カテゴリー: 出口のない迷路

Extra Edition. 樹の下へ帰り再び願う

 眩しくて瞼を開けると、白一面に広がる景色が視界へ入った。またここか、それが一番に考えたことだ。なぜこの場所へいるのか、記憶を辿ると、死ぬつもりで大量に睡眠薬を摂取し眠りについた最期の夜を思い出す。
 
「ここは死後の世界ってことなのね」
 
 両親の愛も無ければ、今回は周りに手を差し伸べてくれる人すら居なかった。自分の周囲が持つ当たり前の環境が、なぜか私には無い。私はその昔、大罪でも犯したのだろうか。その人生の闇を嘆かずにはいられなかった。
 
「ただ、親からの愛が欲しいと願ってはいけないのかしら」
 
 白く光る大樹の幹に手を触れてみると、それはとても温かく何らかの意志が宿っているように思えた。
 
 目を閉じれば、思い起こされるのは先程まで生きていた人生ではなかった。その昔、父親の手によって絶たれた人生のことが、昨日のことのように呼び起こされる。
 
 外の世界を見せてくれた魔法使いの姿や知恵を与えてくれた公子の姿、両親に変わり愛情を与えようとしてくれた騎士を思い出す。今思えば、少なくない数の人に愛された人生だったのかもしれない。
 
 それでも目に浮かぶのは、九歳の頃に迷い込んだ先で見た、神々しく輝く父の姿だった。
 
 孤児であった今の私にとっても、唯一の父親だった男。彼に認められたいがために生きた短い人生だった。だから誰に好意や愛情を与えられようとも、私の心が最後まで満たされることはなかった。
 
 
 
+++
 
 
 
 その昔、姫であった私の幼少期は常にリリーというメイドが身の回りの世話をしてくれていた。そこで読み聞かせられた本に必ず登場する“親”という存在へ次第に興味を持ち、それはいつも傍にいて笑顔を向けてくれるリリーが私にとっての存在なんだと勝手に思い込んでいた。
 
「姫様、私は姫様の母親ではないんです」
 
 俯きながら口を開いたリリーに、幼いながらにこれ以上追求してはならないと察した。他の人間に聞けば、私には母親という存在がいないらしい。意地の悪そうなメイドが楽しそうに教えてくれた。
 
 その日から、リリーの読んでくれる絵本の主人公は孤児の設定で、血の繋がらない継母に虐められるような話が多くなった気がする。両親の愛など、期待をしてはいけないと言われているようだった。
 
 しかし、私はそれでも良かった。傍にはリリーがいてくれたし、その後私の元を訪ねてくれるようになったフィリックスという騎士が孤独を埋めてくれたからだ。いつか本の主人公のように王子様と幸せになれるのであれば、親など必要ないのだと、自分に言い聞かせることにした。
 
 それでも、心のどこかで二人が遠ざけようとする両親という存在に対して興味が捨てきれなかったのだろう。
 
 九歳の時、賑やかな灯りに誘われて歩いた先に、この世のものとは思えない美しい男がいた。誰に紹介されたわけでもないが、男の瞳が自分と同じ宝石の輝きを持っていたからか、直感的にこの人間が自分の父親であると悟る。男は私に興味も無さそうにすぐに去っていったが、私は暫くその場に立ち尽くした。
 
 後日、フィリックスに父について尋ねると、とても言いにくそうにその存在を認めた。
 
 本で読んだ家族は、常に同じ場所で寝食を共に過ごし、コミュニケーションを深く取っていた。父親がこれまで私に対して無関心だったことは、この帝国のトップに君臨する皇帝であることから、一般的な父親像に当てはまらないと理解した。
 
 だから例えあの日、デビュタントの夜にフィリックスが父の命に従い私から背を向けたことも、仕方のないことだったと今なら思う。逆らえばフィリックスの命が危ぶまれる。それは私の本望ではなかったし、父に存在を認めさせる挽回のチャンスはまだいくらでもあると、嘲笑する貴族たちの視線に堪えながら自分を鼓舞し続けた。
 
 あの瞬間までは。
 
「こちらが陛下の血を引くジェニット姫です」
 
 白髪の貴族が紹介した少女は、ひどく愛くるしい顔をして父の前に立ってみせた。淡い水色の生地にピンクのリボンを装飾にしたドレスを身に纏い、保護者と絵本に出てくるような王子を両脇へと侍らせた少女は、姫と呼ぶに相応しい。
 
「俺の娘とは……面白い。詳しい話は謁見室で聞くとしよう。俺は戻る」
 
 予想外の父の台詞に、事の重大さを遅く理解した私は、頭が真っ白になった。
 
 これまでフィリックス経由で依頼した私の謁見を一度も受け入れなかった父が、その少女の顔をたった一目見ただけで受け入れた。その事実は私が今後、どれだけ努力をしても報われることのない未来を想像させて、私はその場に立ち尽くすしか無かった。
 
 同じ色をしたドレスを着ている自分が、見窄らしく思えて恥ずかしくなった。そんな私を連れ去ってくれる王子様も、守ってくれる両親も、誰もいない。
 
 
 
 その時感じた危機は私の願いも虚しくすぐに訪れた。父はジェニットを第二皇女として受け入れ、実の娘として寵愛するようになる。アルフィアス家に権力を集中させたくない人間が、私を第一皇女として祭り上げる度に、父は顔を顰め私を遠ざけた。
 
 そんな父の態度に一度、堪えきれなくなった私は父の足元へ縋ったことがある。
 
「ジェニットのようになれば、ジェニットのようにやさしく名前を呼んでくれますか?」
 
ーーーその冷たい声ではなく、“アタナシア”と慈しむように名前を呼んで。
 
「温かい眼差しで見つめてくれますか?」
 
ーーー親子である証の瞳を冷たく輝かせず、目尻を少し下げて。
 
「もうその手で私を振り払わないで抱きしめてくれますか?」
 
ーーーため息を吐きながらも、満更でもない顔をして。
 
 父のジェニットに対する振る舞いは、私が幼い頃リリーに読んでもらった、そしてリリーが読んでくれなくなってからもこっそりと読んでいた本に出てくる父親に日に日に近付いていった。
 
 そんな父の変化をもたらしたジェニットへ激しく嫉妬した。私に接触するジェニットの笑顔が悪魔の微笑みに見えるほどに、私は怒りを抑えきれなくなっていった。
 
「そんな日は永遠に来ない」
 
 父の冷たい言葉に、乾いた笑いが喉を鳴らす。本当は少しだけ、期待していた。その愛情を私にも向けてくれはしないだろうかと。
 
「俺はお前を娘と思ったことが一度もない」
 
 存在を否定されているのに、私はもう父の愛を諦めることができないところまできていた。
 
 父に愛されないこんな世界など滅んでしまえばいいのに。でも、もし父が私を受け入れてくれることがあれば、もう一度真っ当に生きたっていい。
 
 どうせ願ってもそんな幸せな日など訪れることはないのだから、世界ごと道連れに消えてしまいたい。でも父の愛を受けて生きてみたい。私の中では相反する二つの気持ちが毎日のようにせめぎ合っていた。
 
 
 
「こんにちは」
「……誰」
 
 心の隙間を埋めるように外の世界を見せてくれた魔法使いルーカスが居なくなり、また退屈な日常へと戻ったとき、その男は突如として現れた。
 
 どこかルーカスを思い出すその人は、容姿だけ見ると父にそっくりだった。庭園への不法侵入を咎めても、私の言うことを聞き入れる人間がここにはいない。そして父に似た男を無下には出来ず、考えた末に話を聞き入れることにした。
 
「第一皇女のアタナシア姫様ですね」
「そうですが」
「随分お辛そうに見える」
「……貴方には何も関係ありません」
「あなたは紛れもない皇帝の娘であるのに、皇帝はもうひとりの娘ばかり可愛がる」
 
 改めて指摘されなくても誰もが知っている事実だった。わざわざ無礼を口に出し、名ばかりの皇女である私をからかっているのだろうかと不審感を募らせるが、男が続けて話した内容には驚きの余り、思わず言葉を失ってしまう。
 
「第二皇女は、皇帝の娘ではないのですよ」
「何を……言っているの?」
「驚くのも無理はありません。第二皇女には皇族の証である瞳がある。そして、彼女は皇帝の元婚約者である女を母に持つ」
 
 赤い瞳は私から視線を逸らさず、口元は怪しげに緩んだ。私が口を挟む間もなく、でも、と話を続ける。
 
「彼女の父親は皇帝ではありません。同時期に殺された先帝が、彼女の本物の父親なのです」
 
 なぜその事実をこの男が知っているのか、私には分からなかったが、男の口から続々と明かされるジェニットの出自から興味を逸らせない。そして、疑問が一つ。
 
「私は……」
「アタナシア様は紛れもなく皇帝の娘です。纏う魔力がそっくりだ。そしてかつて皇帝が寵愛した踊り子に瓜二つ」
 
 リリーとフィリックス以外から聞かされる私の母親。皇帝の一夜限りの相手、低身分、売女、二人以外から語られる母はそれはもう聞くに堪えない話ばかりだ。
 
「父が……寵愛した……?」
「そうです。有名な話ですよ」
「そんな……」
 
 それではなぜ―――?愛した女の娘である私に対してなぜ―――?
 
「父はなぜ私を厭うのでしょうか」
「そう仕向けてる人間がいるということですよ」
「まさか……」
「第二皇女側の人間でしょうね」
 
 初対面の男の話を鵜呑みにしてしまうほど、その時の私は正常な判断ができる状態ではなかった。混乱させてしまい申し訳ない、と告げた男はパターソン子爵だと名乗り去っていく。この日を境に、孤独な私は訪ねてくる彼に心の不安をしばしば溢すことになる。
 
 
 
 それから私に何かと接触しようとするアルフィアス公子を受け入れた。初対面ではおとぎ話の中の王子様でジェニットの婚約者。子爵の話では、アルフィアス公爵の手の内で動き、ジェニットの敵である私の動向を探ろうとする青年。
 
 イゼキエルに対して最初は抵抗が強くあったが、交流を重ねる内に彼からの敵意とは異なる視線に気付き始める。これが相手側の策略で、私を陥れようとしているのであれば罪な男だと思う。それでも、おとぎ話の主人公になった気分に酔いしれる彼とのひと時から中々抜け出せずにいた。
 
「僕と一緒にここから逃げませんか」
 
 嘘か本当か分からない誘い。イゼキエルの表情は真剣のように思えた。例え裏切られても、この手を取れば幸せになれると一時の夢に浸ってもいいのではないか、そう決心が鈍る。
 
 しかし、もう全てが遅かった。
 
「ジェニット様が……!」
 
 エメラルド宮のメイドがイゼキエルの元へと駆け寄る。私は、このメイドが何を報告するのか知っていた。
 
「ジェニット様が、毒を含まれて……!」
 
 私はこの国で、やることがある。ジェニットがここから居なくなれば、父は私に目を向けてくれるのではないだろうか。ジェニットに絆され穏やかになった父であれば、私のことを受け入れるのではないか。例えそれがジェニットの代わりだとしても、一度愛した女の娘である私を。
 
 そんな願いも虚しく、物が散乱した宮殿の中へと連れて行かれ、荒れ狂う父の前で跪かされる。
 
「お前がジェニットに毒を盛ったのか?」
「お父様、違います!」
「陛下! 第一皇女が毒を盛ったと証言する者が……!」
「処刑を命ずる。二人まとめて地下牢へぶち込め」
 
 父の冷たい眼差しが突き刺さる。こうしてイゼキエルと共に地下牢へと連れて行かれて初めて、彼の私に対する想いが本物であると気付かされた。それでも、例えジェニットが居なくなろうとも父から愛されることはないと悟り、全てがどうでも良くなるほどこの世界に絶望した。
 
 
 
 地下牢へ閉じ込められて、一日も経たない内に、私の檻の前に一人の男が現れた。
 
「……あなた、私を嵌めたわね」
 
 ジェニットがいなくなれば父は彼女に向けている興味を私へ向けると子爵は説いて見せた。私はまんまとその言葉を鵜吞みにして、ロザリア伯爵夫人が毒を盛るという彼からの情報をジェニットには明かさずに、計画通り事件は起きて今ここにいる。
 
「そんなつもりはございませんでした。皇帝に掛けられた呪いは非常に特殊なものだということが今回の件で判明したのです」
「呪い……?」
「第二皇女が死ねば解けるかと思いましたが……」
 
