オベリア帝国の姫とロイヤルガードの内緒事3.5

 重い瞼を開けると、目の前には血の色に染まった髪が見えた。徐々に頭が覚醒していくと、その赤毛は側近の騎士・フィリックスのものであることに気が付く。まだ寝ぼけているのだろうか、状況の整理が追いつかないから、とりあえず騎士を揺さぶり起こすことにする。

 
「おい……何をしている」
「あ、陛下。おはようございます」
「……」

 
 心無しかいつもより腫れた目を擦りながら呑気に挨拶をしてくるフィリックスに、呆れて言葉も出てこない。

 
「あ、ちょっと寝すぎてしまいました。ベッドがフカフカすぎて」
「なんでお前がここに」

 
 そう尋ねると、フィリックスは目を見開いて自分の身体と俺とを交互に見た。フィリックスの上半身はシャツのボタンが全て外れ、俺の服は少し乱れたように開けていた。

 
「へ、陛下。私はとんでもないことを」
「……は?」
「もしかして……昨日のこと、覚えてませんか?」

 
 何のことだ、と問いかけてはいけない気がして、返事を躊躇っているとフィリックスは素肌を隠すようにシャツの両側を掴んだ。やめろ、その振る舞いはまるで俺がなにかをしたみたいじゃないか。

 
「お互い酔っていたんですよね、そういうことも……ありますよね」
「は?……ないだろ?」
「陛下は陛下ですもんね……こんなの、何ともないですよね」
「変なことを言うな! 殺すぞ!」

 
 一方的に昨夜過ちを犯したかのように決め付けられて、声を荒らげずにいられるだろうか。頭がおかしくなったフィリックスの脳を刺激してやろうと手に力を込めた時。

 
「パパぁ〜?」

 
 愛しい声が部屋の外から聞こえてきて、血の気が引く。待ってほしい、頼むから、まだ開けないでくれ。いやダメだ、アイツはノックをしてから部屋に入りはしない。なぜなら俺の娘であり特別な―――。
 
 娘のアタナシアと目が合う。表情からは一瞬にして笑みが消え、汚い物を見るかのように目は細められていった。

 
「あ、ごめん。ノックもしないで」
「ちが」
「ふーん、そういうことだったんだ」
「アタナシア、お前は何か勘違いを」
「だからフィリックスは私に興味もないわけね」
「は?」
「……姫様?」
「お邪魔しましたー」

 
 最愛の娘に上裸もどきの男と戯れている(かのような)姿を目撃されてしまった。なぜか天蓋も上げられたままで、ベッドの中は丸見えだ。娘が言い残した「だからフィリックスは私に興味もないわけね」という言葉も気になるが―――。

 
「陛下、私も昨夜は飲みすぎました。お互いこのことは忘れましょう」
「……はぁ?」

 
 フィリックスはシャツのボタンを留めてベッドから降りると、いつものように頭を深く下げて部屋から去っていった。

 
「忘れるも何も、何もないだろ」

 
 勝手に勘違いしたフィリックスのバカは放っておくに限るなと、同じく昨夜飲みすぎてしまった不調な身体を無理やり起こすことにした。

 
 寝室に転がり落ちた酒瓶の数々にため息を吐く。頭が完全に覚醒してから考えたのは、やはりこの出来事は忘れるべきだということだった。

 
 なのに、忘れようとしても思い出させる外部要因が多すぎたせいで、この騒動はしばらくの間、尾を引くことになる。

 
「パパってさー、フィリックスのこと結婚させようとしてたのにさー、結局破談になって喜んでたもんねー」

 
 あの日から数日が経ったエメラルド宮の庭園でのティータイム。要因一つ目は俺の娘だ。

 
「……アタナシア。何を勘違いしてるのか知らんがフィリックスのことは一ミリも好いてなどいない」
「はいはい、パパが素直じゃないことは私が一番よくわかってるよ」

 
 不貞腐れた様子のアタナシアを睨むと、鬼の形相で睨み返されて言葉に詰まる。その俺が悪いみたいな顔を今すぐ止めろとは言えず、いつも通り事の元凶へと声を掛けた。

 
「おい、フィリックス」
「はっ、はいへいか。なにかごようでしょうか」
「チッ」

 
 そしてフィリックスの急変した態度が要因の二つ目だ。あからさまに俺を意識をした片言の返事に舌打ちしか出てこない。あの夜、何かあったこと(絶対ないが)を匂わせる態度は勘弁してほしいものである。

