娘から好かれる方法10選 第三章 コミニュケーション 第三節 家事をしよう
”あなたは家で家事をしていますか?娘は母親だけが家事をしていると父親に対して良い印象を持ちません。毎日家族の生活資金を稼ぐために必死で働いていても、家事を担う妻に感謝し、家族との時間を大切に過ごしましょう。”
石垣で作られた重厚な門を潜ると、一面に広がる海と巨大な船が何隻にも渡って来航している光景が広がった。街にある建造物の外観はカラフルで賑やかな印象だ。
そんな活気あるオベリアの南に位置する都市、シオドナへ初めて足を踏み入れた。
「初めて海を見た」
そう言って赤い瞳を輝かせた黒髪の少女は俺の娘だ。娘は皇族の証である青い宝石眼とシルバーブロンドの髪を隠して隣に立っている。そういう俺も娘と同じ瞳と髪色になるよう魔法をかけていた。
『パパ、そのまま街を出るつもり?』
『なにか問題あるのか?服だってお前と同じ……』
『違うよ、この瞳じゃ皇族だってバレちゃう』
アタナシアは自分自身に向けて魔法を唱えると、一瞬で眼と髪の色を変えてみせた。いつの間にか変身の魔法を身につけていたことに驚いたが、妙に手慣れていたのが気になった。
『お前、家を出たときにも同じことをしていたな』
そう指摘をすると、あからさまに焦った様子を見せたアタナシア。俺の前から姿を消したときのことは未だに思い出しては不快な気持ちになる。
『捜索司令を出しても見つからないわけか』
『そりゃあ!命の危険があったんだから、当たり前でしょ!』
アタナシアは開き直って睨み返してきた。確かに、当時殺そうとしたことを触れてほしくはない。その点について反省はしていたので、ここは折れて、自分も変装をすべきと判断してアタナシアの外見に合わせて魔法をかけた。そして、ダイアナの故郷であるシオドナへと瞬間移動をして今に至るのである。
ダイアナからは貧しい街と聞いていたが、十五年という月日が流れたからか、活気のある城下町に負けない都市と言っても過言ではなかった。
初めて訪れるダイアナが育った場所に、何故か落ち着かず、露店を歩いて回るアタナシアの後ろをただただ付いていった。
アタナシアが満足した頃合いを見て、本来の目的であるダイアナの生まれ育った家へと向かうことにした。彼女が皇宮入りして、罪滅ぼしのために貧しいという彼女の家に、僅かではあるが資金援助を行った。(僅かと言っても家族が働かなくても一生を暮らしていけるだけのお金らしいが)
その割に辿り着いたのは年季の入った木造の家で、ここに人は住めるのかと疑う小ささであった。立て付けの悪い扉を力いっぱい開けると、パーンっと音を立ててしまい、隣に居たアタナシアが騒ぎ立てる。
「ちょっと!人の家なんだから乱暴はダメだよ!」
「しょうがないだろう」
言い合いになったところで、住人の気配を感じた。中から顔を覗かせたのは老夫婦で、赤い瞳をした女は顔に皺があり髪色も色素が抜けてきているものの、ダイアナを思い起こさせる。俺は時が止まったかのように、その場から動くことができなかった。
「ど、どちら様でしょうか?」
恐る恐る尋ねてきた男はダイアナの父親だろう。腰が曲がっているが、妻を守ろうと不法侵入者である俺たちの前に立ちふさがる。
「パパ!魔法解かないと!」
アタナシアは俺の変装もまとめて解くと、いつもの青い宝石眼に戻り、ウェーブのかかったシルバーブロンドの髪をなびかせた。
「ダイアナ……」
アタナシアを目にした老夫婦は目に涙を溜めて口を手で覆った。十五年前に踊り子となり家から出ていった娘を思い出しているのだろう。俺の娘は本当に母親そっくりの容姿をしていたから。そして、魔法の解かれた俺の方を見ると、二人はすぐに涙を引っ込め驚愕していた。
「もしかして……クロード皇帝陛下とアタナシア姫……?」
「そうだ」
女が発した言葉を肯定すると、まだ状況が飲み込めていない老夫婦はあたふたとして跪いた。
「ご無礼をお許しください。見ての通り家には何もございませんが、良ければ上がっていってくださいな」
想像していたのとは少し違うが、こうして俺たちはダイアナの故郷へ行き、両親に会うことができたのだった。
珍しく緊張しているのか、ぎこちない顔をしたアタナシアは案内された席に小さく丸まって座った。狭い部屋なのに、心地良いと感じるのはダイアナが生まれ育った場所だからだろうか。
「今朝採れた魚しかなくって……」
「ありがとうございます……お、おばあちゃん」
「そんな姫様、恐れ多い」
顔を真っ赤にして照れるアタナシアを初めて見た。それとは対象的にボロボロ涙を流す女。男の方も少し泣きそうになりながら、女の背中を擦っていた。
少し会話をするとすぐに打ち解けたアタナシアは、女と一緒に台所へと立つ。どうやら魚の捌き方を教えられているようだが、包丁も握ったことのない娘が手を切ってしまうのではないか、誤って包丁を落として足を怪我するのではないかと不安が治まらない。
「アタナシア、そんなことしてないでお前はこっちへ来い」
アタナシアを呼びつけると鋭い目つきで睨まれて、ギョッとする。どこか蔑んでいるような顔だ。
「逆にパパも何か手伝いなさいよ!」
「なんで俺が……」
「そんなパパじゃ一緒に居て恥ずかしい」
闇黒な世界に突き落とされた気分だった。外見だってアタナシアに合わせたし、口角を上げる練習だって毎日継続している。友人へ自慢したくなる父親像を着実に築き上げていたはずなのに。