 父が私を憎むように仕向けられていると言ったのは、呪いが影響しているのだという子爵の話に、なぜか納得した。私の顔を見る度に顔を歪ませ、頭を押さえる。私を憎むように呪いが掛けられていたとしたら、これまでの父の行動が少し受け入れられる気がした。
 
「あなたの命が媒介となって呪いが成立している可能性が高い」
「……」
「あなたは死して初めて、皇帝の記憶の中で生き続けるのです」
 
 子爵のその言葉は、とても甘美な響きで私を誘惑し、思考を停止させた。死と引き換えに父の記憶に私と言う存在が刻まれる。それはずっと私がずっと望んでいたことだった。存在を認められぬまま生きる地獄より、死という選択肢のほうが私は幸せになれる、そう思うことに時間は掛からなかった。
 
「二度と俺の前に姿を現さないと言うのなら」
 
 その後現れた父の言葉には全く惹かれなかった。そんなことをしてなるものか、と決心した気持ちが揺らぐことはなく、これで最期になるであろう父の顔を目に焼き付ける。相変わらずこめかみを押さえながら私と話す姿に、その痛みは私が影響しているのだと思うと、どこか高揚して心がざわついた。
 
「イゼキエルの釈放を求めます。私一人の独断です」
 
 子爵の話が事実であれば、私の死後、この世界は父によって混乱するだろう。その混乱に乗じて、私を想ってくれたイゼキエルが生き残り、そして私の託した願いを叶えようと奮闘してくれるだろう。
 
「さようなら、お父様」
 
 父の後ろ姿を最期の瞬間まで忘れないように見つめた。その後、フィリックスも私の元を尋ねてくれたが、私の気持ちが変わることはなかった。
 
 
 
「(両親に変わって愛情を与えてくれて、ありがとう。でも私は最期までお父様の中で生き続けたいの)」
 
 処刑台へ一歩一歩足を進めながら、この短い人生で関わった人々を思い出す。
 
「姫様っ!」
 
 リリーの叫び声には聞こえないフリをする。もし、あのまま父を望まなければ、リリーとフィリックスと寂しくも僅かな幸せを噛み締めて生きていくことができたのだろうか。素直にルーカスの手を取り外の世界で暮らせば、イゼキエルとここから逃げていれば、このような結末を迎えることも無かったのだろうか。ひとしきり考えて出た結論は、それでも私はこの結末を望んだ、ということだった。
 
「愛しいお父様。私のこと、娘だと気付いて苦しんでね」
 
 願いを口に出すと、なぜか涙が零れた。最期にもう一度、と家族の証である同じ瞳で高い位置から私を見下ろす父を見る。私が死ねば私の記憶が蘇るようになるという嘘か本当か分からない話に縋って死にたい。嘘でも大丈夫、だって私にはルーカスがいる。
 
「どうせもうオベリアは、この後すぐに炎に埋め尽くされるのだから」
 
『魔法使い……ですか? 彼に連絡を取れば姫様は救われる、と?』
 
 私が死ねば、混乱に乗じて脱出するであろうイゼキエルが、ルーカスへと連絡を取るだろう。
 
『俺はこの帝国一つくらい簡単に火の海に沈めることができるんだぜ?』
 
 私を一人の女性として扱い、私の元を離れることに最後まで渋っていたルーカスは、私が処刑されたことを知り、父がいて私のいないこの帝国を滅ぼすだろう。
 
『すごい! そんな魔法が使えるのね!』
『まあな。禁忌の魔法は代償を伴うから、ちょっと怒ったくらいじゃ使えないけどな』
『……何があればその魔法を使う?』
『んー? そうだな、大切なモノを……奪われた時……とか? わかんねえけど』
 
 どこまでも広がる海を見て話したルーカスの言葉だけが、辛く暗い日々の中で生きる唯一の支えだった。父が私を愛さない世界なんて、滅んでしまえばいい。でも、私が愛した女の娘であることを思い出してほしい。
 
 この後私が娘であることを思い出した父は、一体何を想うのだろう。それでも私の死を乗り越えて、私のいない世界で幸せに生きようなんて、そんなことは絶対に許さない。
 
「あははっ、誰も幸せになんてさせない」
 
 父と親子の会話をしてみたかった。父に抱きかかえられてみたかった。父に危ない行いはするなと叱られてみたかった。父に誕生日を祝われてみたかった。父ともっともっと、いや一度だけでもいいから家族として触れ合いたかった。
 
 最期まで未練がましい自分が嫌になる。叶うはずの無い願いだと頭で何度考えたか分からないのに。
 
「さようなら、私のお父様」
 
 それでも私にとって唯一の父が好きだった。それが私の最期の記憶―――。
 
 
 
+++
 
 
 
「なぜこんなにも辛い記憶を、また見せるの?」
 
 淡い光に包まれながら、当時の記憶を思い出して涙が止まらない。
 
「また、家族を望んでしまうじゃない」
 
 もう一度、父に会いたい。そして今度こそ娘として愛されたい。もっとジェニットのように振舞うから、だから私を見てほしい。
 
 終わりの来ない苦しみに泣き崩れたとき、私の頭上に何かが触れた気がした。それは今私が一番欲しい温もりで、まるで人がいるかのように頭に優しい声が響いた。
 
「ごめんね、ごめんね」
「愛してる」
「アタナシア、私の可愛い娘」
 
 死後の世界は現実ではありえないことが起こるのか、私が欲した幻聴かは定かでは無かったが、聞こえてきた言葉に大粒の涙が溢れた。
 
「お願い。今度こそ、陛下を救ってあげて」
 

 姿は見えないのに、この温もりが母の物であると思った。

「……あったかい」

 こうして私は母の願いに導かれたその先で、再び愛しい父と再会することになる。”かわいらしいお姫様”という哀しい物語の贈り物を母から授かり、今度こそ父の愛を手にするのだ。
 
 

END.


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SpecialThanks:リッタさん(@Ritta_obelian)、悲壮感溢れる素敵なアタナシアの絵をいただいたので、小説の締めに使わせていただきました~~~~最後まで世界観にぴったりの神絵をありがとうございました!!!

そして最後までお付き合いいただいたみなさま、本当にありがとうございます!!!わたしなりの「かわいらしいお姫様」の解釈を描き切れて大満足しています!そのあたりのお話は後日あとがきとして書きたいなと思ってます。

Epilogue. おとぎ話の結末

 

 魔法使いルーカスが力尽き、オベリア帝国は何一つ形を残すことなく滅びた。世界樹には彷徨う魂が溢れかえり、かつてないほどの混乱を見せている。

「私の選択が間違っていたの?」

 この物語を追い続けた女は、帝国が滅び信じられないほどの死者を出した結末に言葉を失った。そして、この哀しい結末を迎えても尚、数々の魂が行き交うためか、それとも禁忌の術を使用した代償のためか、再会を果たせない男を想い、涙を流した。

「この結末を変えたい」

 心からそう願うと、突風により世界樹に生えた葉が女の周りをひらひらと舞い散った。言葉は無いが、彼女には光り輝く大樹が、この悲惨な結末を変えようとしていることが分かり、その幹に縋りつく。

 女は考える。何を変えれば、哀しい結末を迎えずに済むのだろうと。

「私が出会わなければ?」

 女は思う。出会った時の誰も信じられない目をした孤独な男のことを。あの男のことを放っておくことなど私にはできないと。

「私が死ななければ?」

 女は思う。愛する男との間に授かった愛しい子を産まないなどという選択肢は絶対に存在しないということを。

「では……」

 女は愛しい娘に希望を託す。愛する男を、どうか私の代わりに幸せにしてほしい、と―――。

 

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Chapter4. 愛と苦しみの狭間で藻掻く

「お前も俺を裏切るんだな、フィリックス」
「裏切っていませんよ、十八年前の約束に誓って」
 
 そう最期に告げ、哀しそうに笑って涙を流した血みどろのフィリックスの胸に耳を当てると、貫かれたその場所からは既に何の音もしなかった。徐々に温もりを失っていく身体を、夜が明けるまで抱えていた。
 

「裏切っていない?」

 裏切ったじゃないか、主である俺に剣を向けて。腕の中で息絶えた騎士はこれから先もずっと俺の隣にあり続けるはずの人間だった。孤独な幼少期から傍にいて、兄を闇へ葬り去った後も唯一変わらず傍に在り続けた。

 
 いつからだろう、限りなく近い場所にいたはずのフィリックスと距離ができてしまったのは。死ぬ間際に言った“十八年前”という言葉がやけに引っ掛かるのは、そのくらいの時期から意見の食い違いが重なっていった気がしたからかもしれない。
 
 それでもこの騎士の無礼な振る舞いを許してきたのは、唯一信頼できる騎士であったからで、フィリックスの代わりはこの世に誰もいないという理由からだった。
 
 そんな騎士が、俺の娘を名乗る怪しい少女に肩入れするようになり、俺に対する不満を募らせていったことは非常に不愉快だった。これは俺の騎士だった。あんな得体のしれない小娘の騎士になぜなろうとするのか、俺への忠誠心は一体どこへ消えてしまったのか。
 
 俺はこの騎士をずっと昔から傍に求めていた。けれど、この男は自分以外の騎士だった。その事実が分かった途端、他の人間の物になるくらいなら、と勢いに任せて攻撃した衝動を後悔しても、もう遅い。
 
 抱えた身体の温度が、フィリックスはもうこの世にはいないことを告げていた。
 こうなったのも全て、騎士を惑わせたあの少女のせいだ。
 
 
 
『一生、俺の視界へ入らないと誓うなら、処刑を考え直してやってもいい』
 
 数日前、娘を名乗る少女を地下牢へ閉じ込めてから、誰も居ない時間を見計らって、少女の元へと足を運んだ。暗闇の中で床へ座り込んでいた少女を見下ろすと、俺に気づいた少女がゆっくりと顔を上げて視線が交差した。
 
 そして、頭痛が一つ。
 
 痛みに耐えながらも、少女の罪の減刑を提示した。貴族らやジェニットが必死にこの少女の処刑を考え直すよう、擁護する意見をしてきたからだ。
 
 そして俺自身も考えた。この少女と関わりさえしなければ、視界へ入れるだけで襲う頭痛も、俺から騎士を奪おうとすることに対する敵意も、何も生まれないのだから、と。だから今日、ルビー宮への永久な幽閉を命じ、命までは奪わないことを告げに来た。
 
 しかし、少女は命乞いをすることなく、何がおかしいのかむしろ笑ってみせた。
 
『一度決めたことを取り消すと、皇室の威厳に関わるのでは?』
 
 その顔は非常に挑発的で、数日後に処刑を控えている人間とは思えないほどに肝が座っていた。
 
『そうか。自ら処刑を自ら望むか』
『はい。だから、今回関係のないアルフィアス公子は釈放してください』
『それは許さん。ジェニットの婚約者でありながらお前と逢瀬を重ねていた。お前と同罪だ』
 
 俺の回答を聞いた少女は黙り込み、何かを考える素振りを見せてから口を開いた。
 
『……刑の順番は? 私からにしてくれますか?』
 
 ただただ不気味だった。死を恐れずに、死と向き合う十八にも満たない少女がこの世のものとは思えず、鳥肌が立つ。皇帝に君臨した己に、怖いものなんてこの世には存在しないというのに。
 
 その場に長居することは止めようと見切りを付けて背を向けると、消え入りそうなほど小さな声が耳を掠めた。
 
『さようなら、私のお父様』
『……』
 
 記憶にない娘。けれど例え実の娘でなくとも少女が懇願さえすれば処刑を取り下げることを考えた。なのに、少女が容易く処刑を受け入れたせいで、フィリックスに刃を向けられる結果となってしまう。
 
『私がずっとお傍におりますから』
 
 兄を殺した時に、寄り添うように声を掛けてくれた騎士、いや幼馴染の眩しい笑顔を今でも鮮明に思い出すことができる。けれどその幼馴染は、もうこの世にはいない。できない約束など初めからするなと、前にも誰かに告げた気がする。また、裏切られた。
 
 いつの間にか夜が明けた。髪の色に全身を染めた息のない騎士をベッドに横たわらせた。血の混じる髪は、元々柔らかいはずだったのに指が通りにくい。
 
「そんなに死にたいのなら、望み通り殺してやる」
 
 もう二度と見ることはないであろう男の顔を目に焼き付けて、別の部下を呼び出した。
 
「刑の執行を急ぐよう命じろ」
 
 
 
