「山田くんって本当に彼女いないのー?」
「はい、いませーん♡」
「えー私はどうかな?山田くんのタイプかなぁ?」
「どうかなー?タイプかなー?」
「元カノは?どんなタイプだったぁ?」
「元カノはね、明るくて元気なタイプ♡」
佐々木瑛太は自らの正面に座る女性たちからの止まらない質問を陽気に答えながら、隣でコーラを啜る後輩・山田秋斗の腕を肘で突く。「自分で答えろ」と瑛太は山田へ耳打ちするが、彼の瞳には愛くるしく振舞う女性達の姿が映ることはなく、その焦点は定まっていない。視界どころか女性たちからの問いかけも、隣で呼び掛ける瑛太の声も、彼の耳には届いていないようだった。
この無気力そうな男・山田が最愛の彼女と別れてから既に一年以上という歳月が流れていた。せっかくのキャンパスライフを楽しもうともせず、授業以外は自室へ籠もりきりの様子を見兼ねた瑛太は、食事会、所謂合コンへと山田を連れてきたのだった。
ここでの新しい出会いが後輩を変えてくれるかもしれない、と瑛太は淡い期待を抱いて本日の会へと臨んでいたが、彼の反応を見る限りでは、その願いは今回も叶うことはないようだ。可愛く着飾った目の前の女性らに目も暮れず、彼の荒んだ心はいつになれば晴れるのかと心配は尽きない。
「こいつ初恋拗らせてるんだよね」
恵まれた顔の造形を持ち生まれたはずの山田が、高校三年生になって初めて恋心を抱いた相手、それが一年前まで付き合っていた元彼女だ。その彼女は山田とは対照的に太陽のように明るく笑う女性で、人に興味の無かった山田をも惹きつける魅力的な女性だった。
「えー。私が忘れさせてあげたいー」
「私も!」
「早く前に進めるといいんだけどね」
「……」
「な、秋斗?」
「……」
「はぁ」
山田は元々感情の機微が表に出るような性格では無かったが、瑛太が知る限りでは元彼女と出会ってから、彼は誰の目から見ても分るように良い方向へと変化していった。面倒くさいと感じることでも、彼女が望むならと答えたし、彼なりに愛情を伝えていたように思う。その変化を瑛太は嬉しく思い、山田を良い方向へと導いてくれる彼女のことも好ましく感じていた。
それが突然、瑛太の知らぬ間に山田から彼女の影が消え、同じギルドに所属していた彼女はゲームにログインすることも無くなり、いつしか疎遠になってしまった。
大切に想い合っていたはずの二人が別れたことに驚きはしたが、多くのカップルがそうであるように、いつしか別れは来るものだということも分かっていたので、瑛太は残念に思いながらもその事実を素直に受け止めている。
しかし、当事者である山田は違ったようで、時々思い詰めたようにスマホを見つめたり、ボーッとしたり、心ここにあらずな状態が彼女と別れてから今日に至るまでずっと続いていた。
今もこうして、玉子焼きを一口含み、微動だにしない。彼女に出会う前はただ人間そのものに興味が無かったように見えた。しかし、今は彼女を思い出して、彼女が隣にいない現実を受け止められていないような、傷ついた表情を見せる。彼らは既に、別れてから一年という月日が経っているというのに、山田はつい昨日別れを告げられたような反応だ。
「重症だな……」
瑛太はスマホのチャットアプリから一人の名前を探す。女たちの話に適当な相槌を打ちながら、目的の人物を見つけて、その懐かしさに思わず目を細める。
「あかねっち」
口に含み切れなかった玉子焼きの半分を小皿に置き、ゆっくりと咀嚼している山田の耳には、今も忘れることのない大事な想い人の名は届いていなかった。
***
店へ入ってから三時間が過ぎる頃、店員からの催促で山田らは店から出ることになった。店を出てすぐの通りでこの後どうするかという話をしている中、店内でほとんど声を発さなかった山田を二次会へと誘う者はいなかった。それを気にも留めない山田は、別れの挨拶を一言だけ交わすと、誰の返事も聞かずに駅へ向かう繁華街の道を歩き始めた。その様子に瑛太は困ったような顔をして、山田の後ろ姿を見つめている。
