オベリア帝国の姫とロイヤルガードの内緒事
「ひ、姫様。ロベイン卿についてお話をお聞きしたいのですが…」
もう何度目になるかわからないエメラルド宮でのお茶会が開かれたある日、一人の令嬢が恐る恐る私に尋ねてきた。
(この子は赤血の騎士派か)
自分自身が二度目の人生を歩んでいるからだろうか、この物語の世界の令嬢たちは純粋で可愛い、という印象を持つ。ダークな部分があるとすれば、父であるクロードの生い立ちと私の出生に関することくらいだろう。もちろん、ジェニットが皇城へと入ればその嫉妬からどこかの令嬢たちが嫌がらせを始めたりもするのだけれど。
「はい。私でお答えできそうなことであれば何でも聞いてください」
私が笑顔を作ってみせると、令嬢も顔を明るくして嬉しそうに笑った。
どういう仕事をしているのか、普段どんな話をするのか、好きな食べ物は何か、など様々なことを聞かれるので、皇室の騎士の守秘事項は考慮しつつ話せる範囲で答えることにした。そして、彼女が本当に聞きたいであろう本題へと移る。
「ロベイン卿は、許嫁や恋仲などいらっしゃらないのでしょうか」
(許嫁はいないだろうな…)
そういえばあまりフィリックスの色恋沙汰について聞かないことに気がついた。父クロードと近い年齢で、いくらクロードが早く父親になったからと言って、もうフィリックスにも幼い子供がいてもおかしくない年齢だろう。公爵家で、決められた相手がいたっておかしくない。
「フィリックス」
少し声を張り、離れた所で私の護衛を務める噂の男を呼ぶと、彼は髪の色と同じように頬を染めて私の元へと跪いた。
(照れちゃって可愛い)
「ねぇ、フィリックスは結婚とかしないの?」
令嬢たちの前で私の問いに答えるため真面目な顔をしていても、赤く染まった耳まで隠せていないので、皇室騎士の威厳は皆無だ。
「私は陛下に一生の忠誠を誓った身です。結婚などは…」
「恋人は?」
「お、おりません」
「ふーん。いないみたいです」
令嬢は目を輝かせて口を手で覆っている。
(恋人のいないアイドルに一番ファンがつきやすいもんだしね。パパはせっかくの美貌なのに大きな子供までいるから対象外なんだわ、残念)
「け、結婚してくださいませんかロベイン卿!」
「!?」
突然の令嬢の求婚に、口に含んでいた飲み物が器官へと入り咽てしまう。
「ご令嬢、お、お気持ちは大変嬉しいのですが」
「貴方のことを考えると苦しくて眠れない夜を何度も過ごしました。こんな魅力的な方が他の方の物になってしまうなど、考えられません」
「私はご令嬢と歳も…大分離れておりますし」
「どこかの醜い貴族の側室にされる可能性だってあるのです」
その言葉に、この世界の令嬢は親の決めた政略結婚が当たり前なことを思い出す。私の場合は、クロードが私の結婚を望まないだろうから、変な相手と結婚させられることはまずないとは思うが。令嬢の言葉に周りの子たちも大きく賛同し、フィリックスに詰め寄った。
助けを求めるように私を見てくるフィリックスは、先程よりも顔が赤くなっていた。それはまるで若い子たちに囲まれて鼻の下を伸ばしているような姿に見えて、それが彼には似合わない気がして胸に靄がかかった。
「まあまあ、ロベイン卿は本人も仰るようにオジサンですし、皆さんには他にも良いご令息がいらっしゃいますでしょう?」
「姫様。愛に年の差なんて関係ないのですわ!」
「そうです!しかも私達と同い年と言われても分からないくらいロベイン卿はお美しい方です」
(なんで私がフィリックスのフォローをして、責められなきゃいけないわけ?)