+++
 
 
 
 少女の首に縄が掛けられたことを見届けてから、大きな頭痛に襲われるようになった。その後控えていた刑たちが予定通り執行されたのかは知らない。その日、倒れてからというものの、自室の寝台から起き上がれないほどの頭痛に悩まされる日々が続いた。
 
 頭痛の原因と思われた少女の刑は執行したというのに。これまで安らぎを与えてくれたジェニットを傍に呼んではみたが、頭痛や息苦しさが解消されることは一向になかった。
 
 これはもう”少女の呪い”と言っても過言ではない。死んでも尚、忌々しいその存在を主張してくるとは思わなかった。それほどまでに、あの少女の存在は悩ましいものだった。
 
 夜空の下で皇族の証である宝石眼を持つ少女の存在を初めて視界に入れた瞬間、かつてないほどの激しい頭痛に襲われた。それから騎士や元老会の人間がその少女は俺の娘であると主張したが、少女の話をするだけで初めて見た姿が思い起こされ頭痛がした。
 
 その後パーティーで姿を見かけた時も、俺の目の前に立ちはだかった時も、そして最期の時も。顔を見るだけで胸に溜まる不快な何かと、頭がかち割れるほどの頭痛が起こるのだ。
 
 これが禁忌の術でなくて何だというのか。一つ思うことは、少女自身が悪いわけではなく、少女を媒介として誰かが俺に対して術を掛けている可能性が高いということだった。
 
 一人、怪しい魔法使いがいた。もう一人、ジェニットの婚約者を名乗りながらも俺に憎悪を滲ませてくる青年もいた。今となってはもう誰が犯人かも分からないし、こうして今起き上がれないほどに頭痛で悩まされているわけだから、その術師の技は成功したと言えるだろう。
 
 
 
 
 死期が近いのか、走馬灯のようにこれまでの人生がスローモーションのように脳裏に再生されていく。思い起こせば、苦しみしかない人生だった。
 
 父の正妻からは日々暴力を振られ、上面の良い兄に騙され、挙句の果てには自分は味方だと寄り添う婚約者にまで裏切られた。もう誰も信じない、そう心に誓ったのは記憶に新しい。
 
 そんな裏切りの日々に現れた唯一の救いがジェニットだった。己の血を引いていないことは年齢を聞かずともすぐに分かった。それでも物怖じしない性格に惹かれ、家族の愛を求める姿が幼少期の自分と重なった。
 
 彼女と接していく内に、初めての感情が芽生えた。血の繋がりが何だと言うのだろう、という概念だ。血が繋がっていたって裏切る者は裏切るし、血の繋がりが濃いからこそ争うことだってある。だから血が繋がらなくとも、娘のように愛し、慈しむことができるだろうと。
 
 ジェニットのことを考えれば、温かい気持ちを教えてくれた彼女と出会い、僅かな時間を共に過ごすことができたこの人生は、全く不幸と言うわけでもなかったのかもしれない。
 
 徐々に奪われていく体力に、どうしようもないことを考え続け、そんな自分自身が情けなくて笑いが込み上げてくる。そして遂に意識を手放しかけたその時、微かに人の気配を感じて死にかけの身体が強張った。
 
「なんだ、もう死にかけじゃん」
 
 突然聞こえてきた声に重い瞼を上げると、そこにはかつて少女に付き纏っていた魔法使いがいた。挑発するようなルビー宮から発出する魔力に気付かないわけも無く、一度牽制のために攻撃を仕掛けた魔法使いだった。やはり、少女を媒介にして術を掛けていたのはコイツだったのだろうか。あの時なぜ仕留めなかったのか、自分の行動を悔いてももう遅い。
 
「俺がトドメを刺したいのは山々だけどさ、皇族を殺すのは重罪だから」
「な……にを」
 
 以前対峙した時とは異なる、桁違いの魔力に圧倒されているのか、声が押しつぶされて出てこない。
 
「死ぬ前に、もっと苦しませてやるよ」
 
 顔を歪ませて口角を上げた魔法使いの指先からは黒い光が発出されて、思わず目を閉じる。激しい痛みが頭全体を襲った後、何かが解放されるような感覚が続き頭痛が和らいでいった。
 
 
 
 
「陛下、陛下」
 
 身体を揺さぶられている。痛みから解放された頭で、馴れ馴れしく自分を呼ぶ高い声を認識し、目を開いた。
 
「陛下、目を開けてください」
 
 先程までと変わらない寝台に横たわりながらも、目の前には数日前に処刑した少女と瓜二つの女が笑っていた。そう、彼女の名は―――。
 
「ダイアナ」
 
 この女を知っている。城下町で偶然にも出会った踊り子に目を奪われて、自由に舞う翼を奪うように皇宮へ連れて閉じ込めた。
 
 俺に向けられた好意を疑って、どうせまた裏切るだろうと心を閉ざしながらも、彼女を求めることが止められない。自分だけの物にしたいという独占欲と、一々感情を揺さぶるなと突き放したくなる気持ちとで葛藤を重ねるも、彼女から与えられる一心の愛に何時しか折れるしかなくなった。
 
 忘れることなんてできるはずのない、ダイアナと過ごした幸せな日々が目の前に広がる。
「ひどくうなされていましたよ」
「ああ、嫌な夢を見た」
 
 隣で横になる愛しい女に縋りつくように腰へ腕を回す。距離を縮めると甘い香りが鼻を掠め、首元に顔を埋めて深呼吸をした。
 
「子守唄を歌いましょうか?」
「あのくだらん歌か?」
「♪〜お月様が笑ってる 今日はバイバイ」
 
 くだらないと言いながらも、どこか懐かしい気持ちにさせる子守唄に耳を傾ける。幼少期、病弱な母親が眠るまで傍にいてくれた記憶などないはずなのに、母の温もりを思い出すから不思議だ。再び微睡むように目を閉じると、髪を指で優しく梳かされていく。
 
「もうすぐ父親になるんですから、しっかりしてくださいね」
「そうか、そうだったな。フィリックスが、俺の子の護衛するとうるさく歩き回っていた」
「まぁ、ロベイン卿は頼もしいですね」
 
 顔を彼女の腹の方へと寄せると、目立つようになってきたその場所からは微かに動く音が聞こえた気がした。自分の血を引く子が彼女の身体の中へいることに幸せを感じて、なぜか涙が出そうになった。
 
「陛下、大事な話があります」
 
 穏やかな時間に突然差し込まれる真剣な声に、なぜかこの話は聞いてはいけないと本能が告げた。息苦しくなりながら、更に彼女のお腹に顔を埋めて聞こえないフリをする。そんな俺を知っていてか、俺の返事を待たずに彼女は話を続けた。
 
「私、陛下と一緒にいられないかもしれません」
「……何を戯けたことを」
 
 ずっと目を背けていたことだった。妊娠してから日に日に青白くなっていく顔に、何度宮廷医に診療させたかは分からない。結果を見いだせない宮廷医は見せしめとばかりに牢獄へ閉じ込めたが、解決策を持ち出した者は誰一人として現れなかった。
 
「私の身体が出産に耐えられそうにないって言われました」
「……使えん医師だな。別の医師に……」
「そう言って何度も変えてもらったじゃないですか」
 
 急変した重い空気に耐えきれず、身体を起こして寝台から降りる。カッと頭へ上った血に、このままでは母体を傷付けかねないと距離を取った。
 
 この憤りの矛先が分からない。あれほどまでに待ち望んだ彼女との子供だった。これからずっと二人で子の成長を楽しむはずだったのだ。その夢が奪われた時、俺の望むものは何かを何度も考えた。考えた結果が、彼女の命と引換えに望むものなんて、何もないということだ。
 
「……諦めるか」
「いいえ。陛下に家族を残せる、これ以上の喜びはありません」
「そんな喜びなどいらん」
「私を愛してくれたように、どうか私が残していくこの子も大切にしてください」
 
 俺の背後でダイアナがどんな顔をしているのか、想像したくもない。俺の傍から離れないと言ったじゃないか。守れない約束など、なぜしたのだと。俺を置いて、知らない母の顔をするなと伝えたい。力づくでも処置させたい、なのに彼女はそれを許さない。
 
 これまで裏切られたどの人間よりも、裏切られた気持ちが大きいと感じるのは何故だろう。ダイアナに、悪意があるわけではないのに。ただ、俺が選ばれなかっただけだ。
 
 息苦しさが増していき呼吸が乱れていく。頭痛は無くなり思考はクリアになったのに、息が吸えなくてただただ苦しい。
 
「い……やだ」
 
 今見ている景色が現実ではないことなど、彼女を抱きしめた時から分かっていた。なぜ、今になって忘れたはずのかつての苦い記憶が見えるのか。
 
「約束してください、陛下」
「約束など、しない」
 
 どうせ夢だと振り向いた先に、涙を堪える顔が見えて胸が締め付けられた。寝台へと戻り、幻だと分かっても再び抱き締めずにはいられない。
 
「俺を置いて行くな! 頼むから!」
 
 俺の胸から顔を上げたダイアナはポロポロと涙を流しながら、悲しそうに微笑んだ。
 
「陛下なら、きっといい父親になるって信じてます」
 

 ダイアナがそう告げた瞬間、腕に抱きしめていた存在が一瞬にして消えた。

 目の前には灯りの差し込まない寝台から見えるいつもの天井だ。隣に温もりは、ない。この十八年間、ただの一度も。

 
「ああああああああああっ!!!」 
 
 どこへぶつければいいか分からない憤りを声に預け、枯れるまで泣き叫ぶ。
 
 そうだ、彼女の亡骸と共に残された赤子の顔を直視できず、自分自身がこれ以上苦しまないように術を掛けた。そこから先のことはよく覚えていない。
 
「俺が父親?」
 

 ダイアナが残した子供。フィリックスが命懸けで守った子供。すべてを悟り、自分の周りには何もない現実を思い出し胸を鷲掴みにされた感覚が続く。

 頭を掻きむしり、その場に蹲ると肩に何かが触れた。

「お父様! しっかりしてください!」

 いつの間にか部屋にいた偽の娘だ。以前なら心地良かったはずの声が、雑音として頭に響く。

「うるさい、出ていけ」

「そんな、今すぐ医師を」

「いいから早く! 殺すぞ!」

「どうしよう、誰か……!」

 偽の娘が、荒らげた声に怯え、取り乱した様子で部屋を出て行った。

『陛下と家族になれることをとても幸せに思います』

 十八年も前に血の繋がりを俺に与えようとしたダイアナの言葉が何度も頭に木霊する。胸が張り裂けそうなほどに息苦しい中で、行き着いた答えは一つだった。

「こんな世界……お前のいない世界なんて」
 
 十八年前と何一つ変わらない。結局、ダイアナがこの世にいないという事実を乗り越えられる日が来ることはないのだと思い知らされる。皇帝という絶対的な権力も、他者を捻じ伏せる魔力を持ちながらも、心は弱い。たった一人の女の生死にここまで心が掻き乱される。そして、その哀しみに俺は耐えることができない。
 
 己の首に手をかざし、死にかけの身体に残された僅かな魔力を込めた。
 
「ダイアナ……」
 
 記憶から抹消した幸せの日々、死神は俺に記憶と愛の感情を取り戻させた。けれど感情を取り戻した俺は、呪いを解かれる前より満ち足りていた。どうせもうすぐ死ぬ運命だった俺が、最期に愛した女を想いながら息絶えれるのだから。
 
 枯れるまで流した涙は、血の飛沫によって上書きされた。
 
 
 
+++
 
 
 
 呪いに身体を侵された皇帝が息を引き取る瞬間を魔法使いは見届けたが、気持ちが満たされることはなかった。
 
「それでもアイツの願いは叶わねえのかよ」
 
 既にこの世にはいない少女が、かつて口にした願いを思い浮かべて拳を握りしめた。
 
「こんな世界、終わりにしてやる」
 
 息のない皇帝を部屋へ置き去りにして、少女がかつて住んでいたルビー宮へと足を運ぶ。
 
「大魔法使いの力、見てろよ?」
 
 誰に聞こえるわけでもない台詞を発し、魔法使いは最大限の魔力を放出させた。大地は揺れ、帝国は炎の中へと包まれていく―――。
 
 
 
 
 
+++

SpecialThanks:リッタさん(@Ritta_obelian)にプロットのご相談をしたところ、血塗れのフィリックスとクロードを描いてくださいました!!!ダーク!素敵すぎる!しかも2枚目は以前書いたクロダイ小説を元に描いてもらい、Pixivの挿絵にしたものです!わたしにとってのクロダイがこの小説で書いたものなので、今回もほんのりリンクさせてみました。なので絵もそのまま拝借…!いつも素敵な絵をありがとうございます!!!

