ロジャー・アルフィアスの野望

ロジャー・アルフィアスの野望

 

まだ日が昇り始めて少しも経っていない時間に、仕上げのネクタイを締めて身支度を整える。今日も公爵家の政務として、皇帝と会談を行う必要があるのだが、アルフィアス邸から皇宮は近いと言っても馬車で片道2時間はかかる距離にあった。道中何に遮られるか分からないこともあり、時間に十分に余裕を持って家を出るのが私の基本である。
ソファーに座りメイドが用意してくれた朝食を取ると、小さな足音が聞こえてきた。妻にはまだ寝ているように言ってきたから、この時間に来るのは多分―――。

「父上」

「イゼキエル」

扉を開けてひょっこりと顔を覗かせたのは、まだ10歳になったばかりの一人息子・イゼキエルだ。銀髪と黄金に輝く瞳。完全なるアルフィアス家の血を引いた息子は、早朝にも関わらず私に似たのかしっかりと身支度を整えていた。メイドを呼び、息子の分の朝食も用意させると、息子は落ち着いた所作で席へと座った。

「イゼキエル、今日は皇宮へ行ってくる」

「いってらっしゃいませ、父上」

少し息子のことを話すと、10歳にして非常に聡明で大人びている。周囲の子供と比べても劣ることのない自慢の跡取り息子だった。
いずれは数年前に引き取った皇室の血を引く姪を皇宮へ入れて、息子と結婚させることで、アルフィアス家は皇室の仲間入りをする予定だ。
息子は訳ありな姪のことも一度も小言を言うことなく率先して面倒を見ていた。幸いなことに姪も息子に懐いていたので、最近起こった一つの計画外の出来事を除けば、ずっと心に秘めていた野望は順調に進んでいた。

そんな息子のことで、最近少し気になることがある。今も頼もしく、家の留守は任せろ、と言わんばかりにどっしりと構えて静かに朝食を食べている息子のことだ。
少し前まではここまで大人びていなかった。かつて、働き詰めで家族と会話をする時間すら取れなかったとき、夜中に枕を抱えて書斎まで来たイゼキエルの姿は今でも忘れない。
「一緒に寝よう」と大きな目を潤ませて見上げてくる息子に、人生で初めて仕事を放り投げたものだ。
あの幼かった息子はもう10歳になり、数か月後にはアルランタへの留学を控えていた。こうして親子の時間を過ごすのもあと僅かだ。息子が立派な大人になることは嬉しくもあり、寂しくもある。たまにはあの幼い頃のように父親を求めてはくれないだろうか。

「その、イゼキエル」

「なんですか」

「何か私にしてほしいこととかはないか?」

父上と一緒に過ごしたい、と息子が言ってくれたなら、皇帝との約束だって放り投げることも厭わない。何より大切なのは、お前たち家族なのだから―――。

「特にないです」

「あぁ……そうか……」

「父上、皇帝との約束に遅れるなんてあってはなりません。急がないと」

「そうだな……」

私の左の胸ポケットには常に、私に抱きかかえられて満面の笑みを浮かべた5歳の息子の絵がある。大丈夫、どんな理不尽な要求をあの宿敵からされたって、お前を守るために今日も戦ってくるからな。

そう、左胸に手を当てて心の中で宣言をしていると、ハッという顔をした息子からお遣いを頼まれた。

 

* * *

 

「なぜ俺の娘のことに公爵が口を出してくるんだ?」

「ですから、姫様くらいの年頃の子は、年の近いご友人が欲しいものなのです」

気付けば昼下がり。今日も皇宮で宿敵であるオベリア帝国の皇帝と一戦を交えた後の、雑談という名の情報収集を行っていた。

自分よりも若い皇帝は、即位してもうすぐ10年といったところだったか。兄であった前皇帝よりも真面目で、魔力も桁違いに高く、敵にするにはなかなかに手強い相手だった。
気に入らないことがあり魔力が狂暴化したことは一度や二度のことではない。そして、全くと言っていいほど周囲の人間に対して隙を見せようとはしなかった。