フィリックスをジロリと睨むと、目尻を更に下げて助けを乞うように傍に寄ってきた。高身長のくせに、時々子犬に見えるから困ってしまう。
「ま、まぁこれから親交を深めて判断すればいいでしょう。ただし、結婚は公務に差し支える可能性があるので、私が判断できることではありません」
令嬢の夢を壊さず、でも結婚は私には決められないという曖昧な回答で一旦逃げようと考える。その回答に令嬢たちは満足したようで、今日の会はお開きとなった。
みんなを見送った帰り道、まだ頬を赤らめたままのフィリックスに喝を入れる。
「ちょっと!フィリックスがはっきり断らないから私が責められちゃったじゃない!」
「すみません姫様。だってこういう時にどうしたらいいのか……」
シュンとしたフィリックスに垂れた耳まで見えてきてしまうが、これから先も振り回されることを避けるために心を鬼にして怒ることにした。
「まったく!ずっとデレデレしちゃって!」
「そんなぁ…デレデレなんてしてませんよ…」
「してた!ほら!ずっと頬が赤い!」
グッと首元を掴むとフィリックスの頭が屈む形になる。両頬に手を当てて挟むと、困惑した表情で瞳を潤ませていて、罪悪感が芽生えてしまう。しかし、負けじとしばらく至近距離で睨んでいると、この男はとんでもないことを言い出した。
「姫様、もしかして嫉妬されてます?」
「はぁ?」
「忘れてしまいましたか?まだ姫様が幼い頃、陛下には内緒で私と結婚しようと仰ったこと」
「そ、そんな小さい頃のこと覚えてるわけないでしょ?」
両頬をバチンと叩くと、痛いですと呟いてフィリックスは更に涙目になった。上目遣いで痛みを訴えてくるフィリックスに、「嫉妬」というワードのせいで今まで抱いたことのない感情が湧いてくるのを感じて困惑する。
(いやいや、あり得ないんだけど)
突然芽生えた胸の高鳴りを信じたくなくて、地面に転がったフィリックスを置いて、エメラルド宮へと駆け抜ける。
「危ないので走らないでください!」
フィリックスが何か言っているが、全て聞こえないふりをして全力疾走で宮の中へと入っていった。
『フィリックス』
『なんですか姫様』
今と変わらないフィリックス。彼の肩口に抱きかかえられている私は、多分出会ってすぐの幼い頃の感覚だ。
『フィリックスはだれとも結婚しないの?』
『結婚ですか?』
『うん。いつか誰かのパパになってここを出ていっちゃうの?』
なぜそんなことをフィリックスに聞いているかはわからない。多分、いつ父親に殺されるかわからない状況下で、傍にいてくれる優しい騎士の存在は心の拠り所だったのかもしれない。
『姫様をお傍で守ることが私の仕事です。だから結婚なんてしませんよ』
幼い姫に向けた純真な笑顔に満足をした私は首に回した腕により力を込める。
『誰とも結婚できないのは可哀想だから、アーティが結婚してあげる!』
『えー!本当ですか姫様!でもそんなことになったら私は陛下に殺されてしまいます』
『じゃあパパには内緒にすれば大丈夫!』
『約束ですね、姫様』
フィリックスの頬に軽いキスをする私ーーー。
「ぎゃあああああああああああああ!」
「どうされました姫様!!!」
私の叫び声に、深夜にも関わらずリリーが部屋まで駆けつけてきた。
「ご、ごめん。ちょっと変な夢を見て」
「そうだったのですね。よかった」
再びベッドへと寝かしつけられるが、リリーが部屋を出て行った後も顔の火照りは治まらなかった。なぜ今になって幼い頃の約束なんて思い出して、こんなにもフィリックスにドキドキしているんだろう。自分の気持ちが全く理解できず、悶々とした夜を過ごすことになった。
翌日、いつもと変わらないフィリックスが私の部屋まで迎えに来た。夢で見た遠い記憶と、その約束を覚えていた昨日のフィリックスに戸惑いを隠せない。一回り以上も年の離れた私と結婚なんて、本気じゃないことくらいわかっていたし、私だって幼い頃の可愛いジョークだったと思っている。
