長く儚い夢を

 

悪魔に従った暴君を倒したオベリアの現帝王。名はクロード・デイ・エルジェア・オベリア皇帝陛下。冷酷というに相応しい性格を持ちながらも、皇帝としてのカリスマ性と麗しい容姿を持つ彼に見初められたいと願う者は男女問わず後を立たない。

彼の鋭い眼差しに魅入られたのはもう数年前のことだった。伯爵家の長女という肩書きを手放してまでメイドとして皇城入りするほどには彼にのめり込んでいた。

 

長く儚い夢を

 

数ヶ月前に配属されたのはエメラルド宮。陛下の一人娘が過ごす宮殿だった。私よりもいくつか幼いこの帝国の姫は、皇城内でそれはそれは愛されて育てられていた。そう、ある人物を除いては。

本当はガーネット宮への配属希望を出したが、その願いは叶わなかった。噂ではガーネット宮は必要最低限の者しか配置していないという。後から分かったことだが、陛下と直接対面する機会のある者の方が稀なのだとか。とはいえ簡単に諦めることはできなかった。陛下に自分の魅力をアピールする機会がほしいと願い、時間のある限り方法を模索した。接点さえあれば、陛下も私を愛さずにはいられないのだから。

エメラルド宮での配属のほうが陛下との接点を持てると気付いたのは配属されて暫く経ってのことだった。陛下と姫は毎日義務的に朝のティータイムを共に過ごしていた。庭での設営業務からお茶類の配給までに携われれば、陛下の傍にいることができるようだ。しかし、新参者にはその大役が任せられることはなく、絶望の日々が続いた。

ある日、その大役は思わぬ形で私の元へと舞い込んできた。ティータイム担当の数名が食中毒に当たり寝込んだためだ。

「アタナシア様、こちらへ」

「ありがとう、アリス」

残念なことにエメラルド宮に仕える身として、陛下ではなく姫の世話をメインにしなければならなかった。

デザートを物凄いスピードで平らげる姫の皿を空けないようデザートを必死に運んだ。陛下と距離を縮めるためなら、と思えばこの苦行にも耐えることができた。

ティーポットからカップへと二人が好むというリペ茶を注ぐと、彼女はお茶を口に流し込んですぐに、その熱さに耐えきれず声を上げた。

「あちっ」

なんと下品な、そう思わずにはいられなかった。デザートを口に運ぶのは止まらないし、声は大きい。私だけではなく、周囲のメイドや騎士たちも姫らしからぬ言動に引いているようだった。

「どうした」

「な、なんでもないよ」

口を噤んでいた陛下が、姫のあまりの慌ただしさに声を掛けた。デザートを詰め込みすぎて熱いお茶に気付かず火傷しただなんて、さすがに羞恥心を持ち合わせていた姫が誤魔化したので、陛下はそれ以上追求することなく側近に声を掛けると、そこで会話は終了した。

張り詰めた雰囲気の中でのティータイムが過ぎていく。やっと業務が一息ついたところで、向かいに座る陛下を盗み見ると、不機嫌そうにティーカップを口に運んでいる姿が目に映った。

なんて優雅な姿なんだろうと敬う気持ちと、自分の父親とは全く違うなという気持ちだった。私の父親は、私のことをとても大切にしてくれていたのが誰の目から見ても明らかであった。しかし、目の前の陛下の態度は娘のことを大切に思っているとは到底思えないものだった。

帝国民のために忙しい日々を過ごす陛下にとって、こんな義務的な時間に付き合わされていることがもどかしくてしょうがなかった。そんな二人の会話は至って事務的だ。

「デビュタントの準備は進んでいるのか」

「進んでるよ」

「ダンスは?」

「フォンパドュ夫人には上手になったねって」

姫の言葉は見栄を張った嘘だ。何度かダンスの時間に同じ部屋に居合わせたことがあるが、お世辞にも亡き母の血が流れているとは言い難い。しかもまだ踊れるのは一曲だけ。もうあまりデビュタントまで時間がないというのに、これではパートナーであるロベイン卿に同情心が芽生えるのも当然である。

フォンパドュ夫人は数年前の私のデビュタント前までの師だったこともあり、当時の私と比較しては大きなため息を吐いていた。

『アリス様ほどの才能があるわけじゃないんですよね。踊り子の娘なのに』

陛下と、卑しい生まれの女との間にたった一夜の過ちから誕生した姫。今は亡きその踊り子はたまたま陛下から見初められる機会があっただけということ。そしてたまたま運良く子供ができたというだけ。家柄も容姿も申し分ない私を、娘を愛しすぎた私の父が後妻にとこれまで陛下に申し出さなかっただけで、私にも機会さえあれば見初められるにちがいないのだ。

