愛の魔法

 

「ぱぱきらい」

「アタナシア」

「ぱぱだいきらぁぁぁぁぁぁぁい」

膝の上で大暴れする娘は護衛騎士に抱えられ、妻の判断で庭園を去っていった。娘の泣き顔が頭から離れない俺を心配そうに見つめながら妻も娘の後を追う。そんな二人の消えた方向を果てしなく見つめながら、絶望していた。

昨日妻とした約束を実行して、デザートを強請る娘に決死の思いで「今日は我慢しろ」と告げた。「がまん…?」キョトンとした娘はしばらく経ってもデザートが運ばれてこないことに、デザートがお預けだということに気がついたようで涙目で俺を見上げてきた。すかさず向かいに座る妻から睨まれて、昨日の今日で前言撤回するわけにもいかず、娘の頭を撫でて、物分かりの良い娘に期待を込めた。

しかし、二歳の娘に父親の思いが伝わるはずもなく、「大嫌い」という強烈な一言をお見舞いされて終わった。人から殺意を向けられることは幼少期からあったにしろ、嫌悪感を直接的に言われたことが無かったからか、衝撃が大きかった。記憶では娘を傷つけることはあっても、嫌いだと否定されたことはなかったな、とぼんやり記憶を思い出す。

「陛下」

「アタナシアは?」

「ダイアナ様が寝かしつけているので大丈夫かと。ところでアルフィアス公爵が謁見をお待ちしておりますが…」

フィリックスからの報告は非常に気が乗らなかったが、顔を出すまでいつまでも居座り続けるタヌキは早く帰すに限ると判断し、アルフィアスの待つ謁見室まで向かうことにした。

「ところでアタナシア姫様は大きくなりましたか?」

話も終わり、皇宮から出るように命じる前に、その雰囲気を感じたのか公爵は今最も触れてほしくない話題に触れた。

「二歳になった」

「大きくなりましたね、姫様にもそろそろ遊び相手が欲しいお年頃ではありませんか?」

「……いらん」

「まあまあそう仰らずに。私には姫様と歳の近い息子がおりまして」

時期としてはだいぶ早いが、記憶で見た話と同じように公爵は話を持ちかける。記憶でも息子と俺の娘の繋がりを持とうとしていた。二人が出会うのはアタナシアが十四歳のデビュタントの時だ。娘の美しさに魅了されたのか、ダンスを申し込み、そこからしつこいほどに贈り物をエメラルド宮へと送りつけ、姫専用の図書館へ不法侵入までした。だから絶対に関わらせないし、デビュタントパーティーも入場を認めないことは今から決めている。

「公爵に似た息子など余計にいらんな」

「陛下もきっと気に入る優秀な息子なのですが…」

「早く下がれ」

「では息子のご紹介はまた今度」

「……」

しつこく喋り好きな公爵が去ったことへの安堵と、娘からの一言を思い出した憂鬱さで大きなため息が溢れ出た。とりあえず、妻へ会いに行こうとエメラルド宮へと向かう道のりで、何やら楽しそうな笑い声が聞こえてきた。思わず視線を向けると、思いがけない光景に目を見開く。

先程まで泣いていたはずの娘が微笑む隣にはシルバーの髪を持つ幼子。その子供に見覚えはなかったが、それに良く似た人間を知っていた。

「おい!!!!!!!!」

滅多に荒らげない声を意図せず出すと、その場にいた全員が俺へ顔を向けて頭を下げた。

「オベリアのはんえいがあらんことを」

唯一動じないアルフィアスの息子であろう幼子は貴族の立ち振る舞いを見せつけるかのように頭を下げた。文句の付け所一つない可愛げのなさが益々気に入らなかった。

「フィリックス、なぜ姫がここにいる?」

「姫様がお外で遊びたいと申されたので…」

「俺が許可してない時以外は」

フィリックスに文句を言っている途中で、足元に痛くもない刺激があった。視線を向けると、恨めしそうな顔をした娘が手を伸ばして俺の膝を叩いている。

「おにーたんとあそぶーーー」

「だめだ」

「おにーたんやさしい」

「そんなの表面上だけだ」

上品なフリをしてアルランタへ留学した後悪い影響を受けて戻ってくるのだ。こんな幼い頃から二人を引き合わせたくはない。

「おにーたん!!!」

「男はみんな良くない影響を与えるからな」

「おにーたんおやつくれた」

「なんだと?」

与えたくても与えられない俺の葛藤を無視し、娘から好かれようとしているとはさすがタヌキの息子だと睨むと、アルフィアスの息子は怯むことなく視線を交わらせてきた。「それの何がいけないのか?」とでも挑発するように。

