Chapter4. 愛と苦しみの狭間で藻掻く

「お前も俺を裏切るんだな、フィリックス」
「裏切っていませんよ、十八年前の約束に誓って」
 
 そう最期に告げ、哀しそうに笑って涙を流した血みどろのフィリックスの胸に耳を当てると、貫かれたその場所からは既に何の音もしなかった。徐々に温もりを失っていく身体を、夜が明けるまで抱えていた。
 

「裏切っていない?」

 裏切ったじゃないか、主である俺に剣を向けて。腕の中で息絶えた騎士はこれから先もずっと俺の隣にあり続けるはずの人間だった。孤独な幼少期から傍にいて、兄を闇へ葬り去った後も唯一変わらず傍に在り続けた。

 
 いつからだろう、限りなく近い場所にいたはずのフィリックスと距離ができてしまったのは。死ぬ間際に言った“十八年前”という言葉がやけに引っ掛かるのは、そのくらいの時期から意見の食い違いが重なっていった気がしたからかもしれない。
 
 それでもこの騎士の無礼な振る舞いを許してきたのは、唯一信頼できる騎士であったからで、フィリックスの代わりはこの世に誰もいないという理由からだった。
 
 そんな騎士が、俺の娘を名乗る怪しい少女に肩入れするようになり、俺に対する不満を募らせていったことは非常に不愉快だった。これは俺の騎士だった。あんな得体のしれない小娘の騎士になぜなろうとするのか、俺への忠誠心は一体どこへ消えてしまったのか。
 
 俺はこの騎士をずっと昔から傍に求めていた。けれど、この男は自分以外の騎士だった。その事実が分かった途端、他の人間の物になるくらいなら、と勢いに任せて攻撃した衝動を後悔しても、もう遅い。
 
 抱えた身体の温度が、フィリックスはもうこの世にはいないことを告げていた。
 こうなったのも全て、騎士を惑わせたあの少女のせいだ。
 
 
 
『一生、俺の視界へ入らないと誓うなら、処刑を考え直してやってもいい』
 
 数日前、娘を名乗る少女を地下牢へ閉じ込めてから、誰も居ない時間を見計らって、少女の元へと足を運んだ。暗闇の中で床へ座り込んでいた少女を見下ろすと、俺に気づいた少女がゆっくりと顔を上げて視線が交差した。
 
 そして、頭痛が一つ。
 
 痛みに耐えながらも、少女の罪の減刑を提示した。貴族らやジェニットが必死にこの少女の処刑を考え直すよう、擁護する意見をしてきたからだ。
 
 そして俺自身も考えた。この少女と関わりさえしなければ、視界へ入れるだけで襲う頭痛も、俺から騎士を奪おうとすることに対する敵意も、何も生まれないのだから、と。だから今日、ルビー宮への永久な幽閉を命じ、命までは奪わないことを告げに来た。
 
 しかし、少女は命乞いをすることなく、何がおかしいのかむしろ笑ってみせた。
 
『一度決めたことを取り消すと、皇室の威厳に関わるのでは?』
 
 その顔は非常に挑発的で、数日後に処刑を控えている人間とは思えないほどに肝が座っていた。
 
『そうか。自ら処刑を自ら望むか』
『はい。だから、今回関係のないアルフィアス公子は釈放してください』
『それは許さん。ジェニットの婚約者でありながらお前と逢瀬を重ねていた。お前と同罪だ』
 
 俺の回答を聞いた少女は黙り込み、何かを考える素振りを見せてから口を開いた。
 
『……刑の順番は? 私からにしてくれますか?』
 
 ただただ不気味だった。死を恐れずに、死と向き合う十八にも満たない少女がこの世のものとは思えず、鳥肌が立つ。皇帝に君臨した己に、怖いものなんてこの世には存在しないというのに。
 
 その場に長居することは止めようと見切りを付けて背を向けると、消え入りそうなほど小さな声が耳を掠めた。
 
『さようなら、私のお父様』
『……』
 
 記憶にない娘。けれど例え実の娘でなくとも少女が懇願さえすれば処刑を取り下げることを考えた。なのに、少女が容易く処刑を受け入れたせいで、フィリックスに刃を向けられる結果となってしまう。
 
『私がずっとお傍におりますから』
 
 兄を殺した時に、寄り添うように声を掛けてくれた騎士、いや幼馴染の眩しい笑顔を今でも鮮明に思い出すことができる。けれどその幼馴染は、もうこの世にはいない。できない約束など初めからするなと、前にも誰かに告げた気がする。また、裏切られた。
 