ここまでお付き合いありがとうございました。最後にエピローグ、そしてアタナシアの想いへと続きます。もう少しお付き合いくださいませ!

Chapter3. 愛情も、忠誠も、すべて捧げて

「あなたはだあれ?」
 
 廃れた庭園にある噴水の前で、俺を見上げる小動物のような幼子がいた。この場所に似つかわしくなく帝国の唯一の姫であることを、キラキラと輝く宝石の瞳が物語っている。舌っ足らずな言葉で話す少女と目線を合わせるように俺は膝をつき、警戒心を解いてもらえるように笑みを浮かべた。
 
「私はフィリックスと言います、アタナシア様」
「わたしのことをしってるの?」
「はい。アタナシア様のお母様には良くしてもらいましたから」
 
 少女の母は、目の前の少女と瓜二つの顔をした女性だった。誰にでも分け隔てなく笑顔で接する心優しい女性だ。もう、この世を去って数年が経とうとしているが、俺は彼女のことを忘れることはないだろう。それほどに魅力的な女性だった。
 
「おかあさま? わたしの?」
「そうです。ダイアナ様はとてもお美しいお方でした」
「そうなの? あってみたいな」
 
 幼い少女には母の記憶が無い。それは当たり前のことだった。その母は娘の出産と同時に命を落としたのだから。母の存在が恋しいと気が付いた時には、既にこの世にはいないという境遇に、己の幼少期が重なったこともあり、ずっとこの場所で一人生きる少女のことが気掛かりだった。
 
「姫様が大きくなられたら、きっとダイアナ様のようにお美しくなられるでしょう」
「おにいさん、またおかあさまのおはなしをしてくれる?」
「私のことはフィリックスとお呼びください。もちろん、約束します」
 
 今日こうして少女へ会いに来たのは独断での行動だった。今になって振り返れば、この時少女へ会いに行かなければ、悲惨な結末を迎えることはなかったのかもしれない。
 
 しかし、何度同じ末路を辿ることになろうとも、俺は少女の元へと足を運んだだろう。後悔することは山程ある。やり直したいことばかりではあるが、少女のいない人生は、俺の人生とは呼べないものなのだから。
 
 
 
+++
 
 
 
「フィリックス、私今日からアルランタ語の勉強も始めたの」
 
 幼い少女は九歳になった。業務の合間を縫ってはルビー宮へと顔を出し、少女の戯れに付き合うのが出会ってからの日課だった。
 
「アルランタ語は必須の科目ではないかと思うのですが?」
「私もいつか外交に携わる時がくるかもしれないでしょう」
「なるほど……私もアルランタ語の勉強を始めないとかなぁ」
 
 必修ではないアルランタ語を勉強するということは、与えられたことを淡々とこなす少女の性格からはやや積極的で、何か改心のキッカケがあったことが想像できる。今日の少女は一際上機嫌だった。長く一緒に過ごせば、少女の気分くらいはすぐに見抜けるようになる。可愛いな、なんて微笑ましく少女を眺めていた。
 
 しかし、少女の口から続く話は決して喜ばしいものではなかった。
 
「私、この前初めてお父様を見たの」
「……え」
「夜空の下でも輝く容姿をしていたわ。私のお父様はとても素敵な方だったのね」
「……」
「早く、話してみたい。皇帝というのは忙しいお方なんでしょう?」
 
 予期せぬ少女の話に、俺の頭は真っ白になった。いつかは向き合わなければいけないことだとわかっていたが、逃げていたのだ。少女との幸せな時間を壊すのが怖くて、問題から目を背けていた。
 
 そう、これまで少女の母の話をすることはあっても、少女の父の話は一度も口にしたことがなかった。
 
「……そうですね。政務が忙しく、家族の時間は取れないと聞いたことがあります」
「私もお父様の役に立てる娘にならないと」
 
 父親を思い出す少女は恍惚とした顔をしていた。少女と出会ってから数年は経つが、初めて見る顔だった。その嬉しそうな顔がもっと増えればいいと思ってはいたが、こんな状況で見たい顔ではなかった。自分と過ごす時間で笑顔が増えれば良いと思っていた。けれどこの表情は赤の他人である俺が到底見せられるはずはないのだと、過信を思い知らされた気がして心が傷む。
 
 何より、少女の語る夢が叶うことのない一方通行の思いであるという真実を告げて、傷付く少女を見る勇気はない。そう、陛下が姫様の存在を認めていない、とは口が裂けても言うことはできなかった。
 
「ここで私と仲良くしてくれるのは、フィリックスとリリーしかいないの」
「……」
「これからも私に会いに来てくれる?」
 
 その言葉に大きく頷いた。俺は上手く笑えていただろうか。
 
 愛を与えることのない父親に代わり、少女が親に求める愛情を俺が捧げて、この不穏な空気が蔓延する宮殿の中でも一生幸せに暮らせるようにと願ってきた。お互いがお互いを認識せずに、一生時が交わることなしに。たとえそれが少女の願う幸せではなかったとしても。少女が生きる喜びを見つけてくれればそれで良かった。
 
「それが……少しでも姫様のお役に立てるのであれば」
「フィリックスは騎士なのよね」
「そうですが……?」
「私も政務を任されるようになって、外へ出る機会も出てくれば護衛としてフィリックスを指名したいな」
 
 少女の願いに目を見開く。それはかつての自分の願いと一致したからだ。今はもう叶うはずのない少女の願いを叶えたいと思ってしまった。いつか、陛下の後を継ぎ帝国の王女となった少女を側で守りたい。願わくば陛下と並ぶ少女を。
 
「私は、姫様を必ずお守りしますね」
「約束ね」
 
 差し出された小指を絡める。この時は、根拠もないのに信じて生きればその願いを叶えられる気がしてしまったのだ。魔法使いでもないくせに。
 
 
 
+++
 
 
 
 こうしてまた時が過ぎ、少女は十四歳の誕生日を迎えた。少女は毎日努力を怠ることなく勉学へと励み、知識は俺よりも勝り、帝国の統治者として必要な能力を着々と身に着けていた。きっと、将来陛下の政務を助ける存在になる。陛下と親子としての関係を望むことができなくても、必ず帝国にとっても陛下にとっても必要な存在となるに違いなかった。そのことが誇らしい。
 
「陛下、アタナシア姫様のデビュタントの件ですが」
 
 張り詰めた空気の中、少女にとっての一大イベントについて意見する。いつの頃からか、真っ直ぐな忠誠心とは反対に、陛下とは視線も交わらなくなった。同じ空間にいれば、強い魔力に囚われて身動きが取れないような感覚に陥る。確実に、陛下の心身は悪い方向へと変貌していった。俺が昔の秘めた優しさを持った性格との違いを受け入れ難く、目を逸らし続けた報いなのかもしれない。
 
「忌々しい。娘ではないと何度言えば理解する」
「いえ、ダイアナ様と瓜二つの容姿です。陛下の娘です」
「仮にその踊り子だという女が産んだのは事実として、俺の子供だという証拠は無いだろう」
 
 あれほどまでに愛していたダイアナ様の存在を無かったことにする。言い換えれば、それほどまでに彼女の死を受け入れられなかったからこその変貌なのかもしれない。
 
 それでも彼女と愛し合った形が一つ残っている。娘である少女には、皇族の唯一の証が残されていた。
 
「宝石眼……」
「その頃はまだ宝石眼を持つ者が俺以外にもいた」
「陛下……」
「そいつを視界へ入れてから頭痛が治まらん。放っておけ」
 
 これ以上この話をすることは許さないとばかりに睨みつけられ、部屋から出ることを余儀なくされる。
 
 頑なに少女を娘だと認めない陛下に何かあることは気が付いていた。少女と出会ってから止まらなくなった頭痛、考えられるのは禁忌の術しかない。愛した女性を失い、ルビー宮が血の海と化したあの日。陛下は―――。
 
 陛下のことを思うとこれ以上強く踏み込むことができない。しかし、脳裏を過るのは父親を求めて努力する少女の姿。
 
『フィリックス。私、恥ずかしいんだけれど知り合いの男性が一人もいなくて、でもデビュタントへ出てみたいの』
『私がエスコートいたしますよ』
『ほんとに? 約束だからね?』
 
 瞳を一層輝かせて抱き着かれたことは記憶に新しい。可愛らしい少女の笑顔を壊したくない。陛下の命に逆らってでもエスコートをしよう、そう決心したのが間違いであることに、この時の俺は気付くことができなかった。
 
 パーティー当日、陛下の傍を離れて一人入口の前で立ち竦む少女の元へと駆け寄った。少女はブルーのドレスを身に纏い、心細そうに俯いていた。これまで外の世界との交流も断ち切られていたのだ、不安もあって当然だろう。早く安心させなければと声を掛けると、少女は顔を上げた。
 
「姫様……」
「あっフィリ」
「フィリックス」
 
 少女の声を掻き消すように発せられた、冷たく、重い一声に会場内が静まり返った。背後から強く名を呼ばれた俺の足ももちろん止まる。
 
「フィリックス、何をしている? こちらへ」
 
 名を呼ばれた。最後に名を呼ばれたのはいつのことだったかとこの緊張感の中、胸がいっぱいになってしまう。
 
 そんなことより早く、目の前で不安そうに俺を見つめる華奢な少女の手を握れ、掴み取れ。そう自分自身を鼓舞するのに、背後からの自分を求める声に勝てず、身体を動かすことができない。
 
 破れぬ誓いでも交わしたのか、陛下の騎士だからか、陛下の冷酷な性格とその魔力が恐ろしいからか。思いとは裏腹に口は勝手に動いてしまう。
 
「姫様、申し訳ございません」
 
 目の前の少女の顔を見ることが怖くて、俯いたまま謝り背を向ける。玉座に居る陛下の元へと戻ると、先ほど俺の名を呼んだ声は嘘のように、冷たい瞳が俺を見下ろした。
 
「勝手な行動は慎め。お前でも殺すぞ」
「申し訳ございません」
「分かればいいんだ」
 
 エスコートする人間がいない少女を嘲笑う貴族に睨みを効かせても、少女が笑うことは無く、孤独に立ち尽くしていた。そして、少女にとって衝撃的な出来事がアルフィアス公爵家によってもたらされる―――。
 
 それから、少女に会うことは無かった。
 
 父親の娘を名乗るもう一人の姫の存在に絶望しているであろう少女には、ルビー宮へ足を運んでも会うことは叶わず、庭園を歩いても偶然出くわすことは二度と無かった。
 
 耳へと入ってくるのは、魔法使いや公子と逢瀬を重ねているとかいう不穏な噂話。それでも、少女が孤独ではないことがわかり安心していたことも事実だった。
 
 元老会で父親の承認も無く勝手に進められていく縁談は、少女にとっては早くこの宮殿を去ることが幸せなのだと自分に言い聞かせ、口を閉ざすことに徹した。
 
 会議中、アルフィアス公子の陛下を見る冷たい視線がやけに気になったが、少女の幸せを奪った家門が、少女の幸せを願うなんて虫が良すぎるだろう。少女は父親の手から離れて幸せに暮らすのだ。早く、早く、陛下が何の気まぐれか新しく迎え入れた娘によって完全に狂う前に、早くどこか遠くへ。
 
 
 
+++
 
 
 
 ある日、少女は処刑宣告を受けた。実の父親の命によって。少女の他国への輿入れは延期が重なり、間に合わなかった。
 
 地下牢へと続く道を歩く。地下牢の護衛を転がし、階段の奥深くへと進んだ。そして、そこには薄汚れた暗い地下牢には相応しくない、美しく成長した少女がいた。デビュタントで別れたあの日から、数年ぶりに視線が交差する。
 
