父の愛情

 

あの子が望むなら、何でも与えてやりたい。それが有名パティシエの作った最高級の菓子でも、帝国で価値のある宝石でも、どこまでも広がる貴重な品種の薔薇で作られた庭園であっても。

オベリア帝国の皇帝である自分に、娘へ与えてやれぬ物など無いのだから。ただ一つ、母親からの愛情を除けば―――。

 

父の愛情

 

「友人だと?」

「はい、陛下。姫様はきっと友人が欲しいと思います」

「必要性を感じないが」

「言わないだけで、友人が欲しいはずです。きっといつの日か姫様の未来にとって、友人の存在が助けとなるでしょう」

護衛のフィリックスの提言は考えたことが無いわけではなかった。アルフィアス公爵にも自分の息子、姪をとしつこく迫られるのは一度や二度のことではなかったし、他の貴族も謁見に来ては自分の子供を紹介したいという話が跡を絶たなかった。

自分自身の幼少期を振り返ると、友人と呼べる存在はただの一人もいなかった。フィリックスは側近ではあるものの、友人ではないし、幼い頃に慕っていた兄からはいつしか疎まれ、最終的には地獄へ葬る形となってしまった。それでも―――。

「必要性はわからんが、何人かアタナシアに合いそうなやつをリストアップしておけ」

「はっ」

それでもあの子が望むなら、友人を与えてやることくらい、叶えてやらないこともないだろう。

 

* * *

 

「これだあれ?」

アタナシアの前には歳の近い令嬢の肖像画が並べられた。アタナシアの年齢から近く、家門は皇帝派で、性格はおとなしい(害を与えない)という条件でフィリックスがリストアップしたものだった。

「お前の友人になるかもしれない者たちだ」

「えっ!アーティ、おともだちはいらないっていった!」

「フィリックスに欲しいと言ったんだろう」

「フィリックス!」

友人が欲しいと言う割にはアタナシアは肖像画を見てなぜか不満そうな顔をした。何が不満なのだろうか、フィリックスを睨んでまでいる。

「まあ無理にとは言わないが」

アタナシアが望んでいると進言されたから用意したまでのこと。アタナシアが望まないのであれば、それは本意ではないのだ。

「お前が気に入る者を……」

「アーティ、フィリックスがおともだちだから!フィリックスしかいらないから!」

「姫様…!」

幼いアタナシアがハッキリと発した言葉が気に入らず、顔が歪むのを自分でも感じる。なぜならフィリックスの助言通りに友人を用意すべく動き、アタナシアを喜ばせようとしたのに、己のとったその行動はアタナシアを不機嫌にさせていた。それにも関わらずフィリックスはアタナシアから求められているのだ。

「いやあ、姫様がそこまで言うなら……私は本当にアルランタ語をマスターしなければいけませんね」

「だから、フィリックスはそのままでいーの!」

「そうはいきません!アルフィアス公爵のご子息には負けていられないですからね!」

自分だけ良い思いをした護衛騎士に苛立ち睨みつけるも、アタナシアからの友人認定が余程嬉しかったのか、フィリックスは目尻を下げたまま俺の視線を気にすることなく笑っていた。

その顔を更に不愉快に感じ、机の上を大げさにバンッと叩くと、二人はやっと喋ることを止めて俺に視線を向けた。

「アタナシアの友人は俺が準備する」

「だからパパ、アーティのおともだちは……」

「フィリックスはお前の友人などではない」

「おともだちだもん」

「これまで護衛騎士との距離を見誤っていたようだ。フィリックスはアタナシアから離れて護衛するように」

離れて護衛は難しい、と意見するフィリックスを無視して、アタナシアを抱きかかえて庭へと出た。急いで俺の後ろをついてきたフィリックスに20歩下がるように命じて距離を取らせたが、アタナシアはいつもの笑顔を見せずに口数は少ないまま、ぎこちない雰囲気の中散歩をしたのであった。

見たいのはお前の笑顔だったのに。

 

* * *

 

