで自分に向けられる好意を少し前向きに受け取れるようになった。そういう意味でも自分にとって特別な存在であり、また四六時中彼女のことを考えてしまっているこれが恋でないのなら一体何なのかも気になる。

「……別にこれが恋だったとして、その人の彼氏になりたいわけでもないし」

「は……?」

「え……なんすか」

「お前、好きな人の彼氏にならないでどうする!恋人にならないとできないことだってあるんだぞ!」

「例えば?」

「え、えーとだな」

俺の口からは…とモゴモゴ濁す瑛太さんは何を言おうとしているのかは分からなかったが、追求すると話が長くなりそうなことを察して無視をすることを決めた。瑛太さんはそんな俺をこの話に繋ぎ留めようと話を続ける。

「そんなグズグズしてるとその子に彼氏ができちゃうかもしれないだろ」

「まあそれはあり得るけど」

「そんな悠長なこと言ってられないぞ?彼氏ができたら連絡すら取れなくなるんだからな」

「は?なんでですか」

連絡すら取れなくなる?彼氏ができるとなぜそうなるのか、彼女のいたことがない俺は理解ができなかった。

「その子はもう彼氏の物になるんだ。他の男と連絡を取ったり会ったりしたらダメだろ」

まあ俺はその辺寛容だし相手の男によるか、と笑った瑛太さんの言葉は頭に入ってこなかった。自分は恋人にならなくてもいいと思っているが、なぜ会えなくなってしまうのか。それは、少し不愉快だなと思った。

そんな時、手に持っていたスマートフォンが振動したので視線を落とすと、そこには着信画面が表示されていた。着信相手は「木之下茜」。その文字をしばらく眺めてしまい、ハッとして急いで通話ボタンをフリックした。

「はい」

『もしもし山田!今ひまー?』

「……用件によりますけど」

「誰誰?あかねっち?♡」

俺のスマートフォンに顔を近づけてくる瑛太さんの顔をかわして立ち上がる。鞄を肩にかけて、扉へと向かうことにした。

「えー俺のこと置いてあかねっちのところに行っちゃうんだぁー」

「瑛太さんもうバイトの時間ですよね、だから帰ります」

うるうると瞳を滲ませた瑛太さんを置いて部屋を出ると、電話越しで待たせている茜さんに声を掛けた。

「すいません。で、なんすか?」

『それがさぁ、特売でついつい買いすぎちゃって……。近くに居たら荷物を一緒に持ってくれないかなーなんて』

「は?そんなの責任持って自分で持って帰ってくださいよ」

『やまだぁー山田しか頼る人いないんだよぉー』

「……どこにいるんすか」

『かみさまぁぁぁー!』

どうしようもない用件なのに、着信がきたことも、自分の名前を呼ばれたことも、自分を頼ってきたことも、全て悪い気がしない。むしろ良い気分だった。

そこまで思考を変化させられる恋なんてやっぱり面倒くさいだけだな、と思いながら茜さんが伝えてきたスーパーへ足早に向かった。袋詰めしてからあまりの多さにその場から動けなくなってあたふたしている彼女を想像すると可笑しくて、フッと声に出して笑ってしまった。

まだ100メートル以上先にあるスーパーの出口には、大袋が四つ乗ったカートと、茜さんが見えた。それと―――横には知らない男。茜さんも談笑していることから、ナンパなど無理やり絡まれているわけではないらしい。

『彼氏ができたら連絡すら取れなくなるんだからな』

先ほどの瑛太さんから言われた言葉が頭に木霊する。自分の知らないところで、茜さんは今みたいに知らない男と仲を深めて、いつの間にか彼氏ができていたりするのだろうか。

焦る気持ちと連動するように急いで身体を動かした。普段滅多に走ったりはしないけれど。

「木之下さん、俺今度サークルの合宿で群馬行くよー!」

「へーそうなんだ。じゃあ尾瀬のほうとかいいかもね。知ってる?」

「あー、えーと…………。CMで見たことあるかも」

「茜さん」

カートの前まで来て、名前を呼ぶと、二人の視線が俺の方へと向いた。俺を視界に入れた茜さんは瞳を潤ませ始める。

「やまだぁー!山田様は私の恩人ですぅー!神様ぁー!」

両腕を大きく広げて近づいてくる茜さんをかわして、何でこんなに考えなしで買ったんですか、と苦言を呈する。言い訳を必死にしてくる茜さんに一つ一つ突っ込んでいくと、隣にいた知らない男が話に入ってきた。

「あー木之下さん、買いすぎちゃったのかー。俺車で来てるから乗せるのに」

「えっそうなの!」

おいおい、わざわざここまで来た意味をどうしてくれる、と男の発言に苛立ちを覚える。茜さんは申し訳なさそうに誘いを断るが、男は引くことを知らないようだった。何だかもどかしくなって、思わず口を挟んでしまう。

「家、こっからすぐなんで。車に乗るほうが時間かかると思います」

「あ……そうなんだ。何かごめんね」

「いやこちらこそ折角の提案を……この子呼んだから大丈夫!またね!」

「また大学で!」

こういう時に茜さんとの年齢差を思い知らされる。子供っぽい所があるとは言え、第三者から見れば俺はまだ高校生で頼りない。免許だって取れれば車を乗りこなす自信はあるが(ゲーム感覚で)、一応受験生な今、教習所に通う余裕はない。悶々と考え事をしていると、急に呼び出されたことを不服に思っていると感じ取ったのか、茜さんはすごい勢いで謝ってきた。

