XXXX.XX.XX 9歳
今日、アタナシアとして生まれてから9回目の誕生日を迎えた。クロードと初めて出会う、アタナシアにとって重要な出来事があった年だ。だから私にとっても気にせずにはいられない年になる。ここからアタナシアの悲運は始まったのだから。
だが、不安とは裏腹に私は幸せな誕生日を過ごすことができた。クロードは例年通り誕生日当日に祝ってはくれないものの、宝物庫の鍵をプレゼントしてくれた。幼い頃、皇城から抜け出すために宝石をコツコツと集めていたのが懐かしい。
運命に逆らい18歳まで生きるために、小説の内容と照らし合わせた記録を毎年の誕生日に振り返ろうと思う。
XXXX.XX.XX 14歳
アタナシア、14歳の誕生日。ここ数年、私はクロードや皇城のみんなに愛されて幸せに暮らしてきた。今日もリリーやフィリックス、ハンナ、セスたちが私のためにお祝いをしてくれて嬉しかった。クロードから貰うプレゼントは考えないと。
本来のアタナシアは14歳の誕生日に絶望を味わうことになる。アルフィアス公爵、公子と共にジェニットが現れ、クロードの子供であることを公表したからだ。アタナシアはエスコート相手すら見つからず、惨めな思いをするのが14歳のデビュタント。だけど私はそんな思いをしなくて済みそうなことにホッとしている。
デビュタントでクロードがジェニットと出会い、私のことを娘だと思わなくなったとしても、父の愛に触れた私はアタナシアよりずっと幸せだ。
XXXX.XX.XX 14歳
デビュタントが思いの外、素敵な思い出になったので記録として残したい。この日はクロードがエスコートとデビューダンスの相手になってくれた。私の記憶の中で一番幸せな時間だった。
小説のようなジェニットを紹介するシーンは無かったが、ジェニットとの対面を私もクロードも果たした。クロードはジェニットを見て何と思ったんだろう。過去に愛した女性を想って、自分の娘である可能性を考えたのではないか。クロードが何を考えているかは分からない。だが、私を心から祝ってくれたクロードは、私にとって初めての父親だということを実感し、温かい気持ちになった。
これから少しずつ、父親としての愛情がジェニットへ移ろうとも、私はクロードと過ごしたこれまでの時間を忘れることはないだろう。
XXXX.XX.XX 18歳
遂に18歳の誕生日を迎えた。アタナシアはクロードに処刑される。なぜならーーー
この物語の主人公は私ではないから
不自然なところで筆が途切れた日記を読み終え、クロードは手の震えが止まらなかった。日記の内容を何一つ理解できなかったが、これは正真正銘、娘であるアタナシアの筆跡であった。
「小説」「アタナシア」「クロード」「18歳で処刑」理解し難い内容の飛び交うこの日記は、アタナシアの誕生日パーティー前に彼女の部屋を訪ね、無造作に机の上に置かれていたものだった。表紙に「極秘」と書かれていれば読みたくなってしまうのが人間というもの。近くにアタナシアの気配が無いことを確認してクロードはページを捲ったのだった。
クロードは深呼吸をして、もう一度頭を整理する。なぜ自分のことを「私」ではなく、「アタナシア」とまるで他人のように書いているのか。そして父親である「クロード」をいつもは「パパ」と愛くるしい顔で呼んでいるのに。まるで自分はこの世界の住人では無いと言わんばかりの他人感。合間見える「私」の語りかけに違和感が拭えない。
そして何よりーーー
「アタナシアはクロードに処刑される」
この不吉な文章にクロードの心臓は激しく鳴り響き続けていた。
娘に対して殺意を抱くなど有り得ない、そう言い切りたいが、必ずしも言い切れないことに胸が痛む。勿論、今は殺意など1ミリも持ち合わせていないが、アタナシアが生まれたとき、アタナシアと出会ってすぐのとき、この期間クロードはは何度も小さな娘に手をかけようとした。愛しいという感情は自分にとっては不要だと、その対象をこの世から消してしまおうと思ったが先延ばしにしていたらいつの間にか手放せない存在へと変化していた。
もしかしたらアタナシアは予知夢のようなものが見えるのではないだろうか。(今後アタナシアに手をかけることは絶対に無いと言えるため、予知ではないのだが。)様々な分岐選択により起こるかもしれなかった世界を見ることができるのだとしたら。才能ある娘のことだからその線は高そうだ、とクロードは思った。
そういえば、と幼い頃に怖い夢を見たと泣きついてきたアタナシアを思い出す。
『私のことは娘じゃないんだって、すごい怖い顔するの』
娘じゃないと言うだけでなく、殺そうとしていたなんて。そんな記憶はアタナシアから抹消したくて、記憶を少し改ざんさせて見ようかとクロードは考えてみる。
しかし、自分をどのような記憶に書き換えればいいか、一度失敗して娘に避けられている過去を持つ手前、また頭を悩ませることになってしまうのだった。
「パパ?」
突然背後から聞こえてきたのは、今最も出くわしてはいけない相手の声。その声にクロードはビクッと肩を揺らしてしまう。これでは悪いことをしていますと言っているようなものだ。急いで手に持っていた日記を机の上に戻すと、何事もなかったかのように涼しい顔でアタナシアの方を振り返った。
パーティーの準備途中だというアタナシアは服装こそ寝間着のような服を着ていたが、メイドたちの努力の賜物である透き通る肌がいつも以上に美しさを放っていた。大きくなったな、とクロードは思った。
「どうしたの?私まだまだパーティーの準備があるんだけど」
「いや……」
本当は誰よりも早く、お誕生日おめでとうと伝えたかったのだが、誕生日を祝うことになって数年経つ今でも素直に口にできたことはなかった。
