「大好きなパパのために、魔法を完成させたんだ」
視界がぼやけて、歳を重ねてより美しくなった愛しい娘の顔を認識できない。娘の成長はいつも彼女の母親を思い起こさせた。母親である女性と一緒に過ごしたのは自分の生きた長い時間の中のほんの僅かな割合でしかなかった。しかし、死別した後もその顔を忘れることは一度もないほどに、彼女と彼女が残した生き写しの娘を愛していた。
やっと、彼女を想い続けるこの苦しみから解放される。あまりにも多くの命をこの手で奪った自分が、優しい彼女と同じ場所へ行けるはずがないけれど。心残りは今も啜り泣く唯一の娘だけだった。泣き声に向かって手を伸ばし、指先で涙を拭った。
「……アタナシア。幸せになれ」
「パパ。今までも、これからも愛してる。またね」
どうか、自分と同じ道を辿るなという気持ちと、再びお前をこの手で抱きしめたいという矛盾した願いが捨てきれない。複雑な想いを抱えたまま、今生に別れを告げる。
「悪く、なかった」
息を引き取るその瞬間、アタナシアによって握られた手から伝わる温もり。その手から不思議な魔力が生み出されて身体が包まれていった。
愛の魔法
「ぱぱぁ」
最近歩けるようになったばかりの辿々しい足取りで執務室へと入ってきた娘は、つい先日2歳の誕生日を迎えた。
「おようふくきらきら」
舌っ足らずな言葉を発し、ゴールドの生地でできた服を着て、両手を天井に向かって広げ、満足気な顔をした娘が近寄ってくる。もう一度言うが、娘は歩けるようになったばかりだ。いつ自分の足を引っ掛けて転ぶか、躓くのか、気が気ではない。
「おい、まだそんなに歩くな」
急いでペンを放り投げて娘に駆け寄り、腕に抱えるとキャッキャと楽しそうに笑った。その愛らしい姿に一瞬頬が緩んだものの、次第になぜ娘がここに一人でいるのか疑問を抱く。
「フィリックスは何をしている」
娘の護衛にと付けた騎士の任務の怠慢っぷりに苛立ちを覚えたところで、開いたままのドアから慌てた視線を感じた。
「いた…アタナシア!父上の邪魔をしてはいけないと何度言えば……」
娘そっくりの美しい顔をした女は、その見た目通りアタナシアの母親だった。険しい顔をして娘に声を掛けると、娘は怒られていることを自覚はしているのか、俺の首元に顔を埋めて静かになった。
「いい。庭で茶でも飲むか」
「しかし陛下、業務が…」
「そんなもの後で片付ければいいだろう。フィリックスは?」
「あ…ロベイン卿はまだアタナシアを探していらっしゃるかと」
こんな小さな娘一人探せないとは、と護衛騎士に舌打ちを一つ打った。メイドに庭での準備を指示して、アタナシアを抱えたまま、妻の手を引き庭へと出る。
用意された幼児用の椅子には座らせず、自分の膝の上にアタナシアを乗せて席についた。向かいにダイアナが座る。これが定位置だった。
「ん?」
メイドによって用意されたのは、自分とダイアナの紅茶と、アタナシア用のミルク。机の上に置かれているのはクッキー数枚のみだった。
アタナシアの顔を見ると頬を膨らませて不満そうにしている。最近食べられるようになったお気に入りにのデザートがこの場に無いことが理由だろう。
「おい、アタナシアが食べれるデザートを持ってこい」
メイドに指示をするとその場にいたメイドたちは困ったように顔を見合わせた。そして、恐る恐るダイアナに視線を向けたように見える。
「なんだ?俺の言うことが……」
「陛下」
「?」
ダイアナによって言葉を遮られる。顔を見ると、先程と同じくしかめっ面をしていた。彼女にしては珍しいことだったので、耳を傾けるとダイアナは口を開く。
「アタナシアにデザートを与えないでください」
「なぜだ?こんなに欲しがっているのに」
未だに頬を膨らませる娘を指で突くと、その頬の柔らかさが病みつきになりそうだ。あまりにも押しすぎたのか、アタナシアは膝の上で暴れ出す。
「あーてぃけーきたべたいっ!」
「ダメです!そんなに食べるものじゃないの!」
「やだやだやだぱぱぁ」
甘いものを食べすぎるのは良くないことだということはわかっていても、可愛い顔で泣きつかれては叶えてやりたくなるものだ。皇帝であるのに、娘一人の願いも聞いてやることができないなんて。
「こいつはケーキが大好きなんだ。少しくらい食べさせてやっても」
「せっかく生えてきた歯が虫歯になったらどうするんです!」
「歯磨きを怠ったメイドのせいだな」
「今からそんなにデザートを食べることを覚えてしまったら、太ってしまうかもしれません!」
「こいつはどれだけ食べても太らない」
「何を根拠に…!」