「娘に友人などいらない」

「ロベイン卿が友人と姫様は仰っていましたが、もっと年の近い…」

「は?ロベイン卿が姫の友人だと?あいつはただの護衛だぞ」

数年前まで存在も忘れ去られていたはずの一人娘を皇帝が寵愛している。その話を聞き、すぐに息子や姪を姫に近づけさせようするが、今日のように門前払いされてしまった。
しかし、これで引き下がっては家族の未来の幸せを守ることはできない。険しい顔を崩さない皇帝に食い下がり、自慢の息子を売り込み続ける。

「私の息子は非常に聡明です。必ずや姫様のお役に立ちましょう」

「俺の娘は公爵の息子よりも優秀だ」

「お言葉ですが陛下、私の息子は7歳の頃には既にアルランタ語をマスターしておりますが、姫様は今勉強中と仰っていました」

「当たり前だ。娘は4歳から勉強を始めたんだから、公爵の息子と同じ時間軸で考えられては困る」

何を言っても息子に張り合ってくる皇帝の親バカさに呆れながらも、異性と大事な一人娘を引き合わせたくないのだろうと思い、姪へ話を転換させようと思案する。

「そうしたら私の姪はいかがでしょうか」

「あぁ。公爵がなぜか引き取ったという娘か」

「姪は優しい子で、姫様の良きお話相手になるでしょう」

「話し相手なら俺がいるから必要ない」

この皇帝は娘との時間が奪われることを許さないようだ。それにしても皇帝がここまで娘を溺愛したのは想定外であった。本来の計画では、存在すら忘れられていた姫は、そのまま表舞台には出てこないはずだった。そして、皇帝のもう一人の娘であるジェニットが皇宮入りをし、愛嬌のある彼女が寵愛を手にするに違いなかったのに。

しかし、血も涙もない皇帝が“娘”という存在を受け入れるのかが未知で、様子を伺っている内にアタナシア姫を溺愛するようになってしまった。タイミングを見誤ったのは私の痛恨のミスだった。
それでも、皇帝が“娘”という存在に興味があることは分かったので、姪をいつ皇帝の前に連れていくかが重要になってくる。そして、皇帝の寵愛を手に入れた姪を息子と結婚させる。完璧な計画だ。
この完璧な計画を早く遂行したいのに、皇帝が全くなびかない。姪と顔を合わせる機会、いや姪と娘である姫すら会わせるつもりはないらしい。

ここまで頑なに拒否されては仕方ない、姫から皇帝へ頼み込むよう仕向けるしかないか、とため息を吐く。さすがの皇帝も、愛しい娘の話なら聞き入れるだろう。

「もし、姫様のお話相手が必要になったら、私の息子と姪がおりますのでお忘れなきよう」

「しつこいぞ。もういいから帰れ」

最後のひと押しをして帰ろうと思ったが、皇帝からいつも以上に話を早く切り上げたい気持ちを感じ取り、部屋の外に今考えていた人物がいることを察する。

「オベリアの繁栄があらんことを」

皇帝に会釈をして部屋を出ると、すぐに大きなクリクリした目とばっちり視線が交わる。予想が当たったことに心の内で喜んだ。

「シロおじさん!やっほー!」

「姫様、今日も可愛らしいですね」

ロベイン卿の背中に乗った帝国の姫に出会うのはこれで何度目か。皇室のロイヤルガードから姫のおもり役へと降格した男に哀れな視線を送るも、姫といるときは顔の緩みが止められないのか、何ともだらしのない顔をした男に呆れてため息をつく。

「姫様、”ご友人”ほしくないですか?」

「おじさん、またそのはなしー?おじさんのところのお兄ちゃんとお姉ちゃんとはお友達にならないって言ってるでしょー」

この姫も父親に似てなかなか手強い。このくらいの年の子であれば、進んで食いついてくるような話にも、妙に冷めた様子で軽くあしらわれる。見た目は可愛らしいのに、性格は可愛げがないというか。それに比べて腹違いの姉であるジェニットの可愛さといったら。

