「誰だ、お前は」
そう言って、これまで私に見せたことのない嫌悪感を現した父・クロードの顔は、この先どれだけ月日が経ったとしても、私の中で忘れることはないだろう。この時の一方的な命令を最後に、5歳から10年間続いた私たちの関係は、「親子」では無くなった――――――。
私が求める愛とは
クロードから生涯幽閉を言い渡されてから3年の月日が流れていた。私は先日、エメラルド宮でメイドたちに囲まれてこじんまりとした17歳の誕生日を迎えた。そんな日々はあと一年も続かないかもしれない。アタナシアの命運が決まる18歳はもうすぐそこまで迫ってきていて、私の心の余裕は日を追うごとに無くなっていった。
幸いなことに前世の記憶で読んだロマンス小説「かわいらしいお姫様」通りの人生を歩んでいるわけではないようだった。14歳のデビュタントでは、アルフィアス公爵は物語の主人公・ジェニットをクロードへ紹介しなかった。故に17歳となった今でもジェニットはエメラルド宮にクロードの娘として入宮していなかった。
とは言え、次にクロードの機嫌を損ねることをしたら、私の命は無いだろう。彼の視界へ入らなければ殺されないという条件に甘んじて生きるという選択肢もあることにはあったが、彼の側近であるフィリックスのお節介により、クロードの元へと呼び出されることもしばしばあり、その度に身の縮む思いをした。
私にはあの冷たい目をしたクロードに無垢な顔をして懐に入り込む勇気は持ち合わせていなかった。そんな私の態度に、呼び出される頻度は少しずつ間隔が空くようになり、今では顔を合わさずに生活を送るようになった。最後に顔を見たのは一年以上前のことで、何か伝言があるときはお互いフィリックスを通して言葉を伝える。これだけで十分な関係に成り下がったということだった。
私はこの状況を活用して、城の外で身を引き取ってくれる人間を探すことにした。処刑される未来に抗うためなら、好きでもない人との結婚は苦ではない。生きるための有効な手段が結婚だと考えていた。
しかし、国内から国外へと範囲を広げても返事を送ってくれた人間は一人もいなかった。それもそうか、ここは私が主人公の世界ではないのだから。分かり切っていたことではあるが、一人でも勇気ある王子様が現れてくれたっていいじゃないかと嘆くことは許してほしい。
「意気地なし・・・」
それは諸外国の貴族と、自分に対して向けた言葉だった。先の見えない人生に絶望したまま、今日も夜更けにバルコニーから遠く離れているように見えるガーネット宮を見つめる。
「主人公様のご登場はそろそろかもしれないわね」
いっそ、悪役に成り下がるのも悪くないんじゃないかしら、なんて考えたのは今日が初めてではない。どうせもうすぐ無くしてしまう命なら、黒魔法の勉強でもして「かわいそうなお姫様」という読者の同情心すら無くしてしまうような姫になるのはどうだろう、と。
ベッドへ移動して目を閉じる。黒魔法の使い手になるなんて、そんなことを実行に移す勇気もないくせに。不安と葛藤しながら今日も眠りの世界へと引きずり込まれていった。
「最近のお前の勝手な行動は目に余るな」
一年以上対面していなかったクロードから呼び出されたのは翌朝の出来事だった。急いで身なりを整え、大きく鳴り響く心臓の音を聞きながら執務室へと足を向けた。入室を許され、フィリックスによって椅子を引かれる。挨拶することも待たずに発せられた一言に、椅子へ座ることすらできないほど緊張していた。
(私は何を間違えた?どうしてパパの怒りを買ってるの?)