 
「ねえフィリックス」
「はい、姫様」
「パパに無理やり迫られたんでしょ?」
「ひっ姫様!」
「そんなわけあるか!!」

 
 声を張り上げ真っ向から否定する俺を、アタナシアは見向きもせずにフィリックスを傍へと呼び寄せて、話を続ける。娘に至近距離で耳を傾けるフィリックスに苛立ち「10歩下がれ!」と怒鳴っても、騎士は俺の声は聞こえないとばかりに目が泳がせていた。

 
「私のお願いも聞いてくれないとズルいよ」
「えっあっ、じゃあ添い寝でもしますか?」
「バカじゃないの! 私のこと何歳だと思ってるわけ!」
「……お前、死にたいのか?」

 
 年頃の娘と添い寝、苛立ちのあまり立ち上がると机の上の食器たちが盛大に音を鳴らした。その音にフィリックスは瞬時にアタナシアの背後へと身体を隠す。

 
「言葉の選択を間違えました……」
「フィリックス、頭を冷やせ。お前にはしばらくの間、休暇を与える」
「え、姫様の護衛は……」
「お前の代わりなんていくらでもいるからな」
「そんなあ」

 
 俺も顔を合わせなくて済む。会わなければ時間が解決していくだろう。そう思うことで心を落ち着かせるしかなかった。
 
 しかしどういう訳か、事は大きくなっていった。

 
「陛下、お聞きしてもよろしいでしょうか」

 
 謁見室へ訪れていたアルフィアスとの会話が終わり、一息ついたところで話を振られた。内心これ以上何を話すことがあるとうんざりしながらも、断ったところで聞いてくるのだろうと思い、許可する。

 
「どうした」
「ロベイン卿との噂は本当で?」
「ブッ」

 
 思わず口に含んだ水を吹き出した。服が濡れて最悪の気分だ。要因の三つ目、どこから聞きつけたのか知っている当事者以外の人間たち。

 
「俺を怒らせたいのか?」
「いえ、オベリア中の民が気にしておりましたので」
「何を……」

 
 そう口に出して後悔した。聞き返すべきではなかった。軽くあしらうべきだったのだ。
 
 “ロベイン卿との噂”なんて、不仲説とか兄弟説とか民が噂するくだらない話など山ほどあるではないか。そんな悩みを抱える俺に対する配慮もクソもないのがアルフィアスという男だった。

 
「陛下が寵愛していた騎士を解雇したと……」

 
 “寵愛”と耳にした瞬間、俺は鳥肌が止まらなかった。身近に人間を置くこと自体少ないのにフィリックスを傍に置いているのは、アイツを幼い頃から知っていて、俺に従順であることをよく知っているからだ。雑用を命じれば一通りこなす。ただそれだけなのだ。

 
「そんな戯言を口にした奴、全員連れてこい」
「……皇宮には入り切らないのではないかと」
「首だけでもいいぞ」
「冗談はおやめください」

 
 そう言いながらも根掘り葉掘りフィリックスとの関係性について聞いてくるアルフィアスに怒号を浴びせて、謁見室から追い出した。

 
「はぁ……。おい、フィリックス……はいなかったか」

 
 騒がしい人物が居なくなったからか、部屋に自分の声がよく通った。アタナシアの護衛を任せているから、呼べば必ず傍にいるわけではないけれど、静まり返った部屋はどこか寂しく感じてしまう。そう思うのは一体数日の間で何度目になるだろう。

 
「お呼びでしょうか?」

 
 返ってくるはずのない声に思わず驚き、肩を震わせてしまう。

 
「なぜいる」
「なぜって……姫様の護衛を……」

 
 護衛は別の人間を充てていたから聞いているのだが。そう考えるうちに、暇を出してからの数日間、ずっとアタナシアの傍にいたのかもしれないと思い立ち、ある疑惑が脳裏を過る。