「姫様……」
「……フィリックス」
「時間がありません。今鍵を」
 
 先ほど護衛から奪った鍵を手に取り、牢の扉を開ける。中へ入ると、力強い声で止められた。
 
「やめて」
「え……?」
「私はお父様にこのまま殺される」
 
 虚ろな目をした少女は生きることを既に諦めているようだった。
 
「何を言っているんですか、冤罪ですよ?」
「冤罪ではないと言ったら? 私がジェニットを殺したいほどに憎んでいること、フィリックスならわかるでしょう?」
 
 幼い頃からずっと求めていた父親という存在を一瞬にして奪われた。突然現れた姉を名乗る人物への憎しみは、簡単に言葉で表せるものではないだろう。
 
 もしかしたら、第二皇女毒殺未遂事件は本当に冤罪ではなく、この少女が仕組んだことかもしれなかった。
 
「姫様が本当に企てたんですか?」
「ええ」
「たったおひとりで?」
「ええ、そうよ」
 
 冷笑する顔に、父親の面影を見た。話ができなくなった四年の間、少女の身に何が起こったのだろう。こんな顔をさせたくはなかった。何が何でもあの時、陛下の声ではなく少女の手を取らなくてはいけなかったのだと今更思い知らされる。
 
「それでも、あなたは死ぬべき人じゃない。帝国から出れば幸せになる方法だってあります」
「私はこの国の姫のまま死にたい」
「姫様が姫でなくなることはありません。私が姫であることを忘れません。私がずっとお守りをっ……!!」
 
『外へ出る機会も出てくれば護衛としてフィリックスを指名したいな』
 
 ただの夢で終わらせてなるものか。両親への愛にさえ執着しなければ幸せになれるこの儚い少女を、どうか傍で守らせてはくれないだろうか。
 
 少女の肩へ縋り付くように嘆願するも、少女の意志が最後まで変わることはなかった。しばらくして、少女から涙が一筋零れ落ちる。
「フィリックス、ありがとう。あなたがいたから私はここまで生きてこれた」
「……陛下を説得してきます」
「私の気持ちは変わらないよ」
「いえ、私があなたを守ります。言いましたよね、姫様の護衛だって」
 
 檻の鍵はそのままにして、どうか逃げてどこまでも生き延びますようにと願いを込めた。陛下の元へ行くということは、もう少女の護衛を務めるという夢物語を二人で語り合うことは無いということだと実感すると、離れていた四年間が嘘だったかのように少女との時間が名残惜しくなった。
 
『フィリックス、きょうのおはなしは?』
『今日もアルランタ語を教えてあげる』
『ダンスのセンスが良いって褒められたの』
 
 出会った頃からの少女との日々が鮮明に蘇る。母親のように美しくなった少女に、後ろ髪を引かれる思いで別れを告げ、地下牢を後にした。
 
 
 
+++
 
 
 
 いつもと変わらずノックを2回する。少女へ誓った想いを遂行することは、今の陛下を裏切ることと同義だった。心臓の音が大きく聞こえてくる。拳を握りしめ、一歩踏み出した。
 
「陛下」
「なんだ」
 
 日が落ちても灯りの点かない部屋へ入り、この数年で更に変わり果てた男と対峙する。眠れていないのか隈は日に日に濃くなり、頬は痩せこけた。突然現れた娘を名乗る少女に熱入りし、その少女を傷付けるものを誰一人として許すことはしない。それが例え、実の娘であったとしても。
 
「アタナシア様の刑を取り下げてください」
「それは無理だ」
「……」
 
 陛下の答えは分かっていた。俺の一言で判決を変えるほどの性格であれば、そもそもこのような状況に陥っていない。右手から剣を取り出し、陛下に向かって構えの姿勢を作った。
 
「何の真似だ」
「姫様を守るとお約束しました」
「お前は俺の騎士ではなかったか」
「私はずっと陛下の騎士であり、姫様の騎士でもありました」
 
 剣を持つ手が震える。長年仕えた主に剣を向けるこの状況を誰が予想しただろう。陛下も予想していなかったのか、珍しく細い目を見開いた。
 
「ダイアナ様を失ってからの陛下は人が変わったかのように心が無くなりました。ですが、これで姫様を処刑されたらもう後戻りはできません。陛下は必ず後悔します。だから、今私がこうして剣を握るのです」
 
 俺の言葉に、陛下は見覚えのある不気味な笑みを浮かべて、暗闇の中に宝石眼を光らせた。
 
「あの女にそこまで肩入れしていたとは。何と言う忠誠心だ」
「……」
「そういえばあの時も、俺の命に背いてエスコートしようとしていたしな」
 
 クックッと笑っているのに、そこに陛下の感情は何一つ見えてこない。いつから、彼は人としての心が欠落してしまったのか。そして、俺はなぜそれに気付かないフリをして距離を置いてしまったのだろう。少女とも、幼馴染でもある陛下からも逃げた罪を今になって気付くなんて。
 
「後悔などしない。あれは娘では無いと何度言えばわかる?」
「アタナシア様は陛下の娘です」
「考え直す気は?」
「ありません。私の名に誓って」
「そうか、残念だ」
 
 陛下の手から放出された攻撃魔法を剣で防御する。しかし、陛下との魔力の差から防げるのは僅かな時間であることもわかっていた。
 
 死を覚悟したその時、脳裏を過ぎったのは処刑を待つ少女ではなく、目の前の男が昔見せた悲しげな顔だった。
 
『フィリックス、俺にはもうお前しかいない』
『はい、私がずっと陛下のお傍に』
『お前だけは俺を裏切るなよ』
 
 兄に、そして婚約者に裏切られて絶望している陛下の手を握った。その手は唯一の親族である兄を殺めた血に塗れていた。
 
 助けを求めるように涙を流し、俺の手に縋り付く陛下に寄り添いながら誓ったあの言葉に嘘は無い。ずっと傍に、命果てるまでずっとあなたの傍に。
 
『フィリックス、ダイアナとの間に子が』
『本当ですか!!』
『ああ』
 
 少し恥ずかしそうに顔を赤らめながらも、喜びを隠しきれていない様子の陛下に、自分のことのように嬉しく思ったことは今でも鮮明に覚えている。
 
『私も育児の勉強をしないと』
『それは気が早すぎないか』
『早くないです! 陛下に家族ができるんですから』
『お前が準備してどうする』
 
 そう言って呆れながらも笑う陛下と、ダイアナ様のお腹に宿った子供について日が暮れるまで語り合った。
 
『抱っこにもコツがあるらしいです』
『だからお前は知らなくていいだろう』
『陛下も政務が忙しいでしょう。ダイアナ様との時間も必要でしょうし』
『お前ももっと政務に携われ』
 
 きっと母に似て美しく、父に似て強い、誰からも愛される子供になるだろう。
 
『可愛すぎて狙われるかも……』
『護衛騎士くらいは考えてやらんでもないか』
『護衛騎士……陛下の子供の騎士、それはとても光栄なことですね。命に代えても私がお守りしましょう』
『……頼んだぞ、フィリックス』
『はい』
『たとえ俺が子供と喧嘩して頭に血が上ることがあっても、必ず俺の子を守り抜けよ』
『……命懸けじゃないですか』
『誓え』
『わかりました。フィリックス・ロベイン、私は陛下の子供を守り抜くことを誓います』
『頼んだぞ』
 
 一番幸せな記憶だったのかもしれない。
 
 陛下が忘れてしまっても、俺は、俺だけはこの記憶を忘れない。
 
「お前も俺を裏切るんだな、フィリックス」
「裏切っていませんよ、18年前の約束に誓って」
「何を言っているのかわからんな」
「陛下」
 
 陛下との約束を最期まで全うした。この人生、悔いはない、そう思った瞬間、手に込めた力は抜けて鋭い光が俺の胸を突き刺した。
 
 記憶ではない、目の前の陛下の悲しげな顔が最後の視界に入った。そんな顔をさせたくて殺されにきたんじゃない。あの時の笑顔をもう一度、見たかった。正面から向き合えば何かあの頃の心を思い出してくれるんじゃないかと思いたかった。
 
 しかしもう全てが手遅れだった。
 
 誰か、この寂しい主を救ってあげてほしい。そんな俺の最期の願いは、誰にも届くことはなかった。
 

 

 
 
 
+++

 

SpecialThanks:リッタさん(@Ritta_obelian)にこの小説のために描きおろしでフィリアタ描いてもらいました~~~♡♡この悲壮感漂う悲しい絵をずっと前に貰って早くお話アップしたいと思ってました!!!贅沢すぎる・・・幸せです。ありがとうございます!

Chapter2. あなたが幸せになるまで何度でも

「私の婚約者のイゼキエル・アルフィアスです。イゼキエル、ご挨拶を」
 
 婚約者であるジェニットから紹介されたのは、この世のものとは思えない美しさを持つ第一皇女だった。ウェーブのかかったシルバーブロンドの髪に、普段から日の光を浴びることがないような透き通る白い肌を持つ。そして皇族である証の蒼い宝石眼は見慣れているはずなのに、視線を釘付けにする輝きを帯びていた。
 
 幸が薄いとの噂を耳にした先入観からか、表情を始めとして悲壮感が漂ってはいるが、それがまた儚く、美しい―――。
 
 挨拶をすることも忘れて言葉を失っている僕に、ジェニットが不思議そうにこちらを見上げて挨拶を促す。呼吸を落ち着かせて、第一皇女に頭を下げて口を開いた。
 
「お初にお目に掛かります。イゼキエル・アルフィアスです。お見知りおきを」
 
 僕の挨拶を受けた少女は目を伏せて、耳を澄ませないと傍で作業する庭師の声にかき消されてしまうほどに消え入る声で挨拶を返した。
 
「アタナシア・デイ・エルジェア・オベリアです。アルフィアス公子、話はジェニットからよく聞いておりました」
「私は幼い頃アルフィアス邸で一緒に育ったので、婚約者ではあるのですが兄妹のような関係でもあるんです」
「そう言いながらもジェニットが公子のことを好きなのは知っています」
 
 優しく目尻を下げてジェニットへ視線を向けた後、「ゆっくりしていってくださいね」という言葉をその場に置いて、姫様は去っていった。
 
「綺麗な人でしょう」
 
 姫様の後ろ姿から目を離せずにいると、隣に立つジェニットも同じ方向を見つめて「日に日に綺麗になっていくの」と笑っていた。
 
「綺麗で、優しくて、博識で、私の自慢の妹なの。あとは、お父様がそのことを理解くださるだけなのだけれど」
「……そうですか」
 
 これが、命果てる瞬間まで恋い焦がれた、アタナシア様との出会いだった―――。
 
 
 
+++
 
 
 
 父、ロジャー・アルフィアスの策略通り、従姪であるジェニットを皇宮入りさせることに成功したアルフィアス家は、オベリア帝国内で確固たる地位を確立させ、頻繁に皇宮を訪れることになる。僕は父から将来の後継にと補佐官として元老会や皇帝陛下への謁見に参加することになり、父と一緒に皇宮へ足を運ぶ機会が増えて行った。
 
 少女との出会い以降、ジェニットの顔を見に行った後に初めて挨拶を交わした庭園へ足を運ぶことが習慣になっている。目を奪われたという表現に近しい感情を知るとは思いもしなかった僕は、もう一度だけ一目拝みたいという欲を捨てることができずにいた。
 
 足を運び何度目か回数を重ねた頃の、バラが咲き誇る庭園内で、念願の姿が視界に入り思わず立ち尽くす。目を閉じてバラの香りを嗅ぐその姿は、まるで背に翼の生えた天使のように美しい。
 
「オベリアの繁栄があらんことを」
 
 突然掛けた声に、少女はビクッと肩を震わせて僕の方へと身体を向けた。警戒心は解かれないまま、ただ挨拶を受け入れられる。
 
「美しいバラですね」
「ええ、とても」
「姫様によくお似合いです」
 
 会いたいと思ってはいたものの、いざ会えたら何を話したいかまで計画に無かった僕は、少女がしばらく見つめていた花の話に焦点を当てることにした。しかし、少女は悲しそうに微笑むと、ゆっくりと口を開く。
 
「……私のバラではないんです」
「え……?」
「ここはジェニットの庭園です。本当は私が足を踏み入れて良い場所ではないんです」
 
 声を掛けられたときの驚き具合に合点がいく。何度この庭へ通っても少女に会えない理由が分かった。ここはジェニットの暮らすエメラルド宮の庭園、それでは少女は一体どこで生活をしているのだろう。
 
「では普段はどこで過ごされているのですか?」
「基本的には宮の中です」
「姫様のお庭にも、今度是非ご招待いただければ光栄です」
「……お越しいただいても公子を持てなすことはできないので」
 