なぜ呼び出され問いただされているのか全く心当たりの無い私は、この後下されるだろう死刑宣告に絶望していた。どう足掻いても運命は変えることができないのか、と「かわいらしいお姫様」の著者を恨むことしかできない。
「申し訳・・・ございません」
「お前、自分が何をしたのかわかっているのか」
「心当たりがなく・・・」
一年ぶりに聞いたクロードの声は、いつになく棘を含んだ冷酷さで、これで顔まで見てしまったら私は自分の心を守ることもできないだろう。会話にならない私とクロードに焦ったフィリックスが口を挟み仲裁を図ろうとする。
「姫様、最近諸外国の貴族へ手紙を差し出しましたか?」
「ええ、結婚してくれないかと」
「お前、皇室の婚姻は政治に絡むものだということもわからんのか。自分勝手に決められるわけがないだろう、余計な手間を取らせるな」
実はこの手紙には少し期待をしていた。もしかしたら、私が結婚するとなれば少しは私を惜しく思ってくれるんじゃないかと、どこか期待をして手紙を書いていた。皇室の検閲を通ることを知っていて、手紙を出したのだ。
『婿とかじゃなくて今みたいにパパと二人で過ごしたいのに絶対に結婚しなきゃいけないの?』
『・・・・・・結婚を強制する帝国法はないな』
『じゃあ私結婚しない。歳をとっておばあちゃんになるまでパパと暮らす!』
『今はそう言っても後で結婚したいってダダをこねるかもな』
『その時が来ても絶対私が一番好きな人はパパだもん』
――――――そんなの、私のことを一番大切に思ってくれているパパとだから交わした約束でしょ。今のクロードは父親でもなんでもない。ただのオベリア帝国の皇帝だ。娘の存在を認めず処刑すら厭わない冷酷非道の男。なぜこの男に縋って生きているんだろう。記憶を失う前の彼が魔法にかけられた異質な存在だったというのに。
それからもクロードは皇室の婚姻がいかに複雑で簡単に決められることではないということを説教してきた。その言葉は一言も頭に入ってこず、ただただ記憶を失う前のクロードとの温かい思い出が蘇り、涙が零れ落ちた。
呼吸が浅くなり、立ち続けることが難しくなった私は、その場にへたり込んだ。これは、あの死ぬ前に嘆願するワンシーンと同じ構図かもしれない、と冷静に思った。でも、私はこの男には縋らない。10年間の愛された記憶の中だけのクロードが私にとっての父だ。その思い出を胸に大切に仕舞い込み、私は心を決める。
「出ていきます、出ていかせてください」
「は?」
「この城を出たいのです。今すぐに」
そう口にして、今日初めてクロードの目を見た。しばらく会わない内に少しやつれたような顔をしていたが、そんなことはどうでもよかった。
クロードは少し目を見開いたかと思うと、怒りを隠すことなく威圧的な態度で私を見下ろしてくる。私と同じ宝石眼を持った鋭い目付きで私が視線を外すことを許さなかった。
「何を言っている。お前は生涯ここで暮らすんだ」
怖い、恐怖で目を逸らしたくなったが、ここで負けるわけにはいかなかった。自分の命を死守するためには、ここで戦わなければいけないと感じていた。
「陛下も私がいないほうが清々するでしょう」
「そういう問題ではない」
「いつ殺されるかもわからないこの城で一生暮らすなんて冗談じゃありません」
クロードにとっても悪くない提案のはずなのに、頑なに受け入れようとしない彼の考えが理解できず呆れてしまう。次第に恐怖心から、彼を話の通じない馬鹿だと思うことで、心を少し軽くすることに成功する。しかし、一度重荷から解放されたはずの私の心は、これまで我慢していた感情を全て吐き出さないと収まりそうになかった。
「絶対出ていきますから!」
「お前なんてこの城の外で一日も生活できないだろう」
「一人暮らしくらい前世でしてきたわ!」
「前世?おいフィリックス、医者呼んで来い」
「医者が必要なのは陛下でしょ???」
苛立ちが収まらないのはこの男の血のせいかもしれない、と改めて親子であることを実感させられながらも、ここまできてしまった喧嘩を引くことは絶対にできなかった。今日、城の外へ出ていけなければ皇帝反逆罪で死刑宣告が告げられるに違いない。
「とにかく、今日!出ていくから!」
「お前は生涯この城を出ることを許さない。破れば殺す」
「破っても破らなくても殺されるなら、少しでも可能性のあるほうにかける」
「お前は城の外で生きてはいけないと言っているだろう」
「私には幼少期からの教養と母親譲りの美貌がある!!!」
お互い大きくなっていった声にとどめを刺して、クロードの鼓膜を攻撃すると、彼は一瞬頭を押さえて眉間に皺を寄せた。フィリックスがクロードに駆け寄った隙を見て、謁見室から一目散に走り出した。「待て!」という叫び声が背中から聞こえたが、振り返ることなく全力疾走する。幼少期と、この三年の間に城中を探索して編み出した外へ繋がるルートへと――――――。
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