娘から好かれる方法10選 第二章 外見 第二節 匂いに気を遣おう
娘は匂いに対して敏感です。特に体臭には気を遣いましょう。いくら外見を良く見せることができても、娘に臭いと思われてしまえば、同じ空間に居ることさえ拒まれます。
これは父親が嫌いな理由の上位に必ず入るので、毎日のケアを怠らないようにしましょう。
「姫様・・・大変申し上げにくいのですが、本日も陛下の体調が優れずお会いできる状況ではありません」
皇帝陛下の部下であるフィリックスから申し訳なさそうに謁見の断りを受けたのは、娘であるアタナシア姫だった。彼女が父・クロードへの面会謝絶を受けたのは今日が初めてではない。
(最後に会ってから今日で一週間かーーー)
アタナシアの家出騒動が一段落し、再び彼女が皇宮での生活に戻ってからは、クロードとアタナシアの関係は非常に良好と言えるものだった。それはアタナシア本人だけでなく、皇宮の誰に聞いても同じ回答をするだろう。
クロードは突然現れた14歳の娘が気になって仕方がないのか、アタナシアを拒否するどころか、彼女と交流を持ちたい様子が隠しきれていなかった。
フィリックスの仲裁もあり、最近の二人は一緒に街へ出かけるまで関係が進展していたはずなのに。
ここに来て突然の面会謝絶にアタナシアは戸惑いを隠せなかった。クロードは物珍しい「娘」という存在に飽きてしまったのか、それとも何か怒らせるようなことをしてしまったのか。避けられる理由に心当たりのないアタナシアは途方に暮れていた。何度も言うようだが、一週間前までは本当に良好すぎる関係だったのだ。
(この前、無理やりケーキ屋さんをはしごさせたことに怒ってるとか?)
アタナシアはエメラルド宮の自室へと戻り、ベッドに寝そべりながら、最後にクロードと会った朝を思い出す。
それはいつもと変わらない日常のひとコマであったはずだ。いつものように庭へ行くとクロードは席についていて、挨拶をしてアタナシアは席へ座った。
「パパ、最近街に新しいケーキ屋がオープンしたんだって」
「・・・・・・」
「チーズケーキならパパも食べれるでしょ?」
そんな他愛もない話をしながら、ケーキを頬張るアタナシア。次から次へと休むことなくケーキを口へ運ぶアタナシアに、クロードは呆れた様子で彼女を見つめていた。
「ふぁぁ」
会話の最中(とは言ってもアタナシアが一方的に喋っているのだが)、アタナシアは無意識に欠伸をしてしまい、しまったと思った時には既に口から欠伸が零れた後だった。咳をして誤魔化すが、わざとらしい演技になってしまったかもしれない。
近頃はルーカスに魔法を教えて貰い、夜も一人隠れてこっそり練習していることもあり、完全な寝不足だった。
しかし、クロードと一緒に過ごす時間に欠伸をするのは良いこととは言えないだろう。
アタナシアは焦りから、口に付けたティーカップを戻そうとして手元を狂わせてしまい、机の上にお茶をこぼしてしまった。
メイドが慌てて片付けをしているのを申し訳なさそうに見ていると、クロードは席を立ち、視線も合わさずにスタスタと宮殿の方へ戻っていってしまったのだ。これがクロードとの最後の記憶である。
「でも欠伸ひとつでここまで怒るかな」
以前のクロードだったら、「寝不足なのか」「なぜ寝不足なのか」そこまで問いただした後に寝不足の原因を取り除く手配をするだろう。
だが今のクロードはまたタイプが違う。精神年齢が10歳若いだけでなく、父親としての記憶が一切無い。
一見性格は大差無いように見えるかもしれないが、断然今の方が気は短い。この前もアタナシアが食べたいと言った一日数個限定のフィナンシェが売り切れだった時は、アタナシアが止めるのも厭わず、店主を脅して一から作らせていたほどだ。
欠伸で怒るのも十分にあり得る、そうアタナシアは思った。
アタナシアにとっては、幼い頃からクロード攻略が今後の人生を左右すると考えていたので、彼と会う度に目を光らせて観察し、ご機嫌取りに勤しんでいた。
その苦労の甲斐もあって、一年前まではクロードから娘として認められ寵愛を手にするまでに至った。
ーーー本来ジェニットがいるはずだった地位を手に入れて。
記憶を失ってからのクロードに対しては、相手から攻撃的な態度を取られたということもあってか、遠慮無く接してしまっている気がするのは否めない。決して今の彼を下に見ているわけではなく、良い意味で対等な関係だったのかもしれない。
以前であれば、どんなに眠かろうとそれを表に出すことはせず、笑顔を振りまいていただろう。
面会謝絶の理由が徐々に整理されてきたところで、ハッと真因が思い浮かんだアタナシア。
(いつもニコニコのジェニットの方が可愛いと思って―――?)