「姫様、どちらへ向かわれますか?」

「えーとね、バラのおにわ!」

グシャッと書きかけの書類をダメにした音が聞こえた。公務中、愉しげな声が外から聞こえてきたので目をやると、アタナシアとフィリックスが手を繋ぎながら庭園を歩いていた。

アタナシアがフィリックスの袖を掴むと、フィリックスは満面の笑みを浮かべてアタナシアを抱き上げる。首に腕を回すアタナシアが昨日俺に抱えられていた時とは異なり、嬉しそうな顔をするので、また書類を一枚犠牲にしてしまう。

「アイツ……まさか玉座を狙って今からアタナシアを手懐けようとしているんじゃないだろうな」

一度そうと疑ってしまえば、フィリックスの笑顔が胡散臭く、無知な子供を手懐けようとしている詐欺師のように見えてくる。

グシャグシャグシャ

アタナシアが奴の手に落ちる前に、純粋な娘を奪い返さなければならない。重要な決裁書類だと手渡した詐欺師にまたしても騙された。きっとこの書類たちは大事でも何でもないはずだ、そう確信して庭園へ一目散に駆けていくのだった。

「おい!フィリックス!」

「はい、陛下」

大事な娘を抱きかかえた詐欺師から、アタナシアを無理やり奪い、抱きかかえると、いつも以上に距離を確保して庭園を歩く。

「パパ?」

「何かアイツに嫌なことをされたりしてないか?」

「アイツ?」

「アイツだアイツ」

ポカンと能天気なフリをしてこちらを見てくる護衛に視線を向けると、アタナシアは首を傾げる。

「もしかしてフィリックスのこと?」

「これからアイツのことはロベイン卿と呼ぶように」

「えー?きゅうになんで」

「アイツはお前をたぶらかして悪巧みをしようとしている」

7歳には少し難しい言葉を使ってしまったのかもしれない。まだ意味の理解できていないであろうアタナシアは目を点にした。

「わ、わるだくみ?」

「そうだ」

アタナシアを抱きかかえながら、最近の日課になりつつある保護魔法を掛けながら、さらに一つ魔法を加えた。大事な娘に、誰も傷がつけられないように―――。

「フィリックス」

「はい、陛下」

「お前は今後常にアタナシアと10歩分の距離をとれ」

理解の遅い詐欺師は、何を言われているのかわからないのか、目を点にして返答を考えているようだった。

「えーと……姫様が私の抱っこを所望したときはよろしいですか?」

「すればお前は後悔することになる」

「は、はぁ……」

10歩距離を取らせた詐欺師を置いて、アタナシアを抱えたままエメラルド宮へと送り届ける。ウトウトとして次第に目を閉じたアタナシアの全体重が体に掛かり、腕にはずっしりと重みを感じた。しかしそれが、心地よい。柔らかく広がる髪を抑えるように撫でて、安心して眠れと心の中で呟いた。

「パパ、すき」

「フン。戯言を」

悪夢を薙ぎ払うように、頭を撫でる手に魔法を込める。己ができる唯一の母親としての愛情―――娘を大切に想っていた母の記憶が伝わるように。

 

* * *

 

「うわあああああ!」

翌日、執務室から聞こえてきた詐欺師の叫び声にフンと鼻を鳴らす。どうやら昨日の警告を無視して、フィリックスはアタナシアに触れようとしたらしい。

「フィリックス!なにこれ!こわいよ!」

「姫様は私が…!うわあ!」

自分以外の誰かがアタナシアに触れれば発動する攻撃魔法だ。抱っこは疎か、手を繋ぐことすら許されない。これでアタナシアがフィリックスの魔の手から抜け出せれば良い。

「うわあああああん!パパァァァァ!」

「…………」

「パパァァァァ!こわいよパパァァァァ!」

「…………」

どうやらアタナシアには刺激が強かったらしい。目の前でフィリックスが吹き飛ぶ姿は見ていて気持ちがいいのに。

せっかく良い案だと思ったんだが、と呟いて急ぎ娘の元へ走っていくのだった。

 

おわり

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