「おい」
「?」
クロードと日課のティータイム中に、昨日の出来事について考えていたら、いつの間にか不機嫌そうな顔をしていたクロードに声を掛けられた。
「お前ちゃんと寝ているのか?」
「寝てるよ!昨日はたまたま寝付けなかっただけで」
「え、なぜ寝付けなかったのですか?」
寝付けなかった原因の惚けた声を無視して別の話をしようとするも、親馬鹿なクロードがそれを許さない。
「顔色が悪い。なにか嫌なことでもあったのか?誰かになにか嫌がらせされたのか?」
「いやいや本当になんでもないんだって!悪い夢を見ただけ!」
本人に自覚が無いのは承知の上で、フィリックスを睨んだ。なぜ睨まれているか分かっていないのか、フィリックスからは満面の笑みを返される。
「誰かに嫌な思いをさせられたらすぐ言うように」
「はーい」
それにしてもクロードの過保護っぷりには参ってしまう。私に傷一つでも作ってしまったら、相手はこの世にはいないだろう。
「特に来週のパーティーは、初めから俺が参加できないから」
「うん、大丈夫だって!」
「本当にわかってるのか。フィリックス、何かあればすぐ報告しろ」
「はっ」
来週はある公爵家の邸宅でパーティーが開催されることになっており、クロードと私も招待されていた。しかし、クロードは公式行事が重なった関係で後から参加することに。過保護なクロードは公式行事を別日に設定しようとしたが、デビュタントから月日も経ち、公の場への対応の要領が掴めてきたこともあったので、一人で参加すると頼み、クロードは渋々承諾したのだった。
「あ、それでその日のエスコートなんだけど」
アルフィアス公爵の子息であるイゼキエルから、陛下の代わりにエスコートの役目を承りたいという手紙を貰ったのが数日前。だがクロードはイゼキエルのことを目の敵にしている節があり、なんて言おうか悩んでいた。
「ああ、フィリックスでいいだろう」
「え」
「フィリックス、しっかり努めを果たせ」
「え、ちょっと待ってパパ」
私の話は聞く気がないと言わんばかりに、話を終わらせようとするクロード。
「ん?何か不満か?もしや幼い令息をパートナーにするつもりか?無礼な奴が多いから気をつけろと言ったのを忘れたか」
「わ、忘れてないよ」
「フィリックスだ」
「……はい」
威厳な態度に尻込みしてしまい、フィリックスをパートナーにすることが決まってしまった。イゼキエルには申し訳ないが、断りの連絡を入れなければいけなくなった。
今のこの状態でフィリックスをパートナーにすることは躊躇われたが、超が付くほど過保護なクロードを前にどうすることもできなかった。
「姫様、よろしくお願いします」
ニコニコと嬉しそうな顔をしたフィリックスに、また少しドキドキしているのを自覚して、笑顔がとても憎たらしく思えた。
パーティー当日。「ちょっと大人っぽくして」というオーダーをメイドにしてみると、これまたデビュタント並に着飾られて自分自身に見惚れた。これであれば一回り以上も年上なフィリックスの横に立っても私が輝きすぎてしまうだろう、なんて。
準備を終えてエメラルド宮の外へ向かって歩いていくと、馬車の前には本日のパートナーである長身の騎士が私の登場を待っていた。
いや、本日の彼は騎士ではなかった。身に纏っているのは貴族が着る上質な素材の服で、見た目は騎士というよりは公爵家の子息と言った方が正しいのか。私が知っているのは、整った顔立ちと燃えるように赤い髪だけ。
差し出された手を取り握ると、知らない人に見えるからか、近頃の比ではないくらいに心臓が音を立てていた。
「姫様、今日もお美しいです」
「フィリックスこそ、今日はどうしたの?」