 いつの間にか夜が明けた。髪の色に全身を染めた息のない騎士をベッドに横たわらせた。血の混じる髪は、元々柔らかいはずだったのに指が通りにくい。
 
「そんなに死にたいのなら、望み通り殺してやる」
 
 もう二度と見ることはないであろう男の顔を目に焼き付けて、別の部下を呼び出した。
 
「刑の執行を急ぐよう命じろ」
 
 
 
+++
 
 
 
 少女の首に縄が掛けられたことを見届けてから、大きな頭痛に襲われるようになった。その後控えていた刑たちが予定通り執行されたのかは知らない。その日、倒れてからというものの、自室の寝台から起き上がれないほどの頭痛に悩まされる日々が続いた。
 
 頭痛の原因と思われた少女の刑は執行したというのに。これまで安らぎを与えてくれたジェニットを傍に呼んではみたが、頭痛や息苦しさが解消されることは一向になかった。
 
 これはもう”少女の呪い”と言っても過言ではない。死んでも尚、忌々しいその存在を主張してくるとは思わなかった。それほどまでに、あの少女の存在は悩ましいものだった。
 
 夜空の下で皇族の証である宝石眼を持つ少女の存在を初めて視界に入れた瞬間、かつてないほどの激しい頭痛に襲われた。それから騎士や元老会の人間がその少女は俺の娘であると主張したが、少女の話をするだけで初めて見た姿が思い起こされ頭痛がした。
 
 その後パーティーで姿を見かけた時も、俺の目の前に立ちはだかった時も、そして最期の時も。顔を見るだけで胸に溜まる不快な何かと、頭がかち割れるほどの頭痛が起こるのだ。
 
 これが禁忌の術でなくて何だというのか。一つ思うことは、少女自身が悪いわけではなく、少女を媒介として誰かが俺に対して術を掛けている可能性が高いということだった。
 
 一人、怪しい魔法使いがいた。もう一人、ジェニットの婚約者を名乗りながらも俺に憎悪を滲ませてくる青年もいた。今となってはもう誰が犯人かも分からないし、こうして今起き上がれないほどに頭痛で悩まされているわけだから、その術師の技は成功したと言えるだろう。
 
 
 
 
 死期が近いのか、走馬灯のようにこれまでの人生がスローモーションのように脳裏に再生されていく。思い起こせば、苦しみしかない人生だった。
 
 父の正妻からは日々暴力を振られ、上面の良い兄に騙され、挙句の果てには自分は味方だと寄り添う婚約者にまで裏切られた。もう誰も信じない、そう心に誓ったのは記憶に新しい。
 
 そんな裏切りの日々に現れた唯一の救いがジェニットだった。己の血を引いていないことは年齢を聞かずともすぐに分かった。それでも物怖じしない性格に惹かれ、家族の愛を求める姿が幼少期の自分と重なった。
 
 彼女と接していく内に、初めての感情が芽生えた。血の繋がりが何だと言うのだろう、という概念だ。血が繋がっていたって裏切る者は裏切るし、血の繋がりが濃いからこそ争うことだってある。だから血が繋がらなくとも、娘のように愛し、慈しむことができるだろうと。
 
 ジェニットのことを考えれば、温かい気持ちを教えてくれた彼女と出会い、僅かな時間を共に過ごすことができたこの人生は、全く不幸と言うわけでもなかったのかもしれない。
 
 徐々に奪われていく体力に、どうしようもないことを考え続け、そんな自分自身が情けなくて笑いが込み上げてくる。そして遂に意識を手放しかけたその時、微かに人の気配を感じて死にかけの身体が強張った。
 
「なんだ、もう死にかけじゃん」
 
 突然聞こえてきた声に重い瞼を上げると、そこにはかつて少女に付き纏っていた魔法使いがいた。挑発するようなルビー宮から発出する魔力に気付かないわけも無く、一度牽制のために攻撃を仕掛けた魔法使いだった。やはり、少女を媒介にして術を掛けていたのはコイツだったのだろうか。あの時なぜ仕留めなかったのか、自分の行動を悔いてももう遅い。
 
「俺がトドメを刺したいのは山々だけどさ、皇族を殺すのは重罪だから」
「な……にを」
 
 以前対峙した時とは異なる、桁違いの魔力に圧倒されているのか、声が押しつぶされて出てこない。
 
「死ぬ前に、もっと苦しませてやるよ」
 
 顔を歪ませて口角を上げた魔法使いの指先からは黒い光が発出されて、思わず目を閉じる。激しい痛みが頭全体を襲った後、何かが解放されるような感覚が続き頭痛が和らいでいった。
 