居酒屋の多いこの通りで、人々の騒々しい声やパチンコ店から零れる耳の割れるような音すら、山田の耳には入ってこない。アルコールも入っていないのに、視界は霧の中を歩いているように毎日不良だった。まるでこの世にあるもの全てが、もう自分にとって何も意味を為さないことを表しているかのように。
『早く帰宅して布団の中へ入りたい』という欲求を抱きながら山田が欠伸を一回すると、靄のかかった視界が嘘のように晴れ渡り、前方にいる一人の女性がはっきりと見えた。山田の視線に気付いたのか、一瞬視線が絡み合うが、歩みを止めた山田とは異なり、女性は視線を前へと戻して歩くペースを落とさなかったので、目が合ったのはほんの僅かな時間だった。
すれ違う時に鼻を掠めた香りに、山田は懐かしさに襲われ振り返るが、既に女性は人混みの中へと消えてしまっていた。この一年何も映し出さなかったのが嘘のように視界がクリアになり、山田は女性の後姿を追うように、駅とは反対方向へ足を向ける。
「茜さん」
山田が記憶している木之下茜という人物は、笑顔のよく似合う年上の女性だった。ムキになると年齢より若干幼くなることもあるが、優しくて世話焼きで、どんな人をも惹きつける。山田も茜に魅了された数多の人間の中の一人だった。
最後の記憶でさえも薄っすら涙を流しながらも笑っていた。山田はその顔を今でも脳内で鮮明に思い描くことができる。
しかし、先ほどすれ違った茜は、初めて見る表情をしていた。まるで山田のことを覚えていないような、他人という何層にも厚いフィルターが存在しているような。一年前まで過ごした濃密な時間は自分の空想だったのかと思うほどに、茜の表情からは山田に対する想いを微塵も感じることはできなかった。
山田はその考えに行き着いて胸がチクリと痛み、茜を追うことを諦めた。追いかけて、今更茜に対して何をしたいのか、自分でもわからなかったからだ。
再び身体を向き直し駅へ向かう途中、一際目立つ店舗の光へと導かれた。女性に人気のありそうなパステルカラーで彩られた外観をしたシュークリームの店だった。
『今日は起きたときから絶対に、ここのシュークリームを食べたいと思ってたんだよねー』
脳内で再生された彼女の声は珍しく甘えるような撫で声で、その声に導かれるように店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ」
「……これ、二つください」
「かしこまりました。お会計は隣のレジで承ります」
店外にいた時から鼻に強く香る甘すぎるシュークリームは昔も今も、山田の好みではなかった。だが、なぜか誰も待っているはずのない家にシュークリームを買って帰りたい気分だった。そうすれば、今日見た知らない顔ではなく、自分を好いてくれていた当時の茜の顔を鮮明に思い出すことができそうだったから―――。
帰宅後にシュークリームを二つ食べた山田は、翌朝胃のムカつきを感じて目が覚めた。目を擦り、視界が良好になってきた頃、スマホの通知を知らせる光に気付き、ロックを解除すると瑛太からのメッセージが入っていた。
『昨日はお疲れ。来週の日曜夜、メシ食いに行くぞ』
山田はその日に何か予定があったかを考えるも、特に他の予定は思い浮かばなかった。
『また知らない人とメシすか』
自炊をしない山田にとって、外食することは問題ではないが、相手にとって退屈であろう会話しなければならない環境がストレスで、トラウマでもあった。
『ううん、瑠奈たちと』
その答えに『り』と打って表示されたOKスタンプを適当に押して画面を閉じた。昨夜の出来事を忘れるように、熱いコーヒーを胃に流し込む。シュークリームの入っていた箱を捨てるが、それでも昨日見た茜の顔が消えることはなく、山田は誰もいない部屋で頭を抱えるようにしゃがみ込み、大きなため息を吐いたのだった。
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