娘から好かれる方法10選 第二章 外見 第一節 身だしなみに気を遣おう
娘の友人と出くわした際、娘は友人に父親がどういう印象を与えたかを気にします。服装、髪型、髭は常に整えておきましょう。「〇〇ちゃんのパパ、かっこいいね」と娘の友人に言われたら、娘の気分はたちまち良くなります。
ある朝のひととき。キラキラと輝きを放つ青い宝石眼は左から右へと忙しなく動いていた。皇族の証である瞳を持つ男・クロードは焦った様子で本のページを捲っている。
クロードの周りも普段とは異なり数人のメイドたちが慌ただしく駆けていた。その中でも精神的に最も追い詰められていたのは、クロードの傍で服を合わせている仕立て屋だった。
仕立て屋は、様々な服をクロードに提案しては「違う」と睨みつけられる。何が「違う」のか、その情報が全く無い中で服を提案しなければならない彼は途方にくれたものの、仕事を投げ出すことは即ち命を投げ出すことに等しく、天は我を見放したのかと涙を流した。
この場にいる全員が、日頃のちょっとした悪事を悔やみ、どうかこの状況を打開してくれる神は現れないものかと願う。そう、一年前であれば、この場を一転させてくれる女神がいたのに、とーーー。
なぜこのような状況になっているのかというと、遡ること数時間前の出来事に起因する。
先日のゴミ騒動でアタナシアと街へ出かける約束をしたクロード。その約束の日が本日だった。
クロードは、早朝に目を覚ました。睡眠がいつも浅いと自覚していたが、珍しく気持ちよく目を覚ましたので、すぐにソファーから身を起こした。
服を取り替えようとして、用意された服を前に立ち止まる。目の前に置いてある服は「身だしなみを整えることが娘から好かれる一歩」と本に記してあったことを思い出して、彼が昨晩メイドに用意させたものだった。
クロードは意識して身だしなみに気を遣ったことはなかったが、まさか人を不快にさせる身なりをしているはずがないと思っていたので、いつも通り素肌にローブを纏わせる。全体の色は黒で、黄金色の刺繍が縦に入っているデザインだった。
実は数ある服の中でも気に入っていた黒いローブを身に纏う。クロードは自慢げに鏡の前へ立った。くるりと一周して、「不快」な点はないかを確認する。
「フィリックス」
「おはようございます、陛下」
早朝にも関わらず部屋の外で待機していたフィリックスは、今日クロードが早く目を覚ますことを、まるで当人から事前に聞いていたかのようだった。
「この服装、どう思う」
これまでの人生で思い通りにならないことはほぼなかったクロードだが、娘の件に関してだけはこれまでも数多くの空回りをしてきた経験から、鏡に映された自分を見れば見るほどよく分からなくなってきてしまっていた。
自分のセンスが間違っていないことへの賛同を求めてフィリックスへ声をかける。意見を求められたフィリックスはうーん、と険しい顔で悩み始めた。彼からの想定外の反応に、珍しくクロードは冷や汗をかく。
(色か・・・?)