この世界の主人公である少女の、ひまわりが咲いたような眩しい笑顔を思い出す。彼女は生粋の主人公精神を持ち、どんな相手も癒やすことができる。
アタナシアとの関係が友好になったとは言え、クロードはジェニットを皇宮へ招待することを止めたわけではなかった。
勿論、アタナシアが彼女を招待する場合もあったが、クロードが招待した回数の方が多いのである。
あり得る、あり得るわ、とアタナシアは一人呟き眉間に皺を寄せる。その様子を見ていたメイドたちは、周りに火花を散らし始めたアタナシアを不安げに見守っていた。
「リリー!欠伸くらい誰でもするわよね?」
自分だって私といるときいつも眠そうにしてたじゃない、と考えれば考えるほどクロードへの苛立ちを募らせていくアタナシア。
一人で考えることに憤りを感じ始めたアタナシアは、部屋にいたリリーに同意を求める。
「もちろんです。ですが、私や他のメイドたちは姫様と一緒にいるときは絶対にしないでしょうね」
そう言って女神のような顔をして微笑むリリーに、アタナシアは何も言えなくなり押し黙る。
(やっぱり私が悪いのかな・・・)
きっと今回の一件で殺されることはないだろう。仮に、以前のようにクロードから殺意を向けられたとしても、防衛魔法は着々と身に付けている。
更にはルーカスが傍にいるのだ。前回より数百倍も心強い。大丈夫大丈夫、と自身に幾度も生まれる不安を宥めていると、次第に視界がぼやけていく。
アタナシアの脳裏をかすめるのは、クロードに抱きかかえられた幼い頃の記憶や毎日のティータイム、忘れられないデビュタント―――。そして、ペアルックを着て街へ出かけた日々。
二度目の父親からの拒絶はアタナシアにとって耐え難い現実だった。
怒ったり落ち込んだりと百面相しているアタナシアをリリーやメイドたちは心配そうに見つめていた。仲睦まじいはずの親子に何があったのかを知る者はこの部屋には誰一人居なかった。
ドゴーン!!!
突然鳴り響いた大きな音と共に縦揺れが一回起こり、アタナシアの部屋にいた一同は混乱に陥る。
「地震!?」
「すごい揺れたわよ!」
「どこから音がしたのかしら」
リリーが騒ぐメイドたちをまとめ上げ、原因を突き止めるよう指示を出す。
「姫様、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫だよリリー」
「よかったです、原因が分かるまで姫様は部屋に居てくださいね」
そうリリーは言うと、バタバタとメイドたちの動きを管理し始めた。
アタナシアは何が起こったのか分からないが、嫌な予感が過ぎって仕方ない。皇宮は帝国一安全な場所で、危険が起こるとも思えない。あるとしたら、帝国一の力を持った人間がいなくなった時ーーー。
「よう」
「うわぁ!!!いつも突然出てこないでって言ってるじゃん!」
誰かに見られたらどうするの、と小言を言う相手は、自称帝国一の魔法使い・ルーカスだった。彼が皇宮にいるというだけで、安心感がより増す。だが、その安心感は彼の一言により一気にどん底まで落とされることになる。
「ガーネット宮で何かあったみたいだぞ」
「え―――」
「皇宮所属の魔法使いたちが数日前からガーネット宮に籠りっきりで何かやってんだよ、さっきの爆発音もそっちからだ」
アタナシアは全身から血の気が引いていくのを感じた。クロードに何かあったのだ、そうでなければ皇宮がこんなに不安に陥ることはない。
「まあお前が気にすることはないさ・・・ってもういねえし」
アタナシアは部屋を飛び出してルビー宮まで駆け抜けていた。「姫様!部屋へお戻りください!」とメイドが呼び止める声もアタナシアには届かなかった。彼女の頭の中に浮かぶのは一つだけ。
(私のことをまた忘れてしまっても構わないから―――お願いだから無事でいて!)