「いやぁ、姫様のエスコートをすることになったと城の者に言ったら、服装を改めるべきだと言われてしまいまして」
「ふーん」
「こんな貴族みたいな服を着るの、成人した時以来です」
喋ればいつものフィリックスにホッとして息を吐く。いつものように手を引かれて馬車までエスコートされ、今日は珍しく一緒に馬車へと乗り込んだ。
(喋らなければとんでもなくイケメンなのよね)
馬車に揺られながら、窓の外を眺めるフィリックスを横目で盗み見ていたらあっという間に会場へと到着した。
フィリックスにエスコートされ、最近顔馴染みとなった貴族たちに挨拶しつつ、最初のダンスが始まったのでフィリックスと踊ることになった。
「デビュタントで足をたくさん踏まれたことを思い出します」
「あれからたくさん練習したんだから、大丈夫よ」
手を握って、腰を引き寄せられて、至近距離で微笑まれて。これ以上汗をかけば化粧が取れかねない、と視線を逸した。曲に合わせてリードされて、この会場に他の人間がいることを何度忘れてしまったかはわからない。
ダンスが終わり、会場中の視線を集めているのはフィリックスだった。皇帝の側近の騎士である彼が、皇帝の傍を離れてダンスを踊るなど滅多に無いからだ。特にお茶会メンバーの令嬢たちからの羨望の眼差しが熱く突き刺さる。
「それでは姫様」
「え?」
「ダンスパーティーのお時間です」
突然フィリックスから当たり前のことを言い出された私は目が点になってしまう。
「私は後ろで姫様のことを護衛してますので、本当に踊りたかった方とダンスをしてきてください」
「え?別にダンスを踊りたい人なんて」
「陛下には内緒にしておきますからね」
何かを勘違いしている男にウインクと共に、いつかのデビュタントと同じように貴族の園へと投げ込まれた私は突然のことに困惑する。
助けを求めようとフィリックスの方を振り返ると、邪魔な私が離れたことを確認した令嬢たちが一斉にフィリックスを取り囲んだ。私と近い年齢の令嬢だけでなく、もっと年上だったり、どこかの婦人までもが押し寄せた。そして、また耳を赤くして困惑した姿を見て、胸がチクリと痛む。
(私のフィリックスなのに)
頭に浮かんだ自己中心的な考えに苦笑した。私の護衛騎士だという独占欲が頭中を支配していて、フィリックスを囲う女性たちをみんな排除したくなってしまう。
「姫様、私と一曲」
「私とお願いします姫様」
「いえ、この私と」
目の前には綺麗な顔をした令息たち。それなのに全然会話が頭の中へ入ってこなかった。
(さて、誰と踊ろうかしら)
もし、フィリックスが少しでも私のことを女性として見ていたら、このように令息の中へと放り込んだりしないだろう。いつか結婚することになるかもしれない相手を今から知っておいたほうがいいという、フィリックスのお節介だ。自覚したばかりの恋心は早速残酷な笑顔とともに踏み潰されたのだった。
皇女としての威厳を損なわないよう、イゼキエルと踊ったときのように足を踏むことだけは回避しながら、声を掛けてくる令息の手を順番に取っていった。
「姫様のお肌は透き通っていてお美しい」
「……」
「手も小さくて可愛らしい」
「……?」
繋がった手と添えられた腰に伝わる厭らしい手付きにより、失恋でボーっとしていた思考がクリアとなり、全身に鳥肌が立った。
(何この人、気持ち悪い)
初めて顔を上げて男の顔を見ると、ニヤついた目元にゾっとした。握られた手を振り払うと、余計に腰を引き寄せられた。
「アタナシア姫様」
「ちょっ!」
「可愛らしい」
耳元で囁かれた声に身体が固まりかけたところで、視界から不愉快な存在が一瞬にして消えた。
その代わりに私の目の前に現れたのは、大きな逞しい背中と赤く燃えるような髪。そして手に握られた剣。ーーー剣?
