こうなったのも全て、騎士を惑わせたあの少女のせいだ。
『一生、俺の視界へ入らないと誓うなら、処刑を考え直してやってもいい』
数日前、娘を名乗る少女を地下牢へ閉じ込めてから、誰も居ない時間を見計らって、少女の元へと足を運んだ。暗闇の中で床へ座り込んでいた少女を見下ろすと、俺に気づいた少女がゆっくりと顔を上げて視線が交差した。
そして、頭痛が一つ。
痛みに耐えながらも、少女の罪の減刑を提示した。貴族らやジェニットが必死にこの少女の処刑を考え直すよう、擁護する意見をしてきたからだ。
そして俺自身も考えた。この少女と関わりさえしなければ、視界へ入れるだけで襲う頭痛も、俺から騎士を奪おうとすることに対する敵意も、何も生まれないのだから、と。だから今日、ルビー宮への永久な幽閉を命じ、命までは奪わないことを告げに来た。
しかし、少女は命乞いをすることなく、何がおかしいのかむしろ笑ってみせた。
『一度決めたことを取り消すと、皇室の威厳に関わるのでは?』
その顔は非常に挑発的で、数日後に処刑を控えている人間とは思えないほどに肝が座っていた。
『そうか。自ら処刑を自ら望むか』
『はい。だから、今回関係のないアルフィアス公子は釈放してください』
『それは許さん。ジェニットの婚約者でありながらお前と逢瀬を重ねていた。お前と同罪だ』
俺の回答を聞いた少女は黙り込み、何かを考える素振りを見せてから口を開いた。
『……刑の順番は? 私からにしてくれますか?』
ただただ不気味だった。死を恐れずに、死と向き合う十八にも満たない少女がこの世のものとは思えず、鳥肌が立つ。皇帝に君臨した己に、怖いものなんてこの世には存在しないというのに。
その場に長居することは止めようと見切りを付けて背を向けると、消え入りそうなほど小さな声が耳を掠めた。
『さようなら、私のお父様』
『……』
記憶にない娘。けれど例え実の娘でなくとも少女が懇願さえすれば処刑を取り下げることを考えた。なのに、少女が容易く処刑を受け入れたせいで、フィリックスに刃を向けられる結果となってしまう。
『私がずっとお傍におりますから』
兄を殺した時に、寄り添うように声を掛けてくれた騎士、いや幼馴染の眩しい笑顔を今でも鮮明に思い出すことができる。けれどその幼馴染は、もうこの世にはいない。できない約束など初めからするなと、前にも誰かに告げた気がする。また、裏切られた。
いつの間にか夜が明けた。髪の色に全身を染めた息のない騎士をベッドに横たわらせた。血の混じる髪は、元々柔らかいはずだったのに指が通りにくい。
「そんなに死にたいのなら、望み通り殺してやる」
もう二度と見ることはないであろう男の顔を目に焼き付けて、別の部下を呼び出した。
「刑の執行を急ぐよう命じろ」
+++
少女の首に縄が掛けられたことを見届けてから、大きな頭痛に襲われるようになった。その後控えていた刑たちが予定通り執行されたのかは知らない。その日、倒れてからというものの、自室の寝台から起き上がれないほどの頭痛に悩まされる日々が続いた。
頭痛の原因と思われた少女の刑は執行したというのに。これまで安らぎを与えてくれたジェニットを傍に呼んではみたが、頭痛や息苦しさが解消されることは一向になかった。
これはもう”少女の呪い”と言っても過言ではない。死んでも尚、忌々しいその存在を主張してくるとは思わなかった。それほどまでに、あの少女の存在は悩ましいものだった。
夜空の下で皇族の証である宝石眼を持つ少女の存在を初めて視界に入れた瞬間、かつてないほどの激しい頭痛に襲われた。それから騎士や元老会の人間がその少女は俺の娘であると主張したが、少女の話をするだけで初めて見た姿が思い起こされ頭痛がした。
