小説と現実の狭間で

 

『俺はお前を娘と思ったことが一度もない』

冷たい目で私を見下ろすクロードに、心臓が張り裂けそうになった。

『なぜ、ジェニットだけを……』

跪いた私をその場に残して去るクロード。唯一の肉親であるこの父親に愛されたいという私の願いが叶うことは最期までなかった―――。

 

小説と現実の狭間で

 

「ハァッ、ハァッ、ハァッ……」

息が苦しい。その息苦しさが妙にリアルで首に手を当てる。

「夢………」

“私”の記憶ではない光景。なのになんでこんなにも苦しいのだろう。涙が溢れて止まらない。

小説の中へ転生して9年が経とうとしていた。9歳という年齢は小説の中の“私”にとって重要な出来事が起こる年だった。それは父親であるクロードと出会い、目を奪われるあのワンシーン。

幸いにもアタナシアへ転生した私は4歳でクロードと出会い、涙ぐましい努力をした結果、娘であるという認知を受けることができた。勘違いでなければ小説の中のジェニットのように気に入られることができたのだった。

それでも、小説の通りにはならないという断言はできないことから私の中では常に不安がつきまとった。小説の中へ転生したという有り得ないことが実際には起こっているのだから。

メイドが起こしに来る前に、気持ちを落ち着かせるためガーネット宮にあるクロードの寝室へと向かうことにした。パジャマ姿ですれ違う私の姿にメイドや騎士たちは驚いていたが、そんなことは関係なかった。早く、早くクロードに―――。

寝室の扉を開けて、私はその場から動けなくなった。そこに居たのは、夢で見た冷徹な表情をしたクロードで。合わせて夢の中でしか見たことのない正装服を身に纏っている姿に、これは悪夢の続きなのか、それとも恐れていたことが現実に起こってしまったのかと身体が硬直して動けなくなってしまった。全身が微かに震え、血の気が引いていくのを感じる。

「どうした?」

気が付けば近くまで来ていたクロードは、先程とは異なり和らいだ表情で私の顔を覗き込んできた。正装姿なのは変わらないが、私を心配する様子はいつもの私がよく知るクロードだった。ホッとして最高潮まで達していた緊張感が解されていき、涙がボロボロと零れ落ちた。

「誰がそんなにお前を傷つけた?」

泣いている私を見てすぐに、クロードの全身から溢れ出す怒りに、いつもの親馬鹿さを感じてフフッと笑みが溢れる。

「パパだよ」

「……は?」

「パパに苛められたの」

嘘は言っていない。“クロード”から娘じゃないと言われたのだ。目の前のクロードはまるで心当たりがないと言った表情で私を凝視したが、珍しく額に汗が垂れるくらいには焦っていた。夢の中で私を苦しめたクロードの戸惑う姿を見ることができて満足感を得る。

「夢の中のパパに」

「なんだ夢か。どうりで心当たりが無いわけだ」

「でもよく見るんだよ」

「俺がどうやってお前を苛めるんだ」

「……私のことは娘じゃないんだって、すごい怖い顔するの」

「…………」

こんなこと目の前のクロードに言ってもしょうがないのに。今まで抱え続けた重荷を少しでも下ろしたくて、父親に甘える娘のように言葉を紡いだ。

クロードは私の両脇に手を入れると私の身体を軽々と持ち上げて肩に抱いた。私もクロードの首に両腕を回してギュッと抱きしめる。悪夢を薙ぎ払うように、背中を擦るクロードに再び涙が込み上げてくる。鼻を啜る音が止まらなかったが、ずっとクロードは私を抱えて気持ちを宥めてくれた。