「山田ごめんねー山田しか頼れる人いなくてさぁー」

そう言って上目遣いをしてくる茜さんを可愛いと思ってしまう。自分の心臓の音がよく聞こえるようになってきて、余計に緊張してきた。何なら顔も熱い気がする。そんな情けない姿を見せたくなくて、カートに乗せられていた四つの買い物袋全て手に持って、茜さんの家の方向へと歩き出す。

「山田待って!半分こしよう!さすがに全部は申し訳なさすぎる!」

そう言って茜さんに左手を掴まれる。手の感触に驚いて握力を弱めてしまった隙に、二つの袋が茜さんの手へと渡ってしまった。

「うわ、二つでも重いわ。山田細くてヒョロヒョロしてそうだけど、ちゃんと力はあるんだね」

一瞬触れた左手の温もりをしばらく忘れられないまま、茜さんの家まで他愛もない話をしながら歩いた。

「冷蔵庫に入れてもらってもいーい?」

部屋に入ると、何度も訪れて把握し始めた冷蔵庫へと向かい、食材を入れていく。自宅の冷蔵庫には無い様々な食材を並べていくと、懐かしくて少し切ない気持ちになる。

「夕ご飯食べてって!今日はハンバーグの気分なんだけど一人分じゃ勿体なくて」

「あざす」

慣れたように以前許可された座椅子に座って、テレビを点ける。特別見たい番組はやっていなかったが、時折訪れる無音を繋ぐには最適なツールだ。

しばらくすると玉ねぎを炒める匂いが鼻を掠めて、腹がグーッと音を鳴らした。何を食べても美味しい茜さんの料理はハンバーグもきっと美味しいんだろう。

―――こんな贅沢な日常を知ってしまったら、以前の生活に戻れるのか?

今日瑛太さんと話したことを、また性懲りもなく考えていた。茜さんから連絡が来ることも、男として頼られることも、部屋に上げてもらうことも、美味しいご飯を振る舞ってくれることも、全て存在しない以前の日常に。

「茜さん」

「なにー?」

「彼氏ができたら、こういうのって無しっすか?」

「へ?彼氏?何の話ー?」

ワンルームの外にあるキッチンで茜さんがどんな顔をしているかは分からなかった。何かを炒めている音と、テレビの音でお互いの声は聞き取りにくくなっていて。声を張り上げてこの話を説明する気にはなれなくて、自分で問いかけたのにも関わらず話を終わらせた。

少しして、部屋中に食欲をそそられる匂いが充満し始めた。キッチンを覗くとハンバーグとサラダ、スープが出来上がっていた。テーブルまで運ぶ間にもお腹は鳴り続ける。茜さんにも聞こえたのか、クスクス笑われた。

料理は想像していた以上に美味しく、勧められるがままにご飯のおかわりまでした。食べ終わった頃には、久しぶりに感じる満腹感に眠気を誘われる。

ベッドで横たわってもいいよ、という茜さんからの言葉を遠慮して、ベッドに背中を預けながら眠気を耐えていた。

「そういえばさっきなんて言ってたの?」

「ああ……茜さんに彼氏ができたら、今日みたいなのできなくなるって瑛太さんが。そういうもんなんすか?」

「えっ、なに急に……。まあ彼氏が出来たらこうして男の人を家には呼べないかな。相手に同じことされたら私が不安でしょうがないからね。心配かけないように私はしたいかな」

「そうすか」

彼氏できる予定がないけど、そう言って笑う茜さんが憎らしい。ここへ来る前も同じ大学の男と仲良くしていて、しかも男の方は満更でもない様子だった。

「私に彼氏ができたら寂しいのかー?」

そう言って俺の頭を撫でる茜さんが俺のことをからかっているのは分かっているのに、簡単に受け流すことができない自分に嫌気が指す。

「まあ、そうっすね」

「え!?」

「茜さんと会えないっていうのは、ちょっと寂しいなって思います」

恥ずかしい台詞というのは承知の上で、なけなしの勇気を振り絞る。告白をして、彼氏にならないといつか失ってしまう日常。何と言って茜さんに対する気持ちを伝えればいいんだろう。いやもう、そのままストレートに、「好きです」の一言を―――。

ちゃんと顔を見ようと視線を向けると、顔を真っ赤にして涙を流す茜さんが視界に入って驚く。両肩を力強く掴まれると、顔を至近距離まで寄せられて、ここまで心拍数が高まることがあるのか、というほどの心臓の高鳴りを覚えた。

「わかった!私もう彼氏作らない!あんなに私に無関心だった山田がここまで心を開いてくれてるのが嬉しすぎてどうしよう!!!」

「…………」

「やまだぁーーー山田も彼女作っちゃだめだよー」

そのまま首に腕を回して抱きつかれたので、困惑しながら俺も茜さんの腰に軽く両腕を回す。思っていたのと違う展開だが、腕の中に収まる茜さんにドキドキして、思考が正常に働かない。

―――茜さんに彼氏が出来なければ、この日常は変わらないし、いいってことだよな?

「茜さんが、そう望むなら」

この判断を後悔することになるとは、この時の俺は露知らず。

茜さんの髪から香る心地よさと、食後からくる満腹感によって眠気のピークがきてしまったようだ温かい体温の茜さんを抱えたまま、瞼を閉じると急速に眠りの中へと引きずられていく。

誰もこの幸せな日常を壊すことがないようにと願いながら―――。

 

終わり

 

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合コンで知り合った知ったかする男の子、地味に好きで登場させてみました

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