「姫様と街へ出かける服装としてどうか、ですよね?」
「姫は関係なくこの服装はどうかということを聞いている」
たとえフィリックス以外が見ても姫しか関係していないのだが、まだ父親になりきれていないクロードは娘へ関心があることを他人に認めることができず、意味のない嘘をついた。
それでは一般論として申し上げます、とフィリックスはクロードの嘘に付き合う形で前置きをした。
「皇宮内は陛下のお住まいなので問題ないかと思いますが、外に出るのは控えたほうがよろしいかと」
「なぜだ」
「胸元が見えているので、見慣れていない人間には刺激が強すぎるかと」
まさか似合う、似合わない以外の話だと微塵にも思わなかったクロードは、フィリックスの意見を受け入れることが難しく、眉間に皺を寄せてギラギラと彼へ圧を掛ける。
視線を逸したフィリックスに向かって大きくため息をつき、今も着ている否定されたローブの袖口を顔の傍まで近づけた。
(いつからだったかーーー)
クロードにとってはそう遠くない昔、一人の女により手渡された服があった。服というには装飾が少なく初めて見る形をしていたが、触り心地は見た目より生地がしっかりとしていた、というのが印象的でよく覚えていた。
『私の故郷の服なんです』
『なぜそんなものを』
『私といるときだけでかまいません、着ていただけませんか』
なぜ渡したのか、という答えが語られることはなかった。
それまで着ていた窮屈な服を脱ぎ捨てて手渡された服を身に纏うと、彼女は花が咲いたように笑顔を見せた。それはいつも見せる笑顔より、幸せそうでーーー。
不意に過去を思い出したクロードであったが、意識をすぐ目の前へと引き戻す。
「慣れている人間であれば問題なかろう」
何が刺激だ、とクロードは思った。それではアタナシアも初めは自分を不快だと認識した可能性が無いとは言い切れない。そんな事実は認めまいと、服の正当化に熱が入る。
「陛下、姫様は慣れていらっしゃるかもしれませんが、街の人々は違います」
「だから何だというのだ」
クロードにとって、アタナシア以外の興味関心は皆無に等しい。他人にどう見られようが心底どうでもよかった。
「周りからの視線に姫様は耐えられるでしょうか」
問いかけられたクロードの眉間のシワが一層深くなる。彼女が萎縮している姿がなぜか脳裏に浮かんできたからだ。そう、あれは確か彼女のデビュタントのーーー。
(デビュタント?)
ピンクのドレスで着飾ったアタナシアが目の前から去っていくワンシーン。記憶にないはずの光景がクロードの頭に一瞬広がった。
「それよりも、父親がかっこいいと思われると娘も鼻高々というものなんです」
それはクロードも知っていた。「娘に好かれる方法10選」の第二章に、同様のことが記されていたからだ。知った上で服を用意したので、それを否定されたことでクロードのプライドは傷付けられている。
黙ってしまったクロードを心配したフィリックスは、記憶を手繰り寄せ服装のヒントを探す素振りを見せた。少し悩んだ後、ハッと嬉しそうに目を輝かせたフィリックスは前のめりになる。
「陛下、姫様は以前正装した陛下がかっこよすぎて見惚れたと言っていました」
「一式用意しろ」
「はっ・・・」
勢いの良い返事をしてすぐ、フィリックスは考え込んだ。何が気になるのだと、次の言葉を急かす。
「いえ、街へ出かけるのに正装はちょっと・・・」
「アタナシアが良いと言ったのだろう」
「TPOを弁えなければなりません。正装で街へ出かけるとどうなると思いますか」
「TPO?アタナシアが良ければーーー」
「公務だと思われます。姫様は親子の時間を楽しみたいのです」
マナー違反ではないのでTPOとも違う気がするが、そう言われてしまったらクロードは受け入れるしかなかった。フィリックスへ皇宮所属の仕立て屋を連れてくるよう指示を出すことを決めた。
こうした経緯で早朝に呼び出された仕立て屋は、「街へ出かける」「正装は駄目だが正装のような感じ」というあまりにも漠然とした要望を伝えられた。
巷で流行りの服をいくつか用意するものの、何かが気に入らないクロードによって拒否されてしまう。
そして数時間経った現在、自分の持っているレパートリーを披露仕切ってしまった仕立て屋は絶望していた。
「ああ、どうか、神よ。私にこの場を乗り切る力をお与えください」