 
「お前、本当に俺の娘に手を出してないだろうな」
「誓って、ございません」
「信用できんな。あの時だって俺に……」

 
 口に出してからしまったと思った。これでは記憶もないのにいつの間にか既成事実みたいになってしまっている。

 
「あの時襲ってきたのは陛下ですよね?」
「はぁ?」
「へ、陛下に脱がされた記憶があるんです」
「戯けたことを。そんなことあるわけが」

 
 ない、のに。記憶にあるはずのない、顔を赤らめたフィリックスを上から見下ろした光景が浮かび上がる。そして俺はフィリックスに向かって手を伸ばし、胸元のボタンを上から順に―――。

 
「……ん?」
「陛下ぁぁぁ……」
「俺は、フィリックスと……過ちを犯したというのか?」
「だからそう言ってるじゃないですかぁ……」
「これは夢だ、何かの間違いだ」
「俺だって何かの間違いだと思いたいんですって……」
「こんな奴に手を出すほど俺は落ちぶれていないぞ……」
「俺だって……」
「何か言ったかフィリックス!」

 
 俺は頭を抱えた。ここまで混乱したことは無いかもしれない。夢なら頼むから早く覚めてくれ。同じく横で頭を抱えて泣き叫ぶフィリックスが堪らなく憎らしかった。

 
「フィリックス、記憶を消すぞ」
「そんなことができるのですか!」
「禁忌の術だがな……」
「まさか……!」

 
 悩んだ末に黒魔法に手を出そうとしてるまでに追いつめられた俺たちの裏側で、楽しそうに笑う奴がいたことを俺は知らなかった。

 

 

 
 
 
+++

 

 

 
 
 
「なんかいいカモフラージュができたじゃない」

 
 まだ日の明るい時間、庭園に設置された席に座りほくそ笑むのはクロードの娘・アタナシア。先程までクロードに謁見していた白髪の上品な男性とお茶を飲んでいた。

 
「何か言いました?」
「ううん、何でも」

 
 想い人(フィリックス)を巡る最大のライバルは父親かもしれない疑惑が浮上したアタナシアは、ある朝ベッドで一緒に眠る二人を見て思わず取り乱してしまった。

 
 まずは仲の良いリリーの元へと駆け込み、そして傍にいたメイドに。興奮のあまり話していくと、気が付けばオベリア中に二人の関係が知れ渡ってしまったことは帝国の姫たるアタナシアの失態だった。

 
 しかし、日常的にフィリックスとのデート(?)を邪魔してきていたパパラッチの矛先が自分から父親へと変わった。するとどうだろう、パパラッチの興味が私に無くなったのだ。ここ数日は休暇を与えられたフィリックスとのデート三昧。

 
 また残念なことにデートだと思っているのはアタナシアだけであったのは言うまでもないが。

 
「姫様、そろそろお二人は仲直りしたでしょうか?」
「どうかな、したんじゃない? 今戻ったら私はお邪魔かもね」
「アルフィアス邸に来られますか? イゼキエルもジェニットも喜びますよ。もっとお話も聞きたいですし」
「聞きたいのはシロおじさんでしょ。でもそうしよっかな」
「二人きりの時のロベイン卿も忠犬のような感じなんでしょうか」
「そんなわけないでしょ、フィリックスはかっこいいんだから!」
「ほーう」

 
 真相は闇の中。
 
 ゴシップは皇帝陛下と騎士のラブストーリーで持ち切りだ。そんな今日も、オベリアは平和だった。

 

 

 
 
【昨夜の設定】
酒に酔ったクロードの元へフィリが来る
「あまり飲みすぎるとお体に障ります」
「たまにはお前も付き合え」
と珍しく二人でお酒飲む
「正直陛下の側近は大変です」と愚痴を吐き散らして、眠ってしまうフィリ
『たまには労ってやるか』とベッドで眠らす
苦しそうにするのでボタンを外してやる
自分も眠たくなり寝る

 
ただの勘違いおバカ。そしてアタナシアはフィリックスの話を聞いてこれは何もなかったなと察しているためのこの余裕。

 

 

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