その後パーティーで姿を見かけた時も、俺の目の前に立ちはだかった時も、そして最期の時も。顔を見るだけで胸に溜まる不快な何かと、頭がかち割れるほどの頭痛が起こるのだ。
これが禁忌の術でなくて何だというのか。一つ思うことは、少女自身が悪いわけではなく、少女を媒介として誰かが俺に対して術を掛けている可能性が高いということだった。
一人、怪しい魔法使いがいた。もう一人、ジェニットの婚約者を名乗りながらも俺に憎悪を滲ませてくる青年もいた。今となってはもう誰が犯人かも分からないし、こうして今起き上がれないほどに頭痛で悩まされているわけだから、その術師の技は成功したと言えるだろう。
死期が近いのか、走馬灯のようにこれまでの人生がスローモーションのように脳裏に再生されていく。思い起こせば、苦しみしかない人生だった。
父の正妻からは日々暴力を振られ、上面の良い兄に騙され、挙句の果てには自分は味方だと寄り添う婚約者にまで裏切られた。もう誰も信じない、そう心に誓ったのは記憶に新しい。
そんな裏切りの日々に現れた唯一の救いがジェニットだった。己の血を引いていないことは年齢を聞かずともすぐに分かった。それでも物怖じしない性格に惹かれ、家族の愛を求める姿が幼少期の自分と重なった。
彼女と接していく内に、初めての感情が芽生えた。血の繋がりが何だと言うのだろう、という概念だ。血が繋がっていたって裏切る者は裏切るし、血の繋がりが濃いからこそ争うことだってある。だから血が繋がらなくとも、娘のように愛し、慈しむことができるだろうと。
ジェニットのことを考えれば、温かい気持ちを教えてくれた彼女と出会い、僅かな時間を共に過ごすことができたこの人生は、全く不幸と言うわけでもなかったのかもしれない。
徐々に奪われていく体力に、どうしようもないことを考え続け、そんな自分自身が情けなくて笑いが込み上げてくる。そして遂に意識を手放しかけたその時、微かに人の気配を感じて死にかけの身体が強張った。
「なんだ、もう死にかけじゃん」
突然聞こえてきた声に重い瞼を上げると、そこにはかつて少女に付き纏っていた魔法使いがいた。挑発するようなルビー宮から発出する魔力に気付かないわけも無く、一度牽制のために攻撃を仕掛けた魔法使いだった。やはり、少女を媒介にして術を掛けていたのはコイツだったのだろうか。あの時なぜ仕留めなかったのか、自分の行動を悔いてももう遅い。
「俺がトドメを刺したいのは山々だけどさ、皇族を殺すのは重罪だから」
「な……にを」
以前対峙した時とは異なる、桁違いの魔力に圧倒されているのか、声が押しつぶされて出てこない。
「死ぬ前に、もっと苦しませてやるよ」
顔を歪ませて口角を上げた魔法使いの指先からは黒い光が発出されて、思わず目を閉じる。激しい痛みが頭全体を襲った後、何かが解放されるような感覚が続き頭痛が和らいでいった。
「陛下、陛下」
身体を揺さぶられている。痛みから解放された頭で、馴れ馴れしく自分を呼ぶ高い声を認識し、目を開いた。
「陛下、目を開けてください」
先程までと変わらない寝台に横たわりながらも、目の前には数日前に処刑した少女と瓜二つの女が笑っていた。そう、彼女の名は―――。
「ダイアナ」
この女を知っている。城下町で偶然にも出会った踊り子に目を奪われて、自由に舞う翼を奪うように皇宮へ連れて閉じ込めた。
俺に向けられた好意を疑って、どうせまた裏切るだろうと心を閉ざしながらも、彼女を求めることが止められない。自分だけの物にしたいという独占欲と、一々感情を揺さぶるなと突き放したくなる気持ちとで葛藤を重ねるも、彼女から与えられる一心の愛に何時しか折れるしかなくなった。
忘れることなんてできるはずのない、ダイアナと過ごした幸せな日々が目の前に広がる。
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