ある日、父親になってしまった件について
シュッーーー
(・・・また、来た)
毎晩のように侵入者は寝室へ訪れていた。目を閉じたまま、傍に近づく気配を感じる。侵入者の様子を伺っていると、頬にひんやりとした手が触れてきた。
「パパ」
ある日、目が覚めると父親になっていた。それも十代の娘の父親だという。そんな記憶も無ければ、年を重ねた記憶すら一切無い。当然困惑し、現実だと言われるこの世界を受け入れることは容易ではなかった。黒魔法の仕業だと思い込むことで、精神の安定を保つことがやっとだった。
しかし、周囲の人間からの話と、目に入る建物などの記憶と異なる環境から、自分が記憶を無くしているのが現実であるということに納得しはじめ、少しずつ非現実なこの日常を受け入れていくことにした。突然できた娘を初めは拒絶したが、傍に居ないと頭から離れず余計に苛々したので、手元に置いてみることにしたのだった。
そして娘はこうして毎晩、俺が眠りについた頃に寝室へ訪れる。日中も顔を合わせているというのに、なぜ眠りについた頃合いを見計らってくるのか、真意は定かではない。おおよそ、俺が喋らなければ記憶を失う前の父だと思うことができ、懐かしんでいるのだろう。そう思うと、何故か目を開けることができなかった。
娘は何をするわけでもなく、少しの時間だけ滞在すると姿を消す。初めは己の中にも良心があったのか、気付かない振りをしていたが、それが何日も続き、睡眠を妨げられるとなると話は別だ。たとえそれが、娘の心の拠り所を奪うことになったとしても。
目を開くと寝間着姿の娘が視界に入る。暗い中でも視線が交わり、驚いた顔をしていることは確認することができた。
「何をしている?」
娘が俺の部屋へ不法侵入をするようになってから、初めて声を掛けたから驚いているのだろう。娘は顔面蒼白で今にも逃げ出しそうだったので、急いで腕を捕らえてこの場に拘束した。掴んだ腕は力を入れすぎると折れてしまいそうなほど華奢だった。
「あ・・・ちょっと嫌な夢を見てしまって・・・」
嫌な夢を見てしまい眠れなくなったから、父の顔を見て安心しに来ていたとでも言うのか。それが本当だとしたら、何とも幼稚な娘だ。俺の娘である証の宝石眼を揺らせて、不安気に見つめてくる姿はまるで小動物そのもの。
「そんなことで夜更けに訪ねてくるとは、お前いったい何歳になるんだ」
「その、以前は、一緒に寝てくれたので癖で。もうしません」
(ほう・・・また記憶のない頃の俺か)
過去の己は、娘をどこまで甘やかして育てていたのだろうか。幼少期に母親、ましてや父親と一緒に寝た記憶なんて一度たりとも無い。それを平然とやっていたという自分が信じられない。そしてその過去の自分に縋りつくこの娘にも苛立つ気持ちが湧き上がる。
だが、苛立った心情とは裏腹に、娘の腕を引きベッドの上まで運ぶ自分がいる。娘をベッドで寝かせて、その隣で一緒に横になってみることにした。
「これで、眠れるのか」
目を丸くした娘の頭にそっと手を置くと、娘は目を潤ませて「パパ」と呼んだ。初め呼ばれたときは不快感しかなかったその呼び名が今は心地良くて、今日はこのまま共に眠りにつくことを決める。
おそらく、今の自分が娘に対して抱く、頭を撫でたいなどといった思いは、過去の自分にとっては些細な日常に過ぎず、いとも簡単にやってのけたのだろう。それは自分自身であることは分かっているのに、今の自分の記憶にないことが何だか悔しくて、隣で心地よさそうに目を瞑る娘をきつく抱き寄せた。
「パ、パパどうしたの?」
「最近ペットに睡眠を邪魔されていたから眠いんだ」
「ペット?どこ?会わせて!」
「お前は会えない。早く寝ろ」
「パパ!こんな状況じゃ無理、苦しい」
急に騒がしくなった娘の声を耳に流し入れながら目を瞑ると、意識が闇へと吸い込まれていく。騒々しいはずなのに、耳にすんなり入ってくる懐かしいこの声。
『パパ、アーティきたよーっ』
『今日もパパと過ごせて嬉しいよ』
『パパのことこーれくらいだいすき!』
―――ああ、なんて愛らしい。なぜこの記憶が、俺のものではないのだ。
そんなどうしようもないことを頭の片隅で考えながら、心地よい眠気に身を委ねた。
翌朝、快調な目覚めに少し気分が良くなっていたが、昨晩のことを直ぐ思い出し、この場にいるはずの娘が居ないことに気が付いた。
「フィリックス」
「おはようございます、陛下」
寝室の外で待機をしていた部下は、「やっと起きたのか」とでも言いたそうな表情で部屋へ入ってくる。その顔には一切触れずに娘の行方を尋ねた。
「姫は?」
「姫様は明け方この部屋から出ていかれましたよ、可哀想なことに一睡もできなかったとか」
「そうか」
「陛下、姫様は年頃の女の子なのです。そろそろ父と娘の距離感を考えなければいけませんね」
部下からの助言を聞き入れることはしない。こんなにも深く眠りにつけたのは、ダイアナが傍に居た時以来だ。もう既に今日も傍に置きたい。何故俺が自重しないといけないのか。どうせ過去の俺でも傍に置いただろう。
口うるさい部下に、今日も姫を呼ぶように伝えると嫌そうな顔をして部屋を出ていった。
「アタナシア」
特に意味もなく、娘の名を呟く。
(どうしたら俺に笑顔を見せる?)
いくら考えても出ない答えを無理に出す前に、最近巷で流行していると部下が置いていった本『娘から好かれる方法10選』を朝読書の供にすることを決めた。突然父親になったのだ、父親とは何かを学ばなくてはならないだろう。
ある日、目覚めると父親になっていた俺の奮闘劇はここから始まる―――。
つづく
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