 遠回しの拒絶に少し強引すぎたかと反省した。それでも、再び会えるかわからない少女と次回も話す口実が何か欲しいという欲求に駆られてしまう。
 
「それではまたこうしてお話することをお許しいただけますか」
「……またもし偶然にも出会うことがあれば」
 
 社交辞令とも受け取れる回答ではあったが、これで再び遭遇しても避けられることはないだろう。今は次の約束に繋げられただけで十分だった。
 
 初めて会ったときは美しさに目を奪われた。次に会ったときは、一国の姫にも関わらず笑うことすら知らないジェニットとの対極な境遇に同情した。
 
 
 
+++
 
 
 
 それから一年の中で数回だけ、偶然にも少女と遭遇する機会があった。何とか会話を紡ごうとする僕を追い払うことはしなかったが、積極的に会話をしようとする素振りも見えなかった。会話が途切れると、静かに別れを告げて去る。古びたルビー宮へと続く道を歩く少女の後ろ姿はいつも儚げで、見えなくなるまでその場に立ち尽くしてその姿を見守った。
 
「第一皇女をヒュエールに嫁がせてはいかがですか」
 
 元老会で突然発言したのは皇帝派でありアルフィアスと親密な貴族だった。最近関係が悪化しているヒュエール国への抑制策についてが議題だったはずだ。突然聞こえてきた発言に耳を疑った。
 
「第一皇女を人質に……?」
「他国と強い結びつきを得るには婚姻関係を結ぶのが最善だというのは常識でしょう」
「第一皇女ももうすぐ十八になるお年でしょう。まだ婚約者も決まっておられないではないですか」
 
 ジェニットを第一皇女に据えるため、危険因子の可能性があるアタナシア姫を潰しておきたいアルフィアス派の策略であるのは明らかだった。
 
 ふと玉座へ視線を向ける。沈黙を続ける皇帝の顔はいつも以上に険しく、僕は一抹の期待を胸に抱く。もしかしたら、噂はあくまで噂なのではないかと。娘を大切に思わない父親など、この世にいるわけが―――。
 
「第一皇女? 貴様らが勝手にそう呼んでいるアイツか」
「アタナシア様のことでございます」
「これ以上俺の視界に入らなければいい。ヒュエールでも辺境の地でも、どこへでも連れていけ」
 
 寂しく微笑みながら、他国へ嫁ぐことを承諾する少女が脳裏に浮かび上がる。娘だと頑なに認めない父親、幼い少女よりも自己の利益を優先する貴族たち、そしてそれをほくそ笑む僕の父親。この場に座るすべての人間に怒りで頭に血が昇る。何より―――。
 
「イゼキエル、浮かない顔をしてどうした?」
「……何でもありません」
 
 この場で反論さえもできない己の無力さが、一番腹立たしかった。
 
「アタナシア姫様へお目通り願いたいのですが」
 
 会議後にルビー宮まで足を運ぶと、椅子に座り業務放棄しているであろうメイドたちが、慌てて立ち上がりバタバタと駆けていく。一国の姫に対する態度とは思えないが、この国は皇帝が法律の世界だ。皇帝が姫としての待遇を与えなければ、当然姫として扱われないのだろう。
 
 だからせめて、僕だけはあの方をこの国の姫として。
 
「公子……何の御用でしょうか」
「……いえ、皇宮へ立ち寄ったのでお顔を拝見しようかと」
 
 元老会が終了してすぐに向かったというのに、いつも以上に暗い表情に胸が締め付けられた。まさか、もう誰かから聞いてしまわれたのか。涙の痕が残る頬に思わず手を伸ばすも、振り払われることはなかった。受け入れられた嬉しさと、己の無礼さが気にならないほどに傷ついているのかという気持ちとが葛藤する。
 
「何かございましたか」
 
 余程誰かに話を聞いてほしかったのか、涙をいっぱいに溜め込んだ眼で僕を見上げた少女は、重い口をゆっくりと開いて言葉を紡いでいく。
 
「友人が、たった一人の友人が去ってしまいました」
「……」
「居なくなると知ってはじめて、彼は心の支えだったのだと実感するなんて」
 
 堪えていた涙をボロボロと流す少女を見ていられなくて、胸に引き寄せる。少女の唯一の友人とは誰なのか、彼には笑顔も見せたのか、なぜ居なくなってしまったのか。聞きたいことは山程頭に浮かんだが、初めて少女が僕に見せた感情を大切にしたいと思った。
 
 幼い頃、よく涙を流すジェニットの背中をこうして擦った。安心したように眠りにつくジェニットを妹のように可愛がり、いずれ彼女が生涯の伴侶となるのだと父に告げられた時は、よく知った優しい子が相手で良かったと心からそう思った。
 
 少女を救いたいと思うこの感情は、果たしてジェニットに対する裏切りになるのだろうか。
 
「僕では役不足でしょうか」
「え……?」
「その心の支えに、僕がなることは難しいのでしょうか」
 
 少しずつでいい。もうすぐこの国の姫ではなくなってしまうこの方に、最後にこの国での生活も悪いことばかりではなかったと思って貰いたいと願うことはいけないことなのだろうか。

「僕には何でも話してほしい」
「……!」

 彼女には理解できる言語でそう告げると、目を見開いた少女は涙を止めてスゥっと息を吸い込み、すぐに流暢な言語を返してきた。

「私がその国の言葉をわかるとご存知だったのですか」
「姫様は博識だとお聞きしまして」

 僕の言葉に少女は声を出して笑った。出会ってから初めて僕に見せる心からの笑い。それは、まるで―――。

「私たちだけの秘密ですね」

 アルランタ語は外交のため一部の貴族が習得を求められる言語だった。皇宮に滞在するメイドや騎士で理解できる人間はそう居ないだろう。幼少期の留学によって身に付けた言語が、まさか外交よりも価値のある形で役に立つとは思わず、初めて父に感謝した。

 少女の思い出作りのために、というのは己を正当化するための言い訳だったと、後から振り返れば分かる。もうこの時の僕は既に、少女が少しずつ見せる新たな一面を見つける度に、沼にはまったように抜け出せなくなっていた。



+++



 それからは、ジェニットに会いに行くことを口実に皇宮を訪れ、ルビー宮へと足を運んだ。少女は少しずつ僕に心を開き始め、僕らの間でしかわからない言葉で感情を伝え合う。

「見て、イゼキエル。たった一年で、私の庭園にもバラがたくさん咲いてる」

 いつかエメラルド宮のような庭園にしましょうと提案して、比較的すぐに花の咲く苗を用意した。もう蕾のあるものも多く含まれていたから、足を踏み入れる度に庭には少量の花が力強く咲き誇り、彼女は外へと頻繁に出るようになったのだとジェニットが嬉しそうに話していた。

「姫様が丹精込めて育てたからでしょう」
「良い香り」

 少女はバラの美しさに惹き寄せられるように手を伸ばす。棘のあるバラを躊躇いなく掴もうとする手を咄嗟に引き止めた。少女の代わりに茎を折って、ハンカチを巻いて棘を隠す。

「べつに、手なんて傷付いたってかまわないのに」
「いいえ、あなたはこの国の姫ですから」

 少女の哀しそうに微笑む顔は、出会ったときと何一つ変わらない。

「姫に相応しいのはジェニット、私はただお父様に娘であることを認めてほしいだけ。だから姫でなくてもいいの」
「そんなことは」
「例えば、国とお父様とどちらか一つしか救えないとなったなら、私はお父様を選ぶと思う」

 迷いの一つない、芯の通った目をしていた。少女はなぜここまで父親に固執しているのだろうか。目の前の少女の幸せを奪った僕の婚約者も父親に対して同じような感情を抱いていたが、その気持ちを一から十まで理解することはできない。

 誰も理解していないのなら、これから理解すれば少しでも少女の心の内に近付ける気がした。しかし、そんな淡い期待はすぐに打ち砕かれる。

「ねえ、イゼキエル。もし、私に何かあったらね、ルーカスという魔法使いに知らせてほしいの」
「それは、その魔法使いだけが姫様をお救いできると?」

 一人だけ、敵わない人物がいた。少女がその男のために涙を流したことを、僕が忘れることはないだろう。それでも、最近は彼に並ぶほどの信頼を得られたのではないかと、期待をしていた。

「ええ……私の願い事を彼に託してあるの。だから、お願い」
「……わかりました」

 魔法使いだけが叶えられる少女の願いに興味はあったが、最期の願いだと言うような口ぶりに、このまま少女が消えてしまいそうな気がして、強く腕を掴む。

「なに?」
「あ、えっと、寒くないですか?」
「うん? まあ少しだけ」
「僕の上着を」

 羽織っていた上着を脱ぎ、少女の華奢な身体を包み込むように掛けると、力を入れすぎたのか少女の身体はバランスを崩して、距離がグッと近付いた。
 吸い寄せられるように身体は勝手に動いていた。ゆっくりと目を閉じた少女に自分を許された気がして、そっと口付けた。生まれて初めて、心が満たされた瞬間だった。
 
 ジェニットへ対する罪悪感が全く無いわけではなかった。それでも、少女に対する気持ちを抑えることはもう不可能だ。
 
 どうか、急に消えていなくなることはありませんように。そして、少女が幸せになれる道を、残り僅かな時間で必ず探してみせると心に誓った。
 
 
 
+++
 
 
 
 別れの時間は刻一刻と迫っていた。そして、それを僕だけが知っている。
 
「イゼキエル、この文献なんだけど」
「……」
「イゼキエル? 何かあった?」
 
 少女が十八を迎える直前、元老会では第一皇女の輿入れの大詰めを迎えているところだった。今日の話を聞く限り、十八になった瞬間にも少女は隣国へと引き渡されるだろう。そんな今日も、変わらずルビー宮を訪ねて、日差しだけが満足に差し込む質素な庭で一緒に本を読み、感想や考えを言い合う。
 
「姫様、僕とここから出ていくなんてどうでしょう」
「どうしたの、突然」
「突然ではないのです。僕はずっと……」
 
 少女に幸せな思い出を感じてほしいと思った日から胸に秘めた想いは、同時期にルビー宮の庭に植えた花の苗と共に、いやそれ以上に日々育まれていった。
 
「あなたはジェニットの婚約者でしょ? ジェニットを置いてどこへ行くというの?」
 
 僕の提案に微笑みながら答える姫様は、本気さが伝わっていないのか、はたまた知らないフリをしようとしているのか、その真意は分からなかった。
 
「私はお父様の決めた命に従うのみ」
「従う必要がどこにあるんですか」
「いつも何かをする度に思うの。これをやり遂げればお父様は私を認めてくれるかしら、って」
「姫様……」
「最後の希望をいつまでも捨てきれない娘なの」
「(こんなにも健気な娘のことなど眼中にないのが皇帝だと言うのに……)」
 
 出会った頃から変わらずに唯一の親の愛を求め続ける姫様の言葉に唇をグッと噛みしめる。
 
「……父上に愛されることだけが人生ではありません」
「でも私は、幼い頃からそれが欲しくて欲しくてしょうがなかった」
「僕があなたを……」
 
 何も親から与えられるだけが愛情ではない。血の繋がりなどなくとも愛してくれる人間はいるし、血の繋がりを自ら生み出すことだってできる。しかし、それ以上先の言葉を告げることは許さないと言わんばかりに宝石眼を強く輝かせた彼女から、強い意志は変わることはないのだと言われた気がした。
 
「ジェニットを、姉を、よろしくお願いします。イゼキエル、もし……」
 
「え……?」
 
 姫様から告げられた言葉に返事をすることができないまま、勢いよく駆け寄ってきたエメラルド宮のメイドに名を呼ばれる。
 
「アルフィアス公子! ジェニット様が! ジェニット様が! 誤って毒を含まれて…!」
 
 そこから先のことはよく覚えていない。姫様と共にジェニットに駆け寄ると、この世のものとは思えない皇帝が暴走をはじめて、意識の戻らないジェニットを置いてトントン拍子に日々は過ぎ去っていった。
 
 第一皇女が毒を盛ったと証言したロザリア伯爵夫人により、少女は地下牢へ閉じ込められることになった。そして僕もまた、第一皇女との密会を指摘され、共犯者として地下牢へと閉じ込められることになる。きっとアルフィアスに恨みを持った人間の証言であろうが、僕が少女に抱く気持ちは偽りなく、第二皇女の婚約者である立場として決して許されるものではなかった。毒殺の意志が無いことと無罪は主張したが、ジェニットを裏切った結末としては相応しいものだと受け入れることにした。
 