どのくらいの時間こうしていたのか。気持ちよく眠りにつけそうなタイミングで、コンコンと部屋がノックされる。

「陛下、準備は終わりましたか?」

外からフィリックスの声が聞こえてきた。クロードが正装をしているのは帝国の行事があるからだということは分かっていた。

「パパ、私もう降り…」

「俺抜きで進めろ」

ギョッとして思わずクロードの顔を見つめたが、涼し気な顔をして公式行事のキャンセルを告げるクロードに絶句する。

「パパ……」

「陛下、それはなりません。今日は国民にお顔をお見せしないと……」

「そんなのいつだっていいだろう」

「この日のためにお祭りまで各地で開かれているんです、皆陛下の顔をひと目見たいと願って…」

チッと舌打ちをしたクロードは相変わらず私を地面へ降ろそうとはしない。以前は重いとかレディに言うべきではないことを口にしていたのに、抱っこのしすぎで苦を感じなくなってしまったのだろうか。

「アタナシアの一大事だ」

「え?姫様の?」

焦った様子で部屋の扉を開けて入室したフィリックスと目が合うと、涙目でこちらに寄ってくる。

「姫様どうされたのですか…?」

「勝手に入ってくるな。10歩距離を取れ」

クロードの命令を無視して私の傍を離れないフィリックスに、クロードは額に青筋を立てた。

「アーティ、怖い夢見ただけだけど、パパが抱っこしてくれたからもう大丈夫だよ」

「怖い夢……それは問題ですね」

―――!?国民が待ってるのを放置する方が問題だと思うんですけど……

二人は揃って険しい顔をして私と国民とどちらを優先させるか討論している。クロードは100%私を優先、フィリックスは80%私、残りが帝国と言ったところだろうか。この二人の姿を見て、原作小説とは全く異なる扱いに安堵すると共に、夢に怯える自分が馬鹿らしく思えてきた。

「姫様も一緒に行けばいいのでは?」

「……そうだな、急いで準備させろ」

「えっ、アーティ別にお留守番でいい……」

私の声は既に届いておらず、フィリックスの呼んだメイドによってエメラルド宮へと戻されてしまった。パジャマを着ていた私は一から準備をする必要があり、更に国民の前に出すのであればといつも以上に気合いを入れたメイドたちにされるがまま、慌ただしい準備の時間は過ぎ去っていった。

その日の行事は皇帝が二時間遅刻するという異例の出来事に、場の繋ぎを任された部下たちは仕事を放棄したくなったが、姫のためならと皆一丸となって任務を遂行してくれたようだった。遅れて会場入りした皇帝に注目が集まったが、終始皇帝に抱えられた可愛らしいお姫様にオベリア帝国の民たちは釘付けになったとか。

見たこともないほどの人が広がる光景に私は目眩がした。そんな私に気づいたクロードは決められたルートを足早に歩き、予定の半分の時間で終わらせると私を抱えたまま急いで皇宮へと戻った。

その日以来、クロードから安眠グッズが届くようになったり、牧師が突然現れてお祈りを始めたりと、私が悪夢を見ないように考えられることは全て実行してくれているようだった。

そんな中、人の変わったクロード(笑顔で話しかけて来るなど)の夢を見るようになった。冷徹な表情よりかはマシかもしれないとは思ったが、あまりのギャップに私は鳥肌が止まらなかった。

毎日のように見る夢に、夢と現実の境目が曖昧になり、生活に支障をきたすようになってきたためクロードと会わないように、つまり避けることにした。しかし、避ければ避けるほど夢の内容が濃くなっていることにある日気がついた。
実はクロードが悪夢を上書きしたくて色々な方法を試した結果の現れが、この気味の悪い夢の正体だったのだ。

「パパが私の夢を変えようとしてからもっと変な夢を見るようになった」

あからさまに落ち込むクロードに心は少し痛んだが、この日以降変な夢を見ることが無くなったので安心して眠りにつくことができるようになった。そして、悪夢もいつの間にか見ることがなくなっていたのだった。

願わくば、このままクロードと親子として暮らし続けることができますように。いつの日か願った“18歳まで生き残る”という願いは、この時の私にとっては重要ではなくなっていた。

 

END.

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