 
 
 
「陛下、陛下」
 
 身体を揺さぶられている。痛みから解放された頭で、馴れ馴れしく自分を呼ぶ高い声を認識し、目を開いた。
 
「陛下、目を開けてください」
 
 先程までと変わらない寝台に横たわりながらも、目の前には数日前に処刑した少女と瓜二つの女が笑っていた。そう、彼女の名は―――。
 
「ダイアナ」
 
 この女を知っている。城下町で偶然にも出会った踊り子に目を奪われて、自由に舞う翼を奪うように皇宮へ連れて閉じ込めた。
 
 俺に向けられた好意を疑って、どうせまた裏切るだろうと心を閉ざしながらも、彼女を求めることが止められない。自分だけの物にしたいという独占欲と、一々感情を揺さぶるなと突き放したくなる気持ちとで葛藤を重ねるも、彼女から与えられる一心の愛に何時しか折れるしかなくなった。
 
 忘れることなんてできるはずのない、ダイアナと過ごした幸せな日々が目の前に広がる。
「ひどくうなされていましたよ」
「ああ、嫌な夢を見た」
 
 隣で横になる愛しい女に縋りつくように腰へ腕を回す。距離を縮めると甘い香りが鼻を掠め、首元に顔を埋めて深呼吸をした。
 
「子守唄を歌いましょうか?」
「あのくだらん歌か?」
「♪〜お月様が笑ってる 今日はバイバイ」
 
 くだらないと言いながらも、どこか懐かしい気持ちにさせる子守唄に耳を傾ける。幼少期、病弱な母親が眠るまで傍にいてくれた記憶などないはずなのに、母の温もりを思い出すから不思議だ。再び微睡むように目を閉じると、髪を指で優しく梳かされていく。
 
「もうすぐ父親になるんですから、しっかりしてくださいね」
「そうか、そうだったな。フィリックスが、俺の子の護衛するとうるさく歩き回っていた」
「まぁ、ロベイン卿は頼もしいですね」
 
 顔を彼女の腹の方へと寄せると、目立つようになってきたその場所からは微かに動く音が聞こえた気がした。自分の血を引く子が彼女の身体の中へいることに幸せを感じて、なぜか涙が出そうになった。
 
「陛下、大事な話があります」
 
 穏やかな時間に突然差し込まれる真剣な声に、なぜかこの話は聞いてはいけないと本能が告げた。息苦しくなりながら、更に彼女のお腹に顔を埋めて聞こえないフリをする。そんな俺を知っていてか、俺の返事を待たずに彼女は話を続けた。
 
「私、陛下と一緒にいられないかもしれません」
「……何を戯けたことを」
 
 ずっと目を背けていたことだった。妊娠してから日に日に青白くなっていく顔に、何度宮廷医に診療させたかは分からない。結果を見いだせない宮廷医は見せしめとばかりに牢獄へ閉じ込めたが、解決策を持ち出した者は誰一人として現れなかった。
 
「私の身体が出産に耐えられそうにないって言われました」
「……使えん医師だな。別の医師に……」
「そう言って何度も変えてもらったじゃないですか」
 
 急変した重い空気に耐えきれず、身体を起こして寝台から降りる。カッと頭へ上った血に、このままでは母体を傷付けかねないと距離を取った。
 
 この憤りの矛先が分からない。あれほどまでに待ち望んだ彼女との子供だった。これからずっと二人で子の成長を楽しむはずだったのだ。その夢が奪われた時、俺の望むものは何かを何度も考えた。考えた結果が、彼女の命と引換えに望むものなんて、何もないということだ。
 
「……諦めるか」
「いいえ。陛下に家族を残せる、これ以上の喜びはありません」
「そんな喜びなどいらん」
「私を愛してくれたように、どうか私が残していくこの子も大切にしてください」
 
 俺の背後でダイアナがどんな顔をしているのか、想像したくもない。俺の傍から離れないと言ったじゃないか。守れない約束など、なぜしたのだと。俺を置いて、知らない母の顔をするなと伝えたい。力づくでも処置させたい、なのに彼女はそれを許さない。
 