「パパ!どこ!」
ガーネット宮を走り回り、騒動があった震源地を探していく。開けた扉の数が十を超えたあたりで、入ったことの無い部屋に魔法の痕跡のような光が溢れ出ていて、ノックをすることも忘れて部屋を開ける。
部屋の中に居たのは、黒いローブを身に纏った数名の宮廷魔法使いとフィリックス。そして彼らに囲まれて床に倒れ込んでいるクロード―――。
「パパ!パパ!フィリックス!パパはどうしたの!」
フィリックスが静止するのも振り払って、アタナシアはクロードに駆け寄る。涙で視界がぼやけながらも、クロードの背中に手を当てて身体を揺すり声をかける。
「うっっ、おえぇっっ」
嗚咽の止まらないクロードに、血を吐き目の前で倒れた光景がアタナシアの中でフラッシュバックして不安が止まらない。
ルーカスが言っていた。黒魔法が復活し、身体を上辺だけ軽くしたがこのままではクロードは死ぬ、と。
「パパ・・・パパ・・・」
ボロボロ涙を流してクロードの身体を大きく揺さぶると、うつ伏せに倒れ込んでいたクロードが頭だけ動かした。青い瞳を輝かせながら鋭い視線でアタナシアを睨みつけたその顔は蒼く、弱々しかった。
「アタナシア―――フィリックス、なぜ部屋へ入れた。早く出せ」
「パパ、嫌、離れたくない」
「いいから早く出るんだ。うっっ」
「パパ!」
今にも死んでしまいそうな苦しい表情をして、クロードは胃の辺りを掴む。胃が苦しいのか、クロードの周りには抑えきれない魔力が暴発していて、クロードは全身から汗が吹き出ていた。
肘を立てて上体を起こそうとするクロードに、アタナシアは動かないで、と上半身を支えようとする。クロードはその手を拒否しようとしているのか、押し返すが力が足りておらず結果的にアタナシアに体重を預ける形となってしまった。
こんな情況であるのに、一週間ぶりのクロードの温もりが心地よくて、涙が溢れて止まらない。気のせいか、クロードからとても心地良い香りがして、引き寄せられるように抱きしめた。
そんなアタナシアの気持ちを微塵も感じ取ってはいないクロードは、宮廷魔法使いに向かって手をかざした。彼の手に魔力が溜められていくのを見たアタナシアは、手を下ろさせようとする。
「邪魔をするな」
「パパ止めて!そんな状態で魔法を使ったらパパだって危ないじゃない!」
アタナシアの声に耳を傾けたクロードは、一旦魔力を閉じ込めたが、魔法使いたちへ腹を立てているようで、声を荒げる。
「貴様ら、こんだけ時間がかかっていて、なぜ解決できないんだ」
「し、しかし私どもの専門分野ではなく―――」
「役立たずが。殺されたいのか」
「ひぃぃ」
宮廷魔法使いたちはクロードの脅しに恐怖し、震えて何も出来ない状態であることがアタナシアには分かった。それでも、このまま腕の中にいるクロードを失いたくはない。
「お願い魔法使いさん、パパを死なせないで!」
「はっ、誰がこれしきのことで死ぬものか」
そう言って鼻で笑ったクロードの声は精気が無いように感じた。薄っすら開いていた目が閉じられ、息をすぅっと吸い込んで軽く吐いたクロードは、アタナシアの腕の中で意識を失った。
「パパ!パパってば!死なないで!」
アタナシアから零れ落ちた大量の涙でクロードの顔は濡れていた。部屋にはアタナシアの泣きじゃくる声だけが響き渡っていたーーー。
「スーッ、スーッ」
クロードはアタナシアの膝の上で安らかな顔をして寝息を立てている。アタナシアは自身の涙で濡れてしまったクロードの顔をハンカチで拭っていた。
「で、これは一体どういうことなの?」
気持ちよく眠っているクロードに、先程まで泣き喚いていた自分は何だったのだろうと赤面しながら、フィリックスを睨みつける。思えば彼はクロードの一大事というのに、切羽詰まった様子では無かった。今思えば、だが。
「それが―――」
フィリックスの口から語られたのは、今日の騒ぎが起こったきっかけからだった。
それは遡ること一週間前、クロードがアタナシアとお茶を飲んでいる時間に事件は起こった。