「キール侯爵のご子息、この方がどなたかご存知ないのでしょうか」
聞いたこともないほどに冷たい声色を出して、驚きひっくり返った男の喉元に剣の切っ先を向けるのは、私の知るフィリックスではなかった。
「ヒィッ」
「まだ喉を切ってはいませんが?質問に答えていただけますか?」
「ぞ、ぞ、存じて、おります」
私のいる位置からはフィリックスの顔を見ることは出来ないが、周りの人々の怯えた表情から推測するに、恐怖心を煽る顔をしているのは間違いない。
「さ、さすがロイヤルガード…」
「陛下の側近なだけあってやはり恐ろしいわね」
子息を追い詰めていくフィリックスへの恐怖心が次第に会場中へ蔓延していく。
「アタナシア様への無礼な振る舞いは、このフィリックス・ロベインが…」
「フィリックス」
私の方を振り向いたフィリックスは、やはり先程までの笑みは消えていて、冷ややかな表情をしていた。初めて見るフィリックスの顔に、私の中で緊張が走る。
「こんな大注目を浴びてどうするの」
「しかし姫様!」
「私に恥をかかせないで」
フィリックスは唇を噛み締めた後、最後に男を鋭く睨んで私の手を取った。
「みなさん、お騒がせしました」
私は笑顔で手を振ると、フィリックスと共に外の庭へと出ることにした。
外の肌寒さを感じる間もなく、フィリックスのジャケットを羽織らされる。せっかく助けに来てくれたのに、フィリックスを叱る形で騒ぎを収束させてしまったことに罪悪感で押しつぶされそうになる。
「……怒ってる?」
「……」
無言の肯定により、怒り心頭であることが認められた。しばらくして漸く口を開いたフィリックスの声は相変わらず冷たかった。
「あの男を許すことはできません」
「いやでも、私殺すほど怒ってないし」
フィリックスの変貌っぷりの方に気を取られ、既に厭らしい顔をして私の身体を触った男のことは頭からすっかり抜けてしまっていた。そんな私の言葉に、更に怖い顔をしたフィリックスが両肩を強い力で掴んできた。
「こんなにも!恐怖で震えてるじゃないですか!!!」
「!?」
(普段怒らないあなたが怒ってるのが怖すぎて震えてるんですけど!?)
とはもちろん口に出せず、返答に困惑した。
「私の考えが浅はかでした。もっと厳選した令息のみにするべきでした。この罰は必ず…」
「ちょっと待ってよ!罰なんか与えないよ?」
「いえ、陛下に罰してもらうのです。陛下との誓いを破ったのですから」
「もう…!」
死んだような目をしたフィリックスと視線を合わせたくて袖をグイッと引っ張る。すると、突然フィリックスが屈むようにして視界から消えた。
「?」
疑問に思っている間に身体を高いところまで持ち上げられて今まで見えない景色が広がる。不安定な体幹にバランスを崩しそうになり、フィリックスの首に腕を回した。
お尻をフィリックスの逞しい腕に乗せる形で抱えられた私は、思わぬ密着に状況が把握出来ずに困惑する。
「え、なに急に…」
「え?姫様が抱っこしてって合図したんですよね?」
「!?」
(抱っこの合図なんて一体何年前の話をしてるのよ…!)
これは既に15歳になった私を抱える体勢ではなかった。恥ずかしいから降ろして、とお願いしてもフィリックスは離してくれなかった。
ジャケットの下は素肌に近く、その無防備な上半身をフィリックスの厚い首に巻きつけていることに気付いてからは、心臓の音が尋常じゃないくらい鳴り響いていた。しかし、抵抗しようとして腕を離すとバランスを崩したので、フィリックスのもう片方の手で身体を支えられてしまい、密着度は何一つ変わっていない。
「あ、あの、あのフィ」
「もうこんなに大きくなったのですね」
「……」
「あんなに幼く、可愛かったのに……こんなにも綺麗になって、悪い男たちが狙ってもおかしくありませんね」
エスコートされたときの笑顔で言われた褒め言葉とは異なる、真面目な顔と声色に心臓が飛び出そうになる。
恐怖心をなだめるように、私を腕に抱えたまま、私のほうが高くなった肩に頭を乗せて、縋ってきた。
会場の明るさと音がどんどんと離れていき、星の明るさしか光のない場所へと連れて行かれる。二人しかいない空間でやっと立ち止まり、頬に手を添えられて、顔を向けるとやっとフィリックスと目が合う。グレーの瞳からは怒りが鎮まったように見えた。
初めて見る表情、でも変わらない温もりもある。フィリックスの見せる全ての表情に胸が高鳴ってしまう。
『け、結婚してくださいませんかロベイン卿!』
彼に恋をした令嬢やパーティー会場にいた婦人たち、そのすべての人たちにフィリックスを渡したくないという気持ちがどんどん湧き上がってくる。
そして、クロードの忠実な部下であるこの男は、娘である私の命令に逆らうことができない。
(ずっと私の傍にいて)
そう願ったら、きっと彼はこの先結婚もせずに私の傍にいてくれるだろう。権力を公使して男を縛り付けるなんて、どんなワガママ姫だと自分でも呆れるほどに。
「フィリックス、私が前小さい頃に言ったこと、覚えてるんだよね」
「?はい、姫様と会話した内容は一言一句記憶しておりますので」
『私がフィリックスと結婚してあげる!』
「フィリックス……」
「姫様、私は、これから先もずっと姫様のことを…」
夜空の下で重なる二つの影。こんなロマンチックな舞台でまさかのフィリックスからの愛の言葉、前世では経験することのなかったロマンスに胸のトキメキが最高潮まで達しようとしていた。
(フィリックスも私と同じ気持ちだと思っていいの…?)