 これまで裏切られたどの人間よりも、裏切られた気持ちが大きいと感じるのは何故だろう。ダイアナに、悪意があるわけではないのに。ただ、俺が選ばれなかっただけだ。
 
 息苦しさが増していき呼吸が乱れていく。頭痛は無くなり思考はクリアになったのに、息が吸えなくてただただ苦しい。
 
「い……やだ」
 
 今見ている景色が現実ではないことなど、彼女を抱きしめた時から分かっていた。なぜ、今になって忘れたはずのかつての苦い記憶が見えるのか。
 
「約束してください、陛下」
「約束など、しない」
 
 どうせ夢だと振り向いた先に、涙を堪える顔が見えて胸が締め付けられた。寝台へと戻り、幻だと分かっても再び抱き締めずにはいられない。
 
「俺を置いて行くな! 頼むから!」
 
 俺の胸から顔を上げたダイアナはポロポロと涙を流しながら、悲しそうに微笑んだ。
 
「陛下なら、きっといい父親になるって信じてます」
 

 ダイアナがそう告げた瞬間、腕に抱きしめていた存在が一瞬にして消えた。

 目の前には灯りの差し込まない寝台から見えるいつもの天井だ。隣に温もりは、ない。この十八年間、ただの一度も。

 
「ああああああああああっ!!!」 
 
 どこへぶつければいいか分からない憤りを声に預け、枯れるまで泣き叫ぶ。
 
 そうだ、彼女の亡骸と共に残された赤子の顔を直視できず、自分自身がこれ以上苦しまないように術を掛けた。そこから先のことはよく覚えていない。
 
「俺が父親?」
 

 ダイアナが残した子供。フィリックスが命懸けで守った子供。すべてを悟り、自分の周りには何もない現実を思い出し胸を鷲掴みにされた感覚が続く。

 頭を掻きむしり、その場に蹲ると肩に何かが触れた。

「お父様! しっかりしてください!」

 いつの間にか部屋にいた偽の娘だ。以前なら心地良かったはずの声が、雑音として頭に響く。

「うるさい、出ていけ」

「そんな、今すぐ医師を」

「いいから早く! 殺すぞ!」

「どうしよう、誰か……!」

 偽の娘が、荒らげた声に怯え、取り乱した様子で部屋を出て行った。

『陛下と家族になれることをとても幸せに思います』

 十八年も前に血の繋がりを俺に与えようとしたダイアナの言葉が何度も頭に木霊する。胸が張り裂けそうなほどに息苦しい中で、行き着いた答えは一つだった。

「こんな世界……お前のいない世界なんて」
 
 十八年前と何一つ変わらない。結局、ダイアナがこの世にいないという事実を乗り越えられる日が来ることはないのだと思い知らされる。皇帝という絶対的な権力も、他者を捻じ伏せる魔力を持ちながらも、心は弱い。たった一人の女の生死にここまで心が掻き乱される。そして、その哀しみに俺は耐えることができない。
 
 己の首に手をかざし、死にかけの身体に残された僅かな魔力を込めた。
 
「ダイアナ……」
 
 記憶から抹消した幸せの日々、死神は俺に記憶と愛の感情を取り戻させた。けれど感情を取り戻した俺は、呪いを解かれる前より満ち足りていた。どうせもうすぐ死ぬ運命だった俺が、最期に愛した女を想いながら息絶えれるのだから。
 
 枯れるまで流した涙は、血の飛沫によって上書きされた。
 
 
 
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 呪いに身体を侵された皇帝が息を引き取る瞬間を魔法使いは見届けたが、気持ちが満たされることはなかった。
 
「それでもアイツの願いは叶わねえのかよ」
 
 既にこの世にはいない少女が、かつて口にした願いを思い浮かべて拳を握りしめた。
 
「こんな世界、終わりにしてやる」
 
 息のない皇帝を部屋へ置き去りにして、少女がかつて住んでいたルビー宮へと足を運ぶ。
 
「大魔法使いの力、見てろよ?」
 
 誰に聞こえるわけでもない台詞を発し、魔法使いは最大限の魔力を放出させた。大地は揺れ、帝国は炎の中へと包まれていく―――。
 
 
 
 
 
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SpecialThanks:リッタさん(@Ritta_obelian)にプロットのご相談をしたところ、血塗れのフィリックスとクロードを描いてくださいました!!!ダーク!素敵すぎる!しかも2枚目は以前書いたクロダイ小説を元に描いてもらい、Pixivの挿絵にしたものです!わたしにとってのクロダイがこの小説で書いたものなので、今回もほんのりリンクさせてみました。なので絵もそのまま拝借…!いつも素敵な絵をありがとうございます!!!

ここまでお付き合いありがとうございました。最後にエピローグ、そしてアタナシアの想いへと続きます。もう少しお付き合いくださいませ!

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