「皇室の恥になるなよ」

「はーい」

その後も終始不機嫌そうにした陛下とぎこちない笑顔を浮かべた姫だったが、会話は弾むことなくこの会はお開きとなった。毎日開かれているというこのティータイムは陛下にとってどんな意味があるのか、疑問を抱かずにはにいられなかったが、初めて陛下の至近距離に居られたこのティータイムは私にとって幸せな一時と言えるものだった。再び、陛下の傍にいる機会が巡ってくるのを心待ちにして日々の慣れない業務を耐え忍んだ。

 

* * *

 

アタナシア姫の14歳の誕生日は信じられないほど静寂な中で祝われた。この宮殿の人間のことだ、愛くるしい姫の誕生日を盛大に祝うはずだと思っていたのに。祝うことを禁じられているように、ひっそりと。まるで誰かに見つかるのを恐れているかのように、姫の誕生日はエメラルド宮の数名によって祝われたのであった。

ーーーこれで確信した。陛下にとって姫は不必要な存在なのだ、と。父親とは、娘の誕生日を自分のことのように喜び涙するものだ。私の中の父親像とはかけ離れた陛下の態度から心情を察すると、頭に鳴り響く誰かの声。

『姫の息の根を止めろ』

「……」

『クロードがそれを望んでいる』

その言葉に何も違和感を抱くことはなかった。皆が寝静まった時間に、操られたように気だるい身体を動かして姫の部屋へと向かう。ベッドに横たわる姫の顔を覗き見ると、脳天気な寝顔を晒していた。首まで掛けられた布団を少し捲り、首に両手を掛けると、どこか陛下を思い起こさせる美しい顔は歪んでいく。

『殺せ』

聞こえてくる声のままに力を込めると、突然鋭利な光が姫の身体から私に向かって現れた。驚きの余り言葉を失っている間に、自分を包み込むように別の光が現れ、襲ってくる光の盾となった。何が起こったのか理解ができなかったが、我に返り急いで姫の部屋を後にした。その夜は初めて身近に感じた死への恐怖に身体の震えが治まることはなかった。

それでも陛下のために行動したことだ。胸を張っていいのだと自分を鼓舞し、睡魔が襲ってくるのを願い目を閉じた。

「姫様が陛下をデビュタントのパートナーに所望したらしいわ」

「……え?」

翌朝、信じられない言葉をメイドたちの会話から聞くことになる。よくもまあ、嫌われているのに図々しい頼みができるものだと感心した。しかし、驚いたのはその後だった。

「陛下もご満悦みたいね」

「フィリックス様への八つ当たりすごかったもんね」

「そうそう、姫に恥をかかせたら皇族への侮辱罪で監獄行きだとか」

「この前なんて理由もなく護衛騎士から外すとか言われてたわね。ダンスするだけの使えない護衛騎士なんかいらない、とか言って」

「姫様が社交界デビューして求婚されたりでもしたら、どうなっちゃうんだろう」

ーーーまさか陛下が娘を寵愛しているという噂は本当だったということ?なぜ、望まれて出来たわけではない子のはずなのに?

陛下がこれから愛するのは自分だけでいい、そう思うと姫の存在が邪魔で仕方がなかった。しかし、姫を消そうとするとまたあの謎の光に巻き込まれる可能性が高い。あれは一体誰が何のためにかけた魔術なのだろう。

 

* * *

 

今後の成すべき未来について考えを巡らせていると、すぐに姫のデビュタント当日となった。早朝から慌ただしく姫を着飾り、夕方までそれは続いた。

エメラルド宮から姫を見送りして、駆け足で馬車の待機している場所まで向かう。陛下が姫をエスコートするというのは事実なのか、自分の目で見るまでは受け入れられなかった。

後光が差すように闇の中で一際輝く陛下を視界へ入れて胸が疼く。すると、まるで物語のワンシーンかのように陛下の鋭い視線が私へと突き刺さる。義姉たちに苛められたみすぼらしい姿の主人公に一目惚れする王子様との出会いのシーン。メイド服を身にまとう自分の姿が恥ずかしい気もするが、物語としてはぴったりだ。着飾って、この後階段から降りてくる姫よりも美しい姿を陛下に見せたかった。そうしたら、視線を外すことなくずっと私を見ていたはずなのに。