「と、年の離れた妹のような存在として…」
「は?」
「も、申し訳ございません!言葉が過ぎました、私が兄だなんて!私たちはお友達、ですよね…お友達としてお傍で姫様を守り抜いてみせますから」
「は?」
フィリックスの顔がいつもの愛嬌溢れる子犬顔へと戻っていて、高まった熱は急速に下がっていった。
どうせ、私のことを恋愛対象として見ていないことくらい分かっていた。だけど、密着した身体とロマンチックなシチュエーション、勘違いしたっておかしくはないだろう。私の、純粋な恋心を弄ばないでほしい。
「早く降ろせ」と少し強めに頬をビンタをお見舞いすると、フィリックスは頭にクエスチョンマークを浮かべるように目を丸くした。
「何をしているんだ?」
突然聞こえてきた、先程までのフィリックスよりも恐ろしい声の持ち主に背筋が凍る。
「ぱ、パパ!早かったんだね!」
「なぜフィリックスがこんなところでアタナシアを」
「姫様が久しぶりに私の抱っこをご所望されまして…」
「……何だと?」
「や、やめてフィリックス!」
私が15歳になったことを忘れているのか、私のことを抱えたまま鼻の下を擦りながら自慢げに話すフィリックスの口を黙らせようとするも上手く交わされてしまう。
「アタナシア」
「違うの!フィリックスの誤解なの!ちょっと癖で袖を…ぎゃあああ!」
クロードが険しい顔をして近づいてきたかと思うと、フィリックスの腕から今度はクロードに抱きかかえられていた。
「!?」
「そんなに望むなら、俺に言えばいい」
国宝級の顔面が眩しすぎて直視することが出来ない。いや、それでもこの体勢は恥ずかしすぎて、早く地面に足を付けたかった。
「フィリックス、俺の娘に馴れ馴れしく触るな」
「はいかしこまり…はっ!陛下、早く会場へとお戻りください!キース侯爵家のご子息が姫様に無礼を…私はもう防げなかった自分が許せず…」
「ちょっとフィリックス!なんで言うの!」
「おい」
「はい…」
フィリックスに先程の出来事をクロードに申告しないよう口止めするのを忘れていた。それは最も重要なことだった。しかし、もう全てが遅かった。フィリックスを睨んでも、クロードに子息の愚行を報告するのに必死で私の視線には一切気が付かない。
「それは本当か?」
「いえ、本当ではありません誤解ですまってパパー!」
私はクロードにいわゆるお姫様抱っこという、とてつもなく恥ずかしい状態で抱えられたまま、会場内へと戻ることになってしまった。それは会場中の話題を攫い、幸いにもフィリックスの処刑人顔は貴族たちの記憶から薄れることになる。皇帝が娘をお姫様抱っこして登場した途端暴れまわるというパフォーマンスと引き換えにーーー。
死人を出さないためにキール侯爵家の子息を必死でフォローした結果、後日、子息から更に熱烈なアプローチを受けることになってしまい悩まされる羽目になるとは、この時の私は思いもしなかった。
「さあ姫様、今日も陛下がお待ちです」
「…はーい」
鈍感騎士の攻略はまだまだ険しい道のりが続きそうだ。
終わり
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