そういえば、と本にも家の手伝いをしない父親は嫌われると書いてあったことを思い出す。家事はメイドたちの行う仕事だという認識が幼少期から根付いており、この章を読んだときに自分は対象外だと思いこんでいた。まさかここへ来て嫌われる要因となってしまうとは―――。
急いで何かあったときのためにと服の内側へ仕舞い込んでいた本を取り出し、該当の章頁を開く。
包丁の使い方の頁には野菜を切る方法が何通りも記されていて、どれを参考にしたら良いのか分からない。包丁を使用して動物を型どる方法、これはアタナシアが好きそうだと説明文を読むが、これまで勉強したどの学問より難解で、知らない言語が使用されているようだった。
掃除だって、どこが汚れているか分からないこの家をどうやって綺麗にするんだ、と絶望していたその時。
『あなたにできることをしましょう。たとえば重いものを持ち運ぶとか』
最後に記された一文を見て、希望の光が差し込んできた。先程男は野菜を取ってくると外へ出たが、腰を擦っていたことを思い出す。急いで外へ出て、辺りを見回した。すると、大きな球体の野菜を腕いっぱいに抱えて、家に戻ってこようとしている男が視界に入る。全てを奪い取ると、男は焦って野菜を取り返そうとしてきた。
「陛下はお部屋でお待ちください」
その言葉を無視して歩く。初対面の人間なのに、嫌悪感が無いのは、邪神のない純粋な人物だからか、この男がダイアナの父親であるからかはよくわからない。
しかし、大切に育てた愛娘が知らない男の元へと行ってしまい、命を落としてしまったと訃報を聞いた折には何を思ったのだろう。娘を奪った俺が憎くて仕方なかったことは確かだ。今、娘を持つ父親になったためか、この男へ対する同情が胸の中をつかえてくる。
「俺を、恨んでいるだろう」
「…………」
突然の問いに戸惑っているようだった。皇帝に対して言葉選びを慎重になっているのか、答えは中々出て来ず、沈黙がとてつもなく長いものに感じた。
「嬉しいです」
「……?」
「娘に瓜二つの姫様をこの目で見られて、娘が陛下に愛されていたことを実感することができたのですから」
この男が何を言っているのかよくわからない。娘が俺に愛されていることがわかって嬉しい?もうこの世にはいないのに―――?
「娘が死んだのは、陛下のせいでも、姫様のせいでもありません」
「ちがう、俺が」
「娘は、ダイアナは―――あなたのことが愛しいと」
男からの言葉を耳にしたその時、家から出てくるダイアナの幻覚が見えた。シオドナの民族衣装を着た踊り子の姿は、初めて彼女と出会ったときのようで―――。
「パパっ!」
娘からの呼びかけに現実へと引き戻される。目の前にいたのは、踊り子の格好をしたアタナシアだった。
「お前……心臓に悪い」
「なんでよ!おばあちゃんがママの服を着せてくれたんだよ!」
その場でくるりと一回周って衣装の裾をなびかせる。少し透けたピンク色の生地は、十四歳のアタナシアには少し大人びているように見えた。
「これはパパと初めて出会ったときの衣装なんだって」
「…………」
なぜそれがこの場所に、そう思った。ダイアナが城へ居たとき、外部との関わりを断たせたはずだった。
「娘が、定期的に手紙を送ってくれました。騎士の方が援助してくれたとか」
女の答えを聞いて、フィリックスがダイアナを気にかけていたことを思い出す。まさか、フィリックスが俺の命に背いて動いていたのは知らなかった。
「手紙には陛下とのことや、姫様を妊娠したことなどが幸せそうに綴られていました」
「…………」
「だから、娘が死んだと聞いたときは、手紙の幸せな内容は本当だったのかと疑いました」
「…………」
「ですが、今日、陛下が姫様を大切にしてらっしゃる様子を見て、確信したのです。娘のことも同じように大切にしてくださったんだなと」
直感がこの言葉たちは嘘ではないと告げていた。この両親たちは気遣って言っているわけでないということを。
しばらくアタナシアと老夫婦は会話や食事を楽しんだ。そして、また来ると告げてダイアナの実家を後にした。
許されたくてこの場所へ来たわけではなかった。自分自身の罪と向き合うためにここへ来たのに。その言葉が頭の中で反芻し続けていた。
日も暮れてきたが、アタナシアが浜辺を歩きたいと言ったので、砂浜に一人立ち尽くす。ダイアナの衣装を着たまま、裸足で海に入るアタナシアの姿は先ほどとは異なりどこか幼く見える。そういえば、変装させるのを忘れていた。
「パーパー!」
初めての海が嬉しいのか、遠くから大きく手を振るアタナシア。転んで塩水に浸かってしまうのではと心配になるが、そんな俺の気持ちはお構いなしに走り回っていた。
いつか、一緒にこの街へ来ようとダイアナと約束して、その約束は果たせないまま今日まで過ごしてしまった。その約束を、彼女が残した娘と共に今日、やっと果たすことができた。
いつになったらダイアナを想う気持ちから解放されるんだろう。多分一生忘れることはないのかもしれない。黒魔法を持ってしても、忘れることができなかったのだから。
ダイアナ、お前のことを、今でも変わらずずっと―――。
風が舞う。どこかで俺たちのことを見ているのだろうか、なんてくだらないことを考えた自分は愚かになったものだなと失笑した。
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