アタナシアがどれだけデザートを口にしようが、見た目が変わるほど太らないことを知っていた。
不思議なことだが、俺はある時から人生をやり直しているらしい。この記憶が現実にあったことなのかは定かではない。しかし、やけにリアルな世界だった。
その記憶が現れたのは、宮廷医から『ダイアナ様かお腹の中の子か、どちらかを選択せねばなりません』と言われ絶望に陥った時だった。この後のダイアナの選択、そして子供の中に宿る神獣が命を脅かす元凶だという事実を、突然現れた未来の記憶から知った。
目が覚めてすぐ、塔で眠ると聞いた魔法使いを叩き起こして、どちらの命も救うという方法を選択し成功した。
しかし、記憶が正しければアタナシアに降りかかる災いはこれだけではない。どこかで今も身を潜める兄を探さなければならないし、アタナシアを狙うアルフィアスの公子と出会わせてはいけないし、塔の魔法使いはアタナシアを守らせながらも距離を近付けさせてはいけない。これから俺のやることは尽きないのだ。
「とにかく!陛下は甘やかしすぎです!これでアタナシアがわがままに育ったらどうするんですか!」
「立派な後継ぎになるから心配しなくていい」
「陛下!」
心配なのはダイアナの身体だった。記憶ではアタナシアを産んですぐに亡くなったが、その危険を排除したからといって、別の危険が無いとは限らない。だから何重にも保護魔法をかけるしか懸念事項を取り除く方法はなかった。
「そうだ、保護魔法」
デザートが食べたくて泣き腫らしたアタナシアの身体に今日の分の保護魔法を掛ける。
「保護魔法ってそんな毎日かけていいものなんですか?」
「何度もかけることに意味があるんだ。俺がうっかりしても生き延びられるように」
「うっかり?」
自分で自分の保護魔法を壊すことがあるとは、記憶の中は恐ろしい世界であった。保護魔法をかけ終え、今日も娘の命を保護できたことに安心して、メイドを呼ぶ。
「アタナシアのデザートを持ってきてくれ」
「ぱぱぁだいしゅき」
アタナシアが膝の上で立ち上がり、首に抱きついてきたことに満足していると、ダイアナは勢いよく立ち上がり、机の上の食器たちが音を鳴らした。
「?」
「しばらくアタナシアを実家に連れて帰ります」
「何だと?」
初めて見る形相をしたダイアナへの驚きと、なぜ実家へ帰ることになるのか理解ができず、言葉に詰まってしまう。
「アタナシアにはもう少し我慢を覚えさせたいのに、陛下が甘やかしすぎます」
「アタナシアは姫なんだから、我慢をする必要がないだろ」
「姫である前に、私の娘です!」
パパばっかり、そう言ってダイアナは俺からアタナシアを取り上げると、止める間もなく宮殿の中へと戻っていってしまった。
「何を間違えた?」
アタナシアに関することは、存在する未来の記憶を頼りに上手く立ち回り、今から不安の芽を潰して順調に進みつつある。しかし、ダイアナに関することは記憶が無いために予想外なことばかり起こる。
アタナシアのデザートを我慢させれば良かったのか。しかし、そうすればアタナシアは泣き止まなかっただろう。
しばらくの間、庭園で一人紅茶を啜りながら、出ない答えを考え続けた。
「フィリックス」
「はい、陛下」
いつの間にかアタナシアの居場所を突き止めて庭園で待機していたフィリックスが傍に駆け寄る。
「皇宮から出る馬車を全て破壊しろ」
「はっ……は?」
目を丸くしたフィリックスに一々説明しなければならないことにため息をつく。
「ダイアナがシオドナへ戻れないようにするんだ」
「何も馬車を破壊までしなくても」
「どこに協力者がいるかわからないだろ」
「……わかりました」
心なしか重そうな足取りで馬車小屋へと向かったフィリックスを見て、シオドナへ帰ると言うダイアナの、まずは物理的手段を断てたことにほっと一息つくことができた。
さて、ここから妻を何と言って引き留めようか。
この日、夕食にも寝室にも現れなかった妻のせいで、残された書類の山を片付けることはできずに夜が更けていった。
マジ泣きしてしまいました。
クロードが前世で憧れた愛情溢れた生活と、育児放棄してしまった幼少期のアナスタシアへの後悔が鮮明に見えました。
前世ではダイアナが、今生ではアタナシアが守護霊のように守ってくれるなんて、クロードが1番幸せ者ですね!
>ももさん
マジ泣きありがとうございますっっっ!!!書きたかったことが伝わってめちゃくちゃ嬉しいです!!!
どうにかしてクロードを幸せにしたかったです。でも今のアタナシアとの生活も無かったことにはしてほしくなくて。。。
また他の作品も読んでいただけたら嬉しいです♡