美しい物語を打ち消すように、周囲から感嘆の声が広がる。みんなの大好きな姫様のご登場だ。姫の向かう先は、私の視線の先の陛下。

見つめ合う二人はしばらくその場から動かない。少しして陛下は姫に手を差し出す。世間の目を気にしての、義理のエスコートにちがいない、のに。

「今日、とても綺麗だな」

初めて聞く声色、初めて見る下がった目尻。それは私が以前目にした陛下ではなく、ただ一人の娘を愛する父親の顔そのもので。まるで愛おしい存在を見るかのように、姫の身体を引き寄せて馬車までエスコートした。

「エヘヘ、いつも綺麗でしょ」

「フン、調子に乗るな」

ニコニコと陛下へ話しかける姫と、いつぞやとは異なりその話にしっかりと耳を傾ける陛下。

ーーーお願い。私以外を、愛さないで。

「陛下と姫様、本当にお似合いだな」

「陛下が姫様に甘いのは知っていたが、まさかあそこまでデレデレとはな」

「あれちょっと口元緩んでたよな」

ーーーそんなの陛下じゃない。

「あそこまでお美しくなられるとは」

「ダイアナ様そっくりになったな」

「そりゃ陛下も寵愛するな」

騎士たちの会話が頭の中をグルグルと巡り、自分の中の陛下像を崩されていくことに心が耐えきれそうにない。拳を強く握りしめ、馬車の中へと入った二人を睨みつける。頭に血が上っていくのがわかった。

「馬車へ乗ってそのまま待っていろ」

馬車へ乗ったはずの陛下が降りて、私の方へと身体を向けて歩いてきた。まさか私のことが気になって娘を置いてきたんじゃ、と思い挨拶をすることも忘れて、期待を込めて目の前に立った高身長の陛下を見上げる。愛して止まない鋭い視線に心臓の音だけが激しく鳴り響く。

「お前何者だ?なぜ俺の魔力の気配がする?」

言われている意味がわからなかったが、陛下が私の魅力に引き寄せられたことはわかった。

「何を仰っているのかわかりません…」

これまで周囲の人間を落としてきた上目遣いをして更に目を潤ませて陛下を見ると、想定していたものとはかけ離れた眼光の恐ろしさに、別の意味で心拍数が上がっていく。

「お前、もしやアタナシアを殺そうとしたのではあるまいな?」

「へ、陛下が何を仰っているのか分かりかねます」

「誤魔化しても無駄だ。俺の娘に手を出すとは、余程死にたいらしい」

想像とは180度かけ離れた突然の展開に頭の整理が追いつかなかった。なぜ、姫に手をかけたことを陛下が知っているのか。娘に関心もなく、誕生日にも会いにも来なかった陛下が。

「陛下と姫様は血のつながりがあるだけの関係ではないのでしょうか。声が聞こえてきたのです。陛下が姫を消すことを望んでいると」

「そんなことは天と地がひっくり返ってもあり得ない」

陛下の手から現れた鋭利な光を見て思い出した。姫の身体から保護するように出てきた、あの殺意の塊のような光を。

「アタナシアが死ぬ時は俺がこの世から居なくなり、その身を守れなくなった時だけだ」

迫りくる危険を感じて叫び声を上げながら目をギュッと瞑ると、身体が別の場所へと飛ばされる。灯りの乏しいその場所は、よく見知った場所だった。陛下に似た顔を持つ男に会うために通った邸宅の中だ。そして目の前には長身の男。彼が今回様々なアドバイスをしてくれたお陰で陛下を振り向かせる直前までいけたと思った、なのに。

「し、子爵様…陛下が…陛下が私を…」

「クロードはなかなか手強いなぁ」

「え?」

「君はもう用済みだよ。お家に帰してあげる」

「え…?パターソン子爵様!!!」

「さーて。久しぶりに平和ボケしたクロードの顔でも拝みに行くかな」

子爵が陛下の名前を呼んでいるのを、薄れゆく意識の中で聞き取ったーーー。

 

* * *

 

長い夢を見ているようだった。数日前に行われた姫のデビュタントはオベリア中の話題となっていた。その光景を目撃した妹から話しを何度も聞いたからか、パーティーの夢まで見てしまった。

なんと姫を寵愛する陛下が、姫をエスコートしてデビューダンスまで一緒に踊ったらしい。それはそれは惚れ惚れする親子のシーンだったという。数年前、一度パーティー会場で見かけただけの麗しい陛下。あのお方が娘を愛す姿すら、想像しただけで愛おしい。

「待っていてくださいね」

今日も私は娘を愛する陛下を夢見て過ごす。その夢はやけにリアルだ。早く陛下にお目にかかれる機会があることを願って、今日も目を瞑ろう。

 

終わり

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