残念なことに日付が変わってすぐ部屋を訪れたルーカスや朝起こしに来たリリー、朝一にお祝いしに来たフィリックス、イゼキエルによって朝一に届けられた花ーーーお祝いの言葉は既に大勢の人間から伝えられているため、クロードの思う“誰よりも早く”は達成できるはずはなかったのだが。
「あ!!!!!!」
急にアタナシアは大声で叫ぶと近づいてきて、クロードの背後に置いてあった例の日記を手に取る。
「見た!?」
「……見てない」
「本当に!?」
「あぁ」
アタナシアと目を合わせることができなかった。この焦りよう、何かあるに違いないとクロードは思ったが、日記を勝手に読んだことを言い出せなくて、モヤモヤした感情だけが残された。
それから一月が経ち、日記の続きは書いたのかが気になってしょうがないクロードは、いつもは許可しないアタナシアからの外出願いを許可して再びアタナシアの部屋へと訪れた。
アタナシアが居ないのになぜエメラルド宮へ足を運んでいるのかと噂するメイドたちの声は、幸いにもクロードの耳に入ってはこなかった。娘の不在中、部屋を訪れてしばらく引きこもるクロードの行動に、メイドたちは陛下の今後を心配した。
部屋に入ったクロードは、この前のように日記が机に置いていなかったので、魔法を使い手元に日記を呼び寄せる。勉強机の袖机に鍵のかかった引き出しがあり、その中から日記と思われる物体が外へ出ようと、ガタガタと音を立てていた。鍵を外すと日記が目の前へと飛んできたので、慎重にページをめくっていくことにした。
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XXXX.XX.XX 18歳
遂に18歳の誕生日を迎えた。アタナシアはクロードに処刑される。なぜなら、この物語の主人公はアタナシアではないから。
でもそれは小説のアタナシアの話。最後に、私の話を綴ろうと思う。
私は前世の記憶を持っている。そんなことを話して信じてくれる人はいるのだろうか。前世で孤児として生まれた私はある小説に出会う。タイトルは『可愛らしいお姫様』。登場人物は私のよく知る人ばかりだ。小説の中でも、私達小説の読者たちもみんな可愛らしいお姫様であるジェニットを愛した。実の父親でないクロードでさえも。
この小説の中で唯一悲惨な死を遂げた姫がいた。名はアタナシア。クロードの実子にも関わらず娘として受け入れられずに、ジェニット毒殺未遂の容疑をかけられて処刑される運命にある。知人に「なぜアタナシアはここまで可哀想な扱いなのか?」と尋ねると、「ジェニットが愛されている、という対比をよりよく表すために必要な演出」と言われた。親も友達もいなかった前世の私は、小説の中の彼女に同情しながら、光のない未来に絶望し自ら死を選んだ女だった。
目が覚めると赤ん坊になっていて、しかも私は『可愛らしいお姫様』の悲運の姫、アタナシアであるという。自ら死を選んだくせに、今度は生き延びたいと思った。そこからの私はジェニットのようにみんなから愛されるように、仮面を被り続けて生きてきた。
小説の中のクロードの印象は冷徹でジェニットだけを偏愛する許せない人物だった。しかし、実際のクロードは娘思いで愛情深く、ちゃんと父親としての言動をしていた。私は前世でも両親がいたことがないから、幼い頃から私のことを娘として愛してくれたクロードが初めての、本当の父親になった。いつか殺されるかもしれない、敵であったクロードがいつの間にか父親になり、私も本当の家族を手に入れられた喜びを噛み締めて毎日幸せに生きている。
最近気が付けば考えていることがある。小説の中のアタナシアにも、この気持ちを知ってほしかった。私のことを愛してほしい、とクロードに跪いて懇願し、結局誰からも愛されずに死んだアタナシアを思うと、たとえ小説の中の物語とはいえ、自分自身に振りかかった悲劇かのように胸が痛む。
パパ、私はあなたの娘に生まれて幸せです。そして、もしかしたら存在していたかもしれないもう一人のアタナシアを想ってあげてほしい。私の幻想で創り上げた小説の中の作り話かもしれないけど、彼女もパパの娘です。
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簡単に信じられる話ではないが、別の世界では娘に手を掛けた自分がいたのかもしれないと思うとクロードは恐怖心にかられた。アタナシアを失った自分を想像できなかったからだ。
それでも自分にとっての娘は、18歳になるまで一緒に過ごしてきたアタナシアただ一人で。その彼女が望むのであれば、別世界のアタナシアを悼むことも厭わない。
クロードは早くアタナシアの顔が見たくなった。赤子だった彼女を生かし、彼女を宮へ招き、彼女と共に過ごすという選択をしてよかった。一つでも違う選択をしていたら、今こうして落ち着いた気持ちで彼女の日記は読めていなかっただろうから。
すると、閉じたはずの日記に風が起こりページが捲られた。開かれたのはどうやら先ほど読み終えた次のページらしかった。
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そして、私はパパの次に好きな人にも出会うことができたので、今日会いに行ってきます。
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「好きな人だと……」
知らない間に出来たアタナシアの好きな人が気になり、落ち着いてなどいられなかった。急いでアタナシアを皇城へ呼び戻すよう、クロードは伝令を部下へ出した。今日もオベリアは平和だった。
終わり
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勝手に日記を読んだクロードへの当てつけで、ジェニットへ会いに行くのを含みもたせて書き残したというオチです。
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