「綺麗なドレスや人形についてお話したくはありませんか?」

「おじさん、アーティのこと子供に見すぎでしょ!失礼だよ!」

「そんな大人ぶらなくてもいいんですよ」

まだ7歳なのに、なぜ子供が好きなことが好きではないんだ。姪はもっと年相応で、可愛いものには目が無いんだが。甘いものも好きだったな。

「そんなの好きな子、絶対頭悪そう。アーティには合わない」

「……」

大人気なく、姪を侮辱されたことに苛立つ。しかし、所詮は7歳の子供の戯言。気にしたら負けである。

「では一緒にお絵かきをしたり」

「フィリックスとやったほうが楽しい」

「宝石の話なんかはどうです?」

「だーかーらー!アーティよりもマヌケな子は嫌だって言ってるでしょ!」

その言葉にプツーンと何かが切れる音がしたような気がする。

「ジェニットはマヌケな子ではありません!!!」

姫相手に無意識に反論していた。廊下に自分の声がこだまするのを聞いて我に返る。こんなに大きな声を出したのはいつぶりだろう。そんなことを考えて現実逃避するも、目の前にはポカンとした表情で見つめてくる姫がいる。そして、背後から鋭い視線を感じて、冷や汗をかく。

「おい、何をしている」

暗く重みのある声が聞こえてきて、珍しく焦りを感じていた。反逆罪と言いがかりを付けられてしまえばそれまでだ。早急に土下座をして許しを請うと、皇帝は不敵な笑みを浮かべて、ロベイン卿から姫を受け取り、慣れた手付きで姫を抱きかかえた。

その皇帝に肩口から顔を覗かせた姫は、皇帝と同じような笑みを浮かべていて、二人して私を蔑んでいるようにしか見えなかった。

そのまま謁見室の中へ二人は入って行ったが、しばらくその場で放心状態に陥ってしまった。こんな子供の口車に乗せられてしまうとは、まだまだ自分も未熟だと反省しながらも、この扉の向こうにいる親子にいつか復讐してやると心に誓うのだった。

 

* * *

 

帰宅すると、姪が愛くるしい笑顔で疲れた私を出迎えてくれた。そんな彼女を甘やかしたい気持ちはあるものの、心を鬼にして保護者としての責務を果たす。

「ジェニット、サイカンシアノ神聖帝国語を勉強しようか」

「え……やっとアルランタ語を勉強しはじめたのに……」

「アタナシア姫は既に勉強されているようだ。お前も後れを取っちゃいけない」

そう言うと、姪は少し哀しそうな顔をして困ったように笑った。

「叔父さん、私、姫様みたいに優秀じゃなくてごめんね」

胸がチクチクと痛む。私の姪は優秀でないわけじゃない。あの姫が、異常なのだ。冷血な皇帝の元で育てられているあの姫が。

「お前は悪くないよ。ただ、お前のほうが優秀なところを見せてやりなさい」

これはこの子を引き取ったことによる同情なのか、保護者としての愛なのかは正直分からない。それでもあの姫より、間違いなく愛すべき存在だ。

頭を撫でると、天使のように笑う彼女を見て、心が洗われる。今日振りかかった災難を少し忘れることができるような気がした。

「その前に、みんなで夕食を食べようか。ジェニットの好きなスイーツを買ってきたから、食べなさい」

「わーい!ありがとうございます!」

打算も何もない屈託な笑顔に心をホッと落ち着かせる。今日はジェニットの誕生日だった。部屋に入ると、部屋中が飾り付けられていて、妻と、息子が豪勢な食事が並べられたテーブルの前に腰掛けている。

「イゼキエル!叔父さんがケーキを買ってきてくれたんだって!」

ぴょんぴょんと跳ねて喜ぶ姪が持つケーキ箱の中身を、息子が確認するのを少しドキドキして見てしまう。

「あ……僕の好きなケーキ」

「まだケーキは食べるよな…?」

「そんな簡単に味覚は変わりませんよ」

笑った顔は少し大人びていて、昔のように城下町限定販売のケーキを走り回りながら喜ぶ姿はもう見れないけれど。それでもケーキを頬張る姿はまだ幼い頃の面影を残していて、なんだか少し泣きそうになった。

この子たちと、その子どもたちの幸せな暮らしを守ろう。食事を楽しみながら改めて強く思うのだった。

そして、あの親子をいつか屈服させてやるのだ。

私の野望はまだまだ始まったばかりだ―――。

 

終わり

 

―――――
ジェニットはクロードの娘だと思って一生懸命育てた白おじさん、不憫。と思っていたけれど自然と愛情持ってたらいいなという期待を込めて。

あとクロード親子ともっとバチバチさせたい。

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