遂に頭のおかしくなった仕立て屋は部屋で叫び声を上げた。しかし誰もそのことを気にかける余裕は無かった。服を片付けては次の服を運び込むのに大忙しだったからだ。
「まだ準備が終わってないんですか?」
殺伐とした雰囲気の中で、一年前まで帝国の女神的存在と崇め奉られていたアタナシア姫の可憐な声が響き渡る。
「てっきりまだ寝てるかと思ったらこれは何の騒ぎ・・・」
そう言い掛けて、奥で着せ替え人形状態になっているクロードの身なりを視界に入れたアタナシアは口をあんぐりと開けて固まった。
「ブッッッッッ」
固まったかと思うと、勢いよく吹き出して俯いた。部屋に居た一同は、女神は居なかったのだと、これから降りかかるであろう災難に身を縮こませた。
「モーツァルト」
そう呟いて笑いを堪えるアタナシア。クロードは膝まで長さのある真っ赤なコートに首上までフリルできつく覆われた服を着せられている最中であった。
この世界では中世のファッションが流行っているのね、と誰一人理解できない単語をブツブツと呟き、メイドたちを更に落ち着かなくさせた。
ゴホン、と一回咳払いをして緩んだ顔を整えたアタナシアはクロードへ向き直る。
「服が決まらないんですか?」
「・・・あぁ」
クロードの落ち込む姿が珍しいのか、アタナシアは優しく微笑んだ。
「私と並んだときにどう見えるかが大事です」
そう言ったアタナシアはその場でくるりと一周した。彼女が今日着ていたのは、白の生地に蒼いアラベスク調の模様が刺繍されたワンピースだった。癖のある巻き髪をポニーテールで結い上げ、ジェニットからプレゼントされた青のリボンを着けている。
アタナシアの言葉を耳に入れた仕立て屋は、壁に持たれかけていた体を急ぎ起こして服の山を漁り始めた。
「姫様!こちらは如何でしょうか」
瞬時に一つの服を持ってアタナシアの元へと向かった仕立て屋。彼が手にしたのは、アバヤと呼ばれるクロードがいつも着ているローブに近い形の服だった。違う点は胸元が隠れて首上まで覆われている点くらいだろう。
白地に青の刺繍という、アタナシアの着ている服と合うデザインの服だった。
「いいわね!ありがとう、これにしよう」
パパ着てみて、とアバヤを手渡すアタナシア。言われるがまま袖に手を通したクロードは、首元が窮屈だなというのが率直な感想だった。
しかし、服を見せた後のアタナシアの表情がとても満足げで、記憶の女と笑った表情がリンクした。
「ーーーなぜそんなに嬉しそうに笑う?」
気づけば、昔得られなかった答えを娘のアタナシアへ尋ねていた。彼女は幸せそうな表情を崩すことなく答える。
「だって、同じような服を着ていると、とっても仲がいいみたいじゃないですか?」
左目から涙が一粒こぼれ落ちていた。幸いにも誰の位置からも死角に入る位置だった。サッと手で涙を薙ぎ払うと、いつもの表情に戻ったクロードはアタナシアを愛おしそうに見つめる。
「アタナシア、行くぞ」
そう言ってアタナシアへ手を伸ばすクロード。その手を嬉しそうにとったアタナシア。
この二人とすれ違った者たちは必ず振り返り、その美しさに見惚れた。美しさは外見だけでなく、お揃いの服を着て手を取り合う父娘に対して当てはまる言葉だった。
二人の仲睦まじさはまた街中で話題となり、特に父親が娘とお揃いの服を求めたという。娘に恥ずかしいと拒否されてしまった父親も多数いるが、さり気なくワンポイントだけ合わせるなどを楽しむ者も増えたとか。
それはこの親バカ皇帝も例外ではなかった。味を占めたクロードによって、仕立て屋はアタナシアの服に合うクロード用の服を用意させられた。
しかし、アタナシアの着る服は、彼女が起床してからメイドが何着か用意して、その中から彼女が選定していたので、仕立て屋は情報を手に入れてから急いで皇宮内にある倉庫を駆けずり回った。時には同じデザインが無いときもあったが、一から作成するなど奮闘したようだ。
そんな功績が認められた仕立て屋は、数十人の部下を抱えることになった。アタナシアの服はすべて対でクロード用の服が制作されるようになり、その後皇宮発祥ブランドとして親子服を専門に売る店舗を街へ出店し、需要と共に規模を拡大していった。
こうした仕立て屋の影の努力の甲斐もあり、仲睦まじい父娘の姿が皇宮内だけでなく、街では頻繁に目撃されたらしい。
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