「ぱぱきらい」

「は?」

「ぱぱきらいってゆったのーーー」

フィリックスに駆け寄り抱きつく娘をただただ見つめることしかできない。本日二度目のことだった。

「アタナシア、俺も…」

懐に密かに忍ばせたクッキーを取り出そうとしてすぐに、妻の鋭い視線を感じた。クッキーを触りながら娘を見ると、俺からは顔を背けてフィリックスにしがみついている。

不穏な空気を感じ取ったのか、アルフィアス公爵は息子の手を引き皇宮を後にし、フィリックスは暴れる娘をエメラルド宮へと連れて行った。

またしても残された俺を見て妻は困ったように微笑み、妻に手を引かれて寝室まで向かった。

「お前の言う通りにした」

「ちゃんと見てました」

「……」

ダイアナの膝の上へと頭を預けると、頭を優しく撫でられるので気持ちを少しずつ落ち着かせていく。

『ぱぱきらい』

それでも頭から離れない娘の泣き顔と声。泣かせたことは何度もあったが、嫌われたことは一度も無い。娘の欲しがる物はすべて与えてきた。大量のチョコレート、宝物庫の鍵、図書館、バラ園、デビュタントのパートナー、肖像画……。彼女が望んだ物の中で与えなかった物などただの一つもない。初めてなのだ。

妻の腹に顔を埋めると、フフッと笑う声が聞こえて、頬を撫でられる。

「親になるって難しいですね」

「…そうだな」

もう父親を経験した気になっていた。果たして、あの時の俺はあの娘に対して父親と呼べることをしてあげたことがあったのだろうか。両親と接した記憶の無い自分が親になることを想像できなかったあの頃。今の妻・ダイアナを失った悲しみに打ち勝つことができず、娘を遠ざけた。そんな俺を父親と慕い、最期まで看取ったあの娘。記憶で見たあの光景を、まるで本当に経験したかのように大人になった娘を思い出すと胸が苦しくなる。

「一日寝たら、きっとあの子も忘れますよ」

「そうだろうか」

「ええ。まだ二歳なんですから」

縋り付くように腰を抱きしめ、込み上げる感情を隠した。しばらくして気持ちが落ち着くと、妻の細い首に腕を回して、妻の顔を自分の顔へと近づける。

コンコン

唇が触れ合う直前に寝室のドアをノックする音が聞こえてくる。どうせフィリックスだろうと無視を決め込み、ダイアナと口を合わせた。

コンコン

「陛下」

「どうせフィリックスだ。放っておけ」

「でもっ……」

コンコン

気分が台無しだった。そこまで急を要する事態ではなかったらただでは置かないと決め込み、妻の膝の上から起き上がる。

「なんだ」

ゆっくり開いたドアから顔を覗かせたのは、こちらの様子を伺うように見上げる娘だった。

「アタナシア?」

「ぱぱ」

駆け寄りたいのに、また拒否されたらどうしようという気持ちから身体を動かすことができない。同じように一歩も動けない娘は、後ろで見守る騎士を振り返る。

「ふぃり…」

「姫様」

フィリックスは娘の背中に手を添えると、娘は開けたドアから一歩を踏み出した。

「ぱぱ」

「……なんだ」

「ごめんなしゃい」

「?」

思いがけないことに、娘から出たのは謝罪の一言だった。

「ぱぱのこときらいってゆって、ごめんなしゃい」

「アタナシア……」

謝罪と共に親子である証の宝石眼からは涙がボロボロと溢れてくる。たまらず娘へと駆け寄り、抱きかかえて涙を拭った。

「俺も悪かった」

「ごめんなしゃい」

いつもきっかけをくれるのは娘からだった。誕生日を祝えない後ろめたさに、先に声を掛けるのはいつも娘からだった。腹立たしいことがあり周囲に当たり散らしても、宥めるように声をかけるのも、いつも娘からだった。