いつものようにケーキを頬張るアタナシアが突然鼻と口を覆うと、うっと嗚咽した。クロードに背を向けて苦しそうに呼吸を整えると、作り笑顔を張り付けて向き直った。それが数回繰り返されると、さすがのクロードも心配になった様子。
苦しむアタナシアを見て、クロードは自分が昨日食べた匂いの強い料理を思い出した。胃が急に騒ぎ出し、異臭と共に逆流してきそうになったのだ。その時、本で読んだワンフレーズを思い出す。
『娘は匂いに対して敏感です』
「―――!!!」
もしかしたら、自分から発せられているこの異臭がアタナシアの鼻まで届いてしまったのかもしれない。そう思ったクロードは急ぎ席を立ち、自室へと籠った。
なんてものを食わせたんだ、これで娘との関係が悪化したらーーーそう考えて、料理長に注意することを決める。
だがその前に一刻も早く胃の不快感を取り除きたくて、大量の水を流し込む。しかし、どれだけの量の水を流しても、一向に胃のむかつきが消えることはなかった。
「フィリックス、宮廷魔法使いを呼べ」
蒼い顔をしたクロードに驚き、フィリックスは急いでルーカスを呼ぶよう使いを出した。
しかし、ルーカスではなく皇宮内の塔にいる魔法使いがルーカスの代理として現れた。数年前にアタナシアの魔力を抑えられなかった魔法使いをクロードがどう思うのか、魔法の質は大丈夫かと気になることはいくつもあったが、今用意できる最善策としてクロードに引き合わせることにした。
ソファーに横たわったクロードの前に、宮廷魔法使いが現れた。
「胃のむかつきが取れん」
「胃の中に入ったものをすべて取り除けばよろしいですか」
「取り除いて、そこからせっけんの香りが出るようにしろ」
「かしこまりました」
せっけんの香り、とは娘が好む香りのNo.1と本に書いてあったことから出た要望だった。この思いつきがガーネット宮をさらなる悲劇へと陥れることになる。
胃の中のものを取り除くところまでは問題無く行われたが、胃からせっけんの匂いを香らせるという前代未聞の魔法に、魔法使いは頭を悩ませ、日に日に魔法使いが増員されていく。なかなか要望が満たされないクロードは苛立ちが募るものの、胃の不快感から怒る気力も失せていた。
胃の中にせっけんを入れてしまったり、成功しても胃から常にせっけんが香るという意味の分からない違和感にクロードは耐え切れず、既に胃には何も入っていないにも関わらず吐き気が止まらなかった。
アタナシアが会いに来ているとクロードはフィリックスから報告を受けたが、とても会える状況ではなかったため追い返すことになった。
途中、フィリックスがアタナシアはバラが好きだからバラの香りがすると好かれるなどと言い出し、何が正解か分からなくなっていた魔法使いは、バラの香りが胃からするようクロードに魔法をかけた。
そして胃からバラの香りが蔓延したクロードは、限界に達した。魔力が暴走しガーネット宮の一角は爆発、今に至るというわけだ。
「パパって―――馬鹿なの?」
「陛下は親バカですね」
一連の流れをフィリックスから聞いたアタナシアは、アハハと笑うフィリックスをジロっと睨むと彼は子犬のようにシュンとする。
「何はともあれ、無事でよかった」
余程慣れない力を使って疲れたのだろう、一向に眠りから覚めないクロードを膝の上に乗せたまま、アタナシアは優しく頭を撫でる。
珍しく穏やかそうな顔をして眠るクロードは、未だに不眠症に悩んでいるのだろうかと心配になる。そんなクロードからふんわりとバラの匂いが香ってくると、いつの間にか芽生えていたらしい父性を思い出して、フフッと笑みが溢れる。
そろそろ足が痺れてきたので、クロードの頬をツンツンと指で押すと、ゆっくりと瞼が開けられる。
「パパ、だいすきだよ」
「ふん・・・」
「ちょっとパパ重いんだからそろそろ起きて!」
再び目を閉じて寝ようとしたクロードの頭をペシッと叩く。クロードは不機嫌そうな顔に戻ってしまったが、アタナシアはクロードから愛されていることを実感することができて、幸せに浸っていた。
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