 少女の安否だけが気掛かりではあったが、国の姫である少女をいつまでも劣悪な環境下に置いておくこともないだろうと、僕は高を括っていた。
 
 地下牢に閉じ込められ数日が経った頃、突然目に涙を浮かべる婚約者と父によって僕は外へ出されることになる。
 
「イゼキエル、よかった。こんなことになってしまって……私とても不安で……イゼキエルの不義が急に噂されるようになって……」
「ジェニット……僕は……」
「まさかアタナシアが死んでしまうなんて」
 
 泣きじゃくるジェニットの話をどこか他人事のように聞いていた。ジェニットが毒に倒れたことで怒り狂った皇帝によって、ロザリア伯爵夫人の証言のみで少女の処刑が決められ、あっという間に刑は執行されたのだという。
 
 少しずつ事態を理解し始める脳でまず思ったことは、なぜ自分はこの場所に留まっているのかという疑問だった。
 
「どうして、僕は生きているんだろう」
「イゼキエルは何も悪いことをしていないじゃない。それはアタナシアだって同じ……」
 
 僕は過ちを犯した。しかし、少女は一つも悪いことはしていないのだ。処刑される理由も、生まれてから長きに渡り虐げられる理由も、何もなかった。
 
「ジェニット、皇帝陛下は今、何をしておられる?」
 
 最愛の想い人を失ったというのに、自分でも驚くくらい冷静な声だった。
 
「お父様は最近体調が優れなくて、今も部屋でお休みになられてるけど」
「そうか」
 
 このまま少女の敵討ちができたらどんなに良かっただろう。それでも確実に、復讐する方法を。
 
 少女が僕へ最期に託したことを成し遂げなければならない。“魔法使いルーカスへ”、少女の最期の願いを。
 
「ジェニット、大丈夫だよ。君は何も悪くない」
 
 この結末を招いたのは、ジェニットではない。幼い頃そうしたように、涙がとまるまで彼女の背中を撫で続けた。
 
 
 
+++
 
 
 
 数日も経たない内に、オベリアは炎の波に飲まれた。少女の願い、それは多分僕だけが知っている。この炎に包まれたオベリアこそが、少女の願いそのものだろう。それを叶えられるのは、確かに僕ではない。
 
 部屋の周りも既に火に包まれている。赤にも青にも大きくなる炎は己の怒り、憎しみを体現しているように思えて、身動きの取れない身体で存分に煙を吸い込みながらも、不思議と満たされた気分だった。
 
「姫様」
 
 なぜ一人で先に逝かせてしまったのか。それだけを考えては悔やむ日々だった。だから、早く少女の元へ行かせてほしい。
 
『イゼキエル、もし……来世というものがあるのなら、またあなたと出逢いたいと心から思うの。傍に居てくれて、ありがとう』
 
 最期の会話。美しい、儚い、守りたい、一緒に生きたい、傍に居たい。生まれて初めて知る感情を僕に与えてくれて、ありがとう。そう感謝の気持ちと、愛を伝えたかった。少女が生きている間に。
 
「やっと……あなたのお傍に」
 
 父上と母上から愛情いっぱいに育てられ、ジェニットと仲睦まじく過ごす日々が走馬灯のように思い起こされる。
 
 そして、自分の元へ天使が天から舞い降りるワンシーン。それは僕の知らない、少女の幼い姿だった。僕は天使を落として傷付けないように幼い身体で必死に抱きとめる。
 
 次に見たのは記憶よりまだ幼い少女が皇帝とダンスを踊る幸せそうな姿だった。それは少女が想い続けた夢だ。ダンスホールにいる全員がその美しい親子に目を奪われる。僕もその一人だ。
 
『アタナシア姫様、こうして正式にご挨拶するのは初めてですね』
 
 姫に相応しいドレスを身に纏う凛々しく美しい姿に、僕は堂々と挨拶をするんだ。
 
「あぁ、姫様によくお似合いな光景だな」
 
 温かい体温と炎とに身体が包まれた。最期の瞬間まで少女を想う。少女がこの幸せを手に入れる世界があることを願わずにはいられない。そして、その時願わくば少女の傍にいるのは自分でありたい。
 
 僕の元に再び天使が舞い落ちるその時まで、この気持ちに別れを告げた。
 
 
 
+++

 

SpecialThanks:erinkoさん(@erinko532)のかわいらしいお姫様イゼアタ絵の使用を快諾いただきました~~~PIXIVの表紙にもさせてもらってます♡♡♡素敵な絵をありがとうございます…!!!

元々の小説はコチラです。単品ものとしての作品をシリーズものに改編しました。

Chapter1. あの時、告げられなかった言葉を(side.Lucas)

「イテッ」

「えっ、ごめんなさい! 人がいるとは思わなくて!」
 
 目覚めると、直系皇族の証である宝石眼を持った可愛らしい少女に見下されていた。髪を踏んでいた足を急いでどけた少女はオロオロと慌てている。記憶に無いその少女はいつの間に生まれた子なんだろうと思い、まだ夢見心地な思考ではあったが、目を凝らして少女を観察した。
 
 ウェーブのかかったシルバーブロンドの髪は毛と毛が絡まり合っているし、ドレスは所々解れて、転んだのか土のようなものまでこびりついている。見すぼらしい身なりは皇族とは言い難いものだった。
 
「お前、皇族か? 父親は誰だ? カイルムか?」
「……違います」
「ん? 寝すぎたか。アエテルニタスか?」
「違います」
 
 いくら記憶を辿っても正解へとたどり着けないことに少し苛立って声を荒げる。
 
「ハァ? じゃあ誰なんだよ」
「……クロード」
「は? 聞こえねーよ」
「クロード・デイ・エルジェア・オベリア」
 
 全く聞き覚えの無い名だった。しかも易姓革命でも起こったかのような、皇族に相応しくない名だ。思わず鼻で笑ってしまう。
 
「お前のお父サマ、弱そうだな」
「そんなことない……!」
 
 どうやら眠りすぎていたようで、まだ完全には頭が覚醒していない。勢いよく発せられた高い声がキーンと頭に響く。
 
「ったく、何だよ急に」
「お父様は強くて、格好良くって」
「あーハイハイ」
 
 これ以上関わるのは面倒くさいと思った。手入れされていない髪や服を見る限り、この娘の父親へ対する思いは一方通行なんだろう。全く関心が無いことが伝わってくる。そして少女には魔力はあるようだが、残念なことに使い方の一つも教わっていないこともよく分かった。
 
 何の気まぐれか、これでさよならだからだと少女の全身に指を向け、皇族に相応しい身なりへと整える。これでも一応俺は、皇室所属の魔法使いなのだ。
 
「えっ、何これ! すごい!」
 
 少女はまるで魔法を初めて見たとでも言うようにその場でクルクルと周りドレスを靡かせた。先程まで何も映していないような濁った瞳が、本来の美しさを取り戻すように明るく色付いていく。
 
「お兄さん、魔法使いなんですか?」
「そうだよ。俺の力さえあればこの国一つ吹き飛ばせるんだから」
「……え?」
「じゃあな」
 
 別れを告げると少女は少し待ってほしいと俺を引き留め、魔法について幾つかの質問を投げかけられた。適当に答えつつ少女と話をしていき、自分は数百年もの間、なぜか眠りについていたことがわかり、宮廷魔法使いを訊ねても説明が面倒くさいことになると悩んだ。しかも魔力が眠る前よりも弱くなっている。今の皇城の状況がわからないまま行動するのは得策ではない。
 
 そして、少女が戻った方向とは反対側にある宮殿のほうからは、とてつもなく大きな魔力が発されているのを感じ取った。歴代皇帝よりも大きい、ただし闇の魔力も混じっている、そんな力だった。
 
「(———今の皇帝は気になるけど、魔力を失っている今一番関わったらいけない人間だな)」
 
 少女の宮殿は代々皇帝の妾が住む場所———劣化したルビー宮だった。歴代の姫の住まいはこれまでエメラルド宮ではなかったかと疑問を抱くが、あの少女には姫と呼んでも良いのか怪しいくらいに不審な点が多すぎた。
 
『素敵な魔法……!』
 
 突然思い起こされた少女の笑顔が頭にこびりつく。
 
「(まあ、アイツがここの事情をペラペラ話してくれそうだしな)」
 
 俺は少女の微かな魔力を頼りにルビー宮へと足を運ぶことにした。
 
 
 
+++
 
 
 
「魔法使いさん、私の部屋にいることがバレたら何をされるか……」
 
 そう言いながらもこの少女は毎回質素な菓子を用意しもてなしてくる。内心は俺の訪問が嬉しいのだろう。
 
「平気だろ。どうせお前のこと見張ってるやつも、この城から出ていかないか見てるくらいだし」
 
 それより、と口に出すと目の前にはまた瞳を濁らせて俯く少女の顔。その顔を見るとどういう訳か胸のむかつきが芽生えるので、落ち着かせるために大きく深呼吸する。
 
「(心底面倒くさい)」
 
 しかし、心情とは裏腹に、姫としての待遇を受けられない少女に同情しているのか、怒りの感情に任せて殺してしまおうという気持ちも不思議と芽生えない。
 
「お前、この城から出たことってあるのか?」
 
 すると少女と視線が混じり合い、瞳には僅かな光が宿ったのを見逃さなかった。少女は首をフルフルと横へ振った。
 
「海、はとても広い塩水」
「そうそう」
「本でしか読んだことがなくって」
 
 悲しげに再び俯いた少女の仕草に堪えきれず、頭を掻きむしり、気が付けば少女を連れて瞬間移動をしていた。
 
「きゃあああああ!」
「チッ、耳元でうるせーな」
「だって! だって……!」
 
 瞬間移動に驚き、目の前には視界一面に青く広がる海が現れて驚き、情報処理が追い付いていないのだと少女は言った。自分にとってどうでもいいようなことに、ここまで感動されるのは新鮮で、どこかむず痒い気もする。
 
 一人で波の来るギリギリの場所ではしゃぎ回る少女を一歩引いたところで眺める。すると、太いヒールが濡れた砂浜に突き刺さりバランスを崩した。
 
「うわっ」
 
 その姿を見た俺は無意識に身体が動いていて、後ろへと転びそうになった少女の腰を支え、腕を掴み体勢を元へ戻した。少女が塩水に溺れても、砂で汚れても、魔法でそんなものは元通りになるし、そもそも助けてやる義理なんかないのに。
 
「魔法使いさん、ありが……」
「?」
 
 急に顔を真っ赤にした少女は顔を隠すように背を向けた。なぜ顔を逸らされたのかはわからなかったが、掴んだままの手首の心拍数が高い。
 
 どこまでも続く海をただ見つめる整った横顔を、少女から声を掛けられるまで見つめていた。
 
 
 
+++
 
 
 
 何の気まぐれか、毎回瞳から伝わる感動を見るのに快感を覚えたのか、海へ行って以降も少女を外へと連れ出した。
 
 次第に、この少女は何のためにこの城へいるのかが疑問となってくる。後から皇宮へとやってきた次女を可愛がる皇帝と、愛されていない長女に見切りを付けて好き放題に過ごす侍女たち。少女がこの場所にいたところで、今だけでなくこの先の未来、何の利点も得られないだろう。
 
「城の外はお気に召したかお姫サマ?」
「はい! 文章で読むのとは全然違って、毎回感動します」
 
 特に一番初めに見た海は、と饒舌に話す少女にフッと笑みが溢れた。
 
「お前、このまま外で暮せば?」
「……え?」
「ここにいるよりずっと合ってるよ」
 
 戸惑いを見せる少女に、何が不安なんだと詰め寄るとボソボソと言葉を紡ぎ始める。
 
「ここには家族がいるから」
「家族?」
「お父様と、妹のジェニットがいるから。ここから出ていってしまえば家族の縁は二度と結ばれない気がして」
 
 正直何を言っているのか、理解ができなかった。自分のことを娘だと思っていない父親と一緒にいてどうする、妹に与えられ続ける愛情を隣で羨ましそうに見続けるのか、と。
 
「決して名前で呼ばれなくても、お父様に娘と思って欲しくて、それだけを願って今日まで生きてきたから」
「……」
 
 こんなにも拗らせた面倒くさい人間は構わず放っておくに限る。これ以上関わるな、と警告が鳴る。なのに———。
 
「お前、名は」
「え……アタナシア、です」
「フッ」
 
 皇帝とは違い、直系皇族に相応しい名だった。皇位継承者であると主張するような、力強い名だ。
 
「アタナシア」
 
 目を見てはっきりと名を口に出すと、今までどんな嫌がらせをされても見せなかった涙が両目から零れ落ちた。
 
「は? なんで泣くの?」
「嬉しくて」
「ハァ? 嬉しくて泣くって何だよ」
「名前を呼んでくれる人も、今はもう誰もいないから」
 
 目を赤くしながら微笑む少女に近づき、涙を拭った。されるがままに目を閉じた少女は、この城から出ないという確固たる意思を持ち合わせている。弱いくせに憎たらしいという思いと、この少女を守りたいという衝動に駆られた。思わず少女を抱き寄せて腕の中に閉じ込める。
 