「すまない」

なぜこうも自分が経験したかのように感じるのかはわからない。それでも抱え上げた娘と同じくらい、記憶の中の娘を愛していた。

「姫様が夢を見たそうです」

「あら、なんの夢ですか?」

「ダイアナ様に似た女の方から、『パパを大事にしなさい』って言われたんですよね?」

フィリックスの言葉に、いつの間にか泣き止んだ娘は大きく頷き、眼をキラキラさせて説明する。

「かみのけきらきら。でもままじゃないよ。おめめがぱぱみたいにきらきらしてたから」

「……!」

今でも鮮明に思い出すことができる、美しい娘の姿が脳裏に浮かんだ。

『パパ』

庭園で石像に噛みついた姿、魔力に苦しむ姿、宝物庫の鍵を喜ぶ姿、デビュタントで美しく着飾った姿、茶会の出来事を楽しげに報告する姿……。どれも間違いなく、俺の娘だった。

「アタナシア、そこにいるのか…?」

「はーい!いるよー!」

「……そうか」

込み上げる涙を拭う暇がなく、誰にも見せまいと顔を伏せるも一歩遅く娘と目が合ってしまった。

「ぱばがないてるーーーーーーー」

「え!?」「陛下!?」

「泣くわけないだろう」

騒ぎ立てる娘に驚く妻と護衛騎士。泣いたことが皇宮内の噂として広がれば皇帝の威厳も無い。

「姫様に嫌いと言われたことがそこまで堪えてたのですね」

「アタナシア!もうお父様に嫌いと言ってはだめですよ!」

「ぱぱすきーーー」

何やら勘違いされていることはわかったが、訂正する気力も削がれるほどに、この世界は平和だった。妻と娘と暮らす世界。死ぬ直前に、娘と二人で望んだ世界だった。

 

 

『私、パパの娘に生まれてとても幸せだな』

『そうか』

『でもたまに思うの。もしママが生きてたらって』

『……』

『私は今よりワガママに育つかもしれないけど……パパは苦しむことなく幸せだったんだろうなーって』

『……お前を傷つけることもなかっただろうな』

熱心に魔塔へ引きこもり、魔術の勉強をしていたアタナシア。そこまで時間を費やして何をしているのか尋ねても話そうとしないアタナシアに、フィリックスは言った。

『愛の魔法ですよ』

『愛?これ以上アイツは何を望むんだ』

『陛下もいつかきっとわかります』

 

 

アタナシアの魔法。時を戻せる魔法が存在するとは習ったことがなく、考えもしなかった。しかし、この幸せは間違いなくあの子がもたらしたものなんだろう。根拠はないが、確信していた。

目の前の娘がいつも以上に愛おしく感じて、懐に忍ばせたクッキーを妻の死角になるようにしてそっと手渡す。

「くっきー!ぱぱすきー!」

「あっ、おい!」

背後は恐ろしくて振り返れなかったが、穏やかな気持ちに自然と笑みが溢れ落ちた。

 

Fin.

2件のコメント

もも

マジ泣きしてしまいました。
クロードが前世で憧れた愛情溢れた生活と、育児放棄してしまった幼少期のアナスタシアへの後悔が鮮明に見えました。
前世ではダイアナが、今生ではアタナシアが守護霊のように守ってくれるなんて、クロードが1番幸せ者ですね!

返信
セロ

>ももさん
マジ泣きありがとうございますっっっ!!!書きたかったことが伝わってめちゃくちゃ嬉しいです!!!
どうにかしてクロードを幸せにしたかったです。でも今のアタナシアとの生活も無かったことにはしてほしくなくて。。。
また他の作品も読んでいただけたら嬉しいです♡

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