「名前くらい俺が呼んでやる」
「……ありがとう、魔法使いさん」
「ルーカスだ」
「ルーカス、ありがとう」
 
「(お前がここから出て行かないのであれば、お前がここで不自由なく暮らせるように)」
 
 皇帝の気配がする方向へと殺気を込める。あれだけの魔力の持ち主だ、何か感じるに違いない。
 
「(俺が以前の力を取り戻せれば、あんな奴一瞬で消せる。けど今は)」
 
 原因不明で失われた魔力を取り戻すための方策を模索し続けていると、苦しいと胸を叩く少女がいたことをすっかり忘れていた。顔を赤くして睨みつける姿は少女が初めて見せるものだった。もっと良く見たいと思い、両頬を手で固定して顔を近づけた。
 
 
 
+++
 
 
 
「世界樹の実?」
「そう、その実を食べれば魔力が復活する」
「そうなんだ……」
「ん? 俺が強くなるの嬉しくないの?」
「嬉しくないわけじゃないけど」
 
 もう、時間が無かった。腹に開けられた穴の修復には時間が掛かり、まだ意識が朦朧としている。
 
『何を企んでいるのか知らんが、あの女に近付くな。次は無いと思え』
 
 ルビー宮へ向かう途中、宝石眼を持った男からの襲撃に遭った。無関心、とはまた違う、憎悪の感情が男からは溢れ出ていた。家族との繋がりが欲しいと男のために泣いた少女を思い、歯を食いしばる。己のこの無力さが悔しい、眠る前であれば目を瞑ってでも殺せるであろう人間相手にこのザマだ。
 
 世界樹を探しに行くことはすぐに思い付いたが、実行するまでに一年以上の時間を要してしまった。長旅になることから、どうしても少女に害を与える存在は、少女の周りから排除しておきたかったということと、単純に少女と離れ難かったということが理由だ。残虐な皇帝のいる皇宮へ残して行くことだけが心残りであったが、このままの自分では父親から少女を守ってやることができないと思い知らされ、つい先ほど決心をした。
 
「寂しいなって。ルーカスがいない間、私は何をして過ごそう」
「寂しい?」
「うん」
 
 自分の存在が居なくなり「困る」と言われたことはあっても「寂しい」と言われたのは初めてだった。確かに、毎日のようにこの宮殿へと通い、外へ連れ出していたのだ。また一人きりの生活は少女にとって寂しいのかもしれない。
 
「瞬間移動くらい教えてやればよかったな」
「瞬間移動? 私が?」
「驚くことかよ? あのお父サマの娘なんだぜ? お前の魔力も相当強いんだ」
「私も魔法が使えるんだ……ねえ! 帰ってきたら、魔法の使い方を教えてくれる?」
 
 少女が自分の両手を見つめながら目を輝かせる姿に笑みが溢れる。もうすぐ十七歳とは言え、美しい容姿とは別に子供っぽい内面を残す。その一つ一つが愛おしい。
 
「ああ。俺の授業料は高いぞ。なんたって俺はオベリアを吹き飛ばすくらいの」
「大魔法使い様なんでしょ。何度も聞いた」
 
 先程まで悲しんでいた姿が嘘のように目を輝かせている。世界樹の実を探す旅は何ヶ月、下手したら何年掛かるか分からない。人間の時の流れは自分が思っているよりずっと早い。果たして戻ってきた時に、少女と今の関係のままで有り続けられるのだろうか。そんな一抹の不安が胸を過る。
 
「なあ」
「うん?」
「俺が魔力取り戻して帰ってきたらさ」
「うん」
 
「(俺がお前の家族になってやるから)」
 
 そう口を開きかけて思い留まる。父親からの愛を求め続けた少女の欲するものは、未だに理解しきれなかったから。
 
「……」
「ルーカス。戻ってくるのをずっとここで待ってるから」
「……」
「いってらっしゃい」
 
 寂しそうに微笑んで見えたのは思い違いではないだろう。少女が自分をどんな風に思ってくれているかは分からなかった。孤独から連れ出した魔法使い、そう思っているかもしれない。
 
「あれ」
 
 少女の震えた声が聞こえた後、少女の目からはポロポロと止めどなく涙が零れ落ちていた。
 
「ルーカスには早く魔力を取り戻してほしいのに、なんで涙が止まらないんだろう」
 
 別れを名残惜しく感じて引き寄せる。糸の解れ一つないドレスに満足して、毎日自分で梳かすようになった綺麗な髪に手を入れた。髪の匂いを吸い込むように息をして、この少女の場所へ必ず戻ってくるんだと自分自身に言い聞かせる。
 
「必ず帰るから」
「ま、まってる」
 

 鼻を啜る音と震えた声に、身体とは別の場所に保管されているはずの心が揺さぶられた気がした。早く、少女を守るためにこの場所を去らないといけない。この場を離れる決心が崩れる前に、少女を眠りの魔法で包み込む。華奢な身体を壊さないように丁寧に抱え上げ、寝台へ向かった。

 
「元気でな」
 
 微かに触れる程度の口付けを額へ残し、世界樹へと向かう一歩を踏み出した。
 
 脳裏にはいつでも魔法にかかったように表情をコロコロ変える、可愛らしい少女が思い起こされるのだった。
 
 
 
+++
 
 
 
『アタナシア姫様が処刑された』
 
 差出人不明の魔法がかけられた手紙に、少女への誕生日プレゼントを選ぶ手が止まる。一体この手紙が俺の元へ届くまでにどれだけの時間を要したのだろう。すぐに少女のいる皇宮へと戻ると、元々静寂な宮殿は、主を無くしたせいか、何の音も聞こえなかった。
 
『陛下はもうずっとお姿を見せないわね』
『死んだアタナシア姫の呪いだとか』
『しかもジェニット姫は先帝の娘だと言うじゃない』
『最近先帝らしき人が現れたのは本当なのかしら』
 
 ルビー宮の外から聞こえてくる家臣たちの会話に、頭が真っ白になった。塔に置いてきたはずの心臓が誰かに握りつぶされるように苦しい。
 
「(あんなにも純粋な少女を、処刑だと?)」
 
 聞くところによると、次女の飲み物に毒が入れられ、その犯人だと疑われた少女が皇帝によって処刑されたらしい。
 
「何だよ、それ」
 
 皇帝を少女がこれまで味わった以上の苦しみを与えて殺したい。ルビー宮の外へ足を踏み出すと、城内は闇———黒魔法一帯で覆われていた。
 
「ルーカス様」
 
 聞いたことも無い声が背後から聞こえてきた。
 
「誰だ貴様は」
 
 振り返ると一度だけ会った憎き皇帝にそっくりの顔。だが纏った魔力の種類が別物だった。これが、家臣たちが噂をしていた先帝なのかと思ったその時、微かに感じる慣れ親しんだ魔力に眉をひそめる。
 
「なぜ俺の魔力を持っている?」
「さすがはルーカス様。弱い人間なのでね私は、貴方のお力お借りしました」
 
 先帝が纏う自分自身の魔力とは更に別の力まで入り込んでいるようだった。そして、この気配にも記憶があった。多分、これは。
 
「アエテルニタスか?」
「御名答」
 「何の用だ」

「まさかあなたがか弱い少女にご執心とは意外でした。ですが、あなたの憎むべき相手には、私が代わりに呪いをプレゼントしましたよ」

 唇を噛みしめる。黒魔法に包まれた皇宮も、目の前の男がなぜ数百年経った今も生きているのかも、少女の処刑と直接関係したのかも、全てがわからないし、どうでもよかった。
 
「こんな弱い奴らのために、あいつは———」
 
 世界樹で取り戻した魔力を放出させる。先帝は慌てて目の前から消えたが、絶対に逃しはしない。
 
 でもまずは、とガーネット宮へと足を向ける。呪いで苦しむという皇帝に、この場所を去るとき与えられた傷以上の地獄を味あわせてやらねば。
 
 
 
+++ 

 

 
 ———皇帝への復讐を終えても、心が晴れることは無かった。
 
「こんな世界、残っていても何の意味もない」
 
 少女に想いを告げることのないまま、旅立ってしまったことを後悔してももう遅い。人間は死んでしまったらそれで終わりなのだから。もう、どんなに願ったところで二度と会うことは叶わないのだ。
 
 少女のいないこの世界に未練など何も無かった。オベリア一面が焼け野原になるように、何もかもを消し飛ばしてやる———。
 
 まだ各地で火の残る平野で、すべての力を使い切った俺はその場に崩れ落ちた。それでも何故か微かに残る少女の魔力に引き寄せられて、最期の力を振り絞り焼け野原を歩く。
 
「なあ、見てるか? 大魔法使いってホントだったろ?」
 
 温かい。なぜ焼け野原になっても少女の魔力を感じることができるのか、この位置は果たしてどこなのか、何一つ分からないけれど、その場に横たわると少女を胸に抱きしめた時と同じ感覚に陥る。
 
『おかえり、ルーカス』
 
 優しい声の元で目を閉じる。後悔が無いわけではない。少女の傍で、少女が幸せになっていく姿を見続けていたかった。そして幸せにしていくのは自分でありたかった。そんな結末があったっていいのではないだろうか。
 
 願いは魔法に。こうして俺は呻き声が地面から響き渡るその場所で、再び深い深い眠りについたのであった。
 

 

 

 

+++

 

SpecialThanks:じゃこさん(@jaco_jaco_jaco)から挿絵許可をご快諾いただきました~~~♡♡♡こんな暗い話ですが素敵な絵を使わせていただきありがとうございます;;

元々の小説はコチラです。単品ものとしての作品をシリーズものに改編しました。

 

Prologue. もうひとりのお姫様

 オベリア帝国には二人の姫がいた。一人は美しい外見と天使のように優しい心を持ち、全大陸の人間から愛される姫だった。それは血も涙もない皇帝である父親の心をも溶かし、父親からの愛を一身に受けることとなる。

 もう一人は彼女とは対照的だった。幼少期から父親の愛情を受けることなく、姫としての待遇を受けることもなく成長した姫は、常に暗い雰囲気を身に纏い、人々の嘲笑の的となる。

 愛情に飢えた姫の名はアタナシア。彼女は十八歳の誕生日に実の父親の手によってこの世を去ることになる。父親が寵愛するもう一人の姫を毒殺した罪を着せられたことが理由だった。そして、彼女がこの世を去ってすぐ、後を追うように父親が死んだ。皇帝を失ったオベリア帝国は崩壊の道へと突き進み、いまも帝国中を火の海が飲み込もうとしている。

 無実の罪で処刑されたアタナシア姫の呪いだと囁かれる混乱の最中、優しい光が帝国中を包み込むように覆う。燃える建物の中で、死を覚悟していた少女はふと考えた。

 ”本当にアタナシア姫は誰からも愛されなかったのだろうか?”と。

 ある魔法使いは、突然訪れた別れを前に告げることができなかった。”俺がお前の家族になってやるから”という言葉を。

 ある公爵家の公子は、最期まで告げることができなかった。”僕があなたを愛したいです”という言葉を。

 ある皇帝の騎士は、守り抜くことができなかった。”私が姫様を命に代えてもお守りいたします”という約束を。

 アタナシア姫が愛されていたかどうかを知る者はこの世界に誰もいなかった。それでも、”姫も愛に触れる機会が幾度となくあっただろう、この優しい光は姫による帝国への愛である”、そう考えて少女は天に向かい祈りを捧げながら目を閉じた。

 しかし、誰も知らない。

 実の父親はアタナシア姫にはっきりと告げた。”お前のことを娘と思ったことは一度もない”という拒絶の言葉を。その言葉を聞いた姫がどれほどの絶望に陥ったかを。

 これはオベリア帝国が崩壊へ向かうまでの四人の男と悲運の姫による